第三百十四話 二水の戦い その三 でござる
重秀がうまく宇和一成の部隊を釣ってきてくれている。
左右は森と山。崖や深い植生に阻まれて、一塊の部隊の侵攻という意味では一本道と言える。距離は半里……約二キロ。芸がない話だが、こんな状況では伏兵と罠が鉄板。
時期が時期ならば、火計を主軸にしようかと思った。
敵将は俺と同じような奸智を得手とする将のようだが、策という概念のないこの世界のことだ。こんな状況ならば火は警戒されるだろうが、よもや山を一つ丸ごと自分たちと一緒にローストするなどという発想は出て来なかっただろう。
だから、それが出来るならば、それだけでも勝算はあった。
しかし、時期が悪い。
もし、空気と山の木々が乾燥している時期ならば、決して安いコストではないものの、なんとかなっただろう。策の実行費用よりも山一つ丸焼きにするという負の遺産を覚悟すれば出来なくもない。
だが、今は冬。冬の乾燥した空気はよいのだが、燃料が雪でびしょ濡れだ。というか、雪に埋もれている。これではどうにもならない。
だから、そのままでは使い物にならない……。
「武様、予定通りに重秀殿が向かってきています」
横に控えている敦信が報告してきた。
現状、二水の町には太助らに率いさせた兵を五百ほど分かりやすく守備に置いている。これは俺が連れてきた兵と村人が志願してくれて用意できた足軽隊を合わせた数だ。そして、重秀に三百を率いさせて先行させたから、本来の数から行けば、ここまでである。
しかし、敦信に朽木の兵を連れてきてもらった。
これは、中に入れずに森の中で待機してもらっている。彼が信頼する利宗、利歳の森島兄弟がそれを率いて息を潜めているのだ。
敦信自身は俺の側に付いてくれたが、敦信曰く、「私が率いなくとも彼らに任せておけば、我が里の兵たちは何も問題ございません」とのことなので彼らを切り札の一枚として伏せて使う事にしたのだ。
もっとも、この札は実は二枚ある。今はまだ到着していない清信が幾らかを率いて三番目の矢となるべくやってきてくれることになっているのだ。
「数は?」
「五十ほどとのことです」
「なるほど。重秀も分けたんだな。ってことは、残り百五十はまだ森の中だな?」
「おそらくは」
腕組みをし、しばし思案に耽る。
俺と同じ人種ということは、多分重秀の釣りには気付いている。誘いからの伏兵による不意撃ちは俺が散々使ってきた手だ。おまけに敵の方が手勢が多い。ましてこちらは実数よりも寡兵に見せている。なお、それは意識しているだろう。
であれば、基本その数を頼りに戦を組み立てるはずだ。いざ交戦状態になれば、それこそがもっとも有力な戦術なのは間違いないのだから。
であれば、無視の手はないな。確実に伏兵の方にもそれなりの兵を振るはず。本隊の安全を確保しつつ、重秀の方と伏兵の方、それぞれに十分な兵を送るところから始めようとするだろう。
なら、どうする?
こちらの兵が少ないのも事実。誤魔化しているが実数の方でも負けている。二千五百を千四百で破らなくてはならない。なら、どう手を打つ?
この戦……奇計を使うチャンスはそうはない。
宇和一成は為人が腐っていてもあの伝七郎と比べられた男だ。無闇に使えば、次の手を打てなくなって詰むだろう。チャンスを最大限に生かすためにはどう虚実を混ぜるかが重要になってくる……。今までのように、いきなり奇計ありきというのは危険だ。
「敦信」
「はっ」
「一度正面から抑えこみたい。重秀を追ってきた先鋒だけでいい。これを正攻法で、かつ三森の兵二百だけでやったら、どの程度の被害が出る?」
負けるなどとは考えていない。三森の兵は、彼らがそうであることを胸を張って誇るように、一兵としての強さは、朱雀隊などの精兵隊と比較しても決して見劣りしないくらい強い。実際、朽木での戦でその実力を存分に見せてもらった。
だから、数頼りで質は今ひとつの継直のところの兵に個人戦で後塵を拝するようなことはまずありえないだろう。しかし、残念ながら戦は数だ。現状直面しているこの世界の戦を考えると、やはりそれは覆らない。
敦信が連れてきた朽木の兵は六百。うち二百は伏兵に回さねばならないし、更に二百は重秀の方の伏兵を助けに向かわせねばならない。
正面に出せるのは二百。打ち倒すべき敵の数は三百。
敦信は一瞬驚き、そして喜悦の表情を浮かべた。多分、俺が勝てるかと聞かなかったからだ。そして、少し上目をするようにして考え込んだ後に口を開いた。
「……さようですな。どれほど被害が出るかは、やってみなくては分かりません。されど、我が兵たちはそのような戦場に出していただけるならば、心振るわせて奮闘するでしょう」
「いや、こんな所を死に場所に選んでもらっては困るのだが」
言葉とは裏腹に、敦信には功を焦っている様子は見えない。しかし、思わず突っ込まずにはいられなかった。
だが、そんな俺に敦信は嬉しそうに笑む。そして静かに、けれども武士の誇りを漲らせるように胸を張って断言した。
「……では、どれだけ死ぬかを問うのではなく、死なずに勝てと御命じ下さい。されば、我ら三森武士。主のその命、見事果たしてご覧に入れましょう」
「てめーらあ! お館様からのお言葉だ。耳の穴かっぽじってよぉーく聞け! 次の戦場があるから、勝手に死ぬなと仰せだ! 喜べ! もう次が用意されているぞ!」
え~……。俺もうちょっと違う言い方したよね? 確かに意図するところはそういうことなんだけど、なんかちょっと違ってない?
軽くどん引きさせられた。
目の前で敦信の副官の一人……たしか兄弟の兄の方である森島利宗が声を張り上げて、隊を鼓舞している。
俺は、死地に向かわせるようなこの命を下すために、その鼓舞も兼ねて敦信が選んだ切り込み隊二百名の前に立ったのだが、俺が口を開く前に敦信が、
「重秀殿が敵兵三百を連れて、こちらにやってきている。これを殲滅する。三森の戦をするぞ。されど、お館様は勝手に死ぬなと仰せだ。分かっているな?」
と言葉少なに己の兵に命ずると、目の前の兵たちの目に危険な光が宿り、その副官がヒャッハーした。表には出せないが、割と悲壮な心持ちでこの命を下すつもりでいた俺は面食らうこととなった。
その様子を見て、敦信は満足げにうむと重々しく頷いているし、兵たちも兵たちで、こんな乱暴という言葉すらも生やさしい言葉でテンション上がっている。
こいつら戦闘民族かなんかか……。
率直に、そう思わずにはいられなかった。
目の前の三森の兵たちは、死地に向かうこの切り込み部隊の役目をむしろ喜んでいた。自身がその役目に選ばれたことを誇らしく思っている節さえある。切り込み隊と、重秀の伏兵への援軍を担当する隊、そして伏兵組……見事に士気が高、中、低と分かれていた。伏兵組は貧乏籤を引いたと、なぜか嘆いている始末だった。
言えないが、俺には理解しがたい思考をしていた。
だが、結果として最高の状態の部隊を敵に当てることができる。それだけは確信できた。