第三百十二話 二水の戦い その二 でござる
「こちらにおられましたか」
先日出来上がったばかりの櫓の上で西方を睨んでいたら、下の方で声がした。昨日この地に着いたばかりの敦信だ。
朽木から色々と算段させていたので、到着がこれほどに遅れてしまったのだ。とはいえ、間に合ってくれて本当に良かった。
これで連れてきた兵が七百。村から百。敦信の三森衆と朽木の兵が六百の合計千四百。敵方は鬼灯が神楽の情報網を駆使してかき集めてくれた情報から推察するに二千五百。
津田領を呑み込んだ継直が西の三浦・徳田の連合と開戦してしばらく経つが、三浦・徳田はかなり頑張っている。俺たちが北進して金崎領を呑み込もうとしていたのもかなりのアシストになっていると言える。劣勢ながらに圧倒的に兵数の勝る継直に対し未だ国体を保っているのは本当に有り難い。おかげで継直がこちらに振り向けられた兵が二千五百程度に収まっているのだから……。ただ、将はなあ……。宇和一成か……。うちの三本旗に対抗して広めだした奴の『三爪』の一人だったな。残りの松倉秀典と鬼石彦十郎は引き続き継直とともに三浦・徳田と継戦中だというから贅沢を言ったらキリがないか。
「ああ、何かあったか?」
櫓を上ってくる敦信に手を伸ばす。その手を取って引いてやった。
「有り難うございます。いえ、出陣の準備が整いましたので。そのご報告を」
櫓の上まで上がってきた敦信は、まるで連絡兵のように片膝を突いて報告してきた。
「律儀だねぇ」
思わず苦笑いがでる。
敦信は俺に降ってから、とにかく俺を下に置こうとしない。話していると、なにかものすごい偉人か何かになったような錯覚さえ起きるほどだ。
そんな敦信をなんとか立たせて、再び目を元に戻す。
そこにはなんとか間に合わせた馬防柵、堀というには浅すぎるが騎馬群の突進を防ぐために1m幅1m深さで掘った溝が10列ほど掘ってある。底には矢を逆さにして埋めた。一人でも殺れたら御の字というお粗末な代物だが、それでもないよりはマシだった。
あとは正面に対する矢の集中砲火が出来るように円状に配置した土塁。昨夜にわかに降った雪でうっすらと雪化粧をしていた。
奴らがやってくる道は1本しかない。隘路……その出口に広がっている小平原。周囲は森に囲まれており。奴らはその平原を抜けて再び谷間の道を抜けて、村の西門――つまりこの場所にやってくる。どうなるにせよ、この戦の決着はこの場所で着くことになる筈だ。
……いや、そうなるように誘導してみせる。
ひゅう――――。
櫓の上の俺たちを煽るほどの風が吹く。肌を刺す。
「……この寒さは我々に味方をしてくれていますな。この雲行きでは、空を覆っているあの雲もまもなく雪を降らしてくるでしょう」
「日頃の行いが良いせいだ」
油断すれば緊張で強ばりそうになる顔に無理やり笑みを作って嘯いてみせる。
「……でしょうな。武様は戦の神に愛されておられる」
しかし敦信は、そんな俺の冗談に真顔で応えてくる。
「よせよ。冗談だよ」
「冗談ではございません。少なくとも私はそう確信しております」
「勘弁して」
「ははは。まあ、それはこの戦が終わったあとで分かることにございましょう。勝利の宴で酒でも呑みながら、ゆるりと皆で検討してみようではございませんか」
「やめて。っていうか忘れてないだろうな? 敵は倍近いんだぞ?」
敦信ほどの将に気の緩みなどある訳ないだろうが突っ込まざるをえない。もっとも、この状況で気など緩みようがないのだが。
「もちろん承知しておりますとも。しかし、我らはその倍の敵を倒す術を武様よりいただいておりますゆえ。あとは我らがその術を生かせるかどうかだけでございます。……おまかせくださいませ、武様。『たかだか』倍にございます。一人で三人倒せば圧勝にございます」
敦信は真顔のままでそう言うと俺の目をまっすぐに見つめてきた。
……そういうことか。
「はは……俺もまだまだだな。部下に気を遣わせるようじゃあ、未熟もいいところだ」
「……戦の規模こそはそこまで大きな物ではございませんが、おそらくこの戦は『決戦』にございます。この戦の勝敗が、この先の我らの運命を決めるでしょう。十分な備えもないままにそんな戦に臨まなくてはならない武様のご心労を思えば、その程度のことは何ほどのことでもございません」
「すまんね」
身の置き場もないとはこのことだ。知らず知らずのうちに頭に手が伸び、髪を掻きむしっている。それに気がつき、なお恥ずかしくなる。
「重秀はもうすでに出た。俺たちは出るのを最大限遅らせた。清信にも神楽にも連絡はつけてある。ともに到着は明日だ……」
腰から刀を抜き鯉口を切ると、その中の刃を寒風にさらして天に掲げる。それに意味があるわけではないが、そうせずにはいられない。
降り始めた粉雪が白刃の向こうで風に踊っていた。
「父も、このような戦に出られることに胸を躍らせていることでしょう。このような戦で槍を振るえるのは三森の者にとって夢でございました。使い捨ての駒でしかない戦を重ねるしかなかった我々にとって、かなわぬ夢でございました。……ようやく、ようやく三森の戦が出来る」
金崎家のことか……。
「すまんね。ド初っぱなから、こんな重い戦で」
そう言って敦信の方を再び振り向いたら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。そして、呵々と敦信は大笑いした。
「なにをおっしゃいます。むしろ望むところと今申し上げたばかりではございませんか。我らは武様の槍。武様の盾。武様の望むままに敵を屠り、その凶刃を退けてご覧にいれましょう。そのぐらいしてみせなくては、太助殿らに合わせる顔もございませんよ」
「太助?」
「ええ。先の会議のあとに三本の紅の旗を託されましてな。『俺たちは負けない。負けられない。俺たちはこの旗に誓った。だから、これを託す。……主を頼む。『敦信殿』と」
「……そっか」
「はい」
先の会議の時、俺が敦信と共に出ること、太助らをこの村に置いていくことを告げたときは納得させるのが大変だった。勝つためにそうしたのだが、俺の一番槍を自負する太助にとって受け入れがたかったのだ。それをなんとか説き伏せたのだが、裏でこんなことをしていたとは知らなかった。
「そんなことを聞いちゃ、なおさら負けられないな」
「無論、負けません」
「ああ、その通りだな」
俺は雪舞う曇天の空にかざしていた刃を鞘に戻す。チンと甲高い冷たい音が吹き付ける寒風の中に響いた。
「……出るぞ」
「はっ!」
敦信の応の声がその後に続いた。