第三百十一話 二水の戦い その一 でござる
「そこっ! そんなヤワな造りじゃあ、本気で突っ込まれたらあっという間だぞ! もっとガッチリ組め! 急がんといかんが手は抜くな! ここを抜かれたら次は藤ヶ崎だぞ! なんとしても、ここで抑えるんだ!」
太助が声を張り上げる。
作業をしていた奴の子分の一人がヒャッと肩を竦めた。そして、太助の指示通りに柵を組み直し始める。
次は藤ヶ崎だぞ……か。
さりげなく目の端で太助の姿を見る。今度は子供が一抱えに出来るほどの岩を組み上げている奴に大声で指示を飛ばしていた。
あの太助がこんなセリフを吐くとは思ってもいなかった。この二水の地でこいつとやり合った時からは考えられない。
もちろん今だって、あいつにとってこの地が一番大事だろう。でも、もう今のあいつはそこで止まっていない。その一番大事な土地のためにどうするべきなのかを考えている。その結果出した答えが、『ここで継直を迎え撃つ』なのだろう。
打算……計算……。
言葉は色々あるだろうが、この地を守る為にあいつなりに答えを出した結果だ。そして、これこそがあいつに必要だったもの。あいつを受け入れた成果が出始めているとはっきりと感じた。
ただ、それらも俺らへの信頼が根底にあってこそだろう。
俺らなら継直を退けられる。俺らなら、その後の統治で酷い目に遭わされない……。
そんな無意識の信頼が太助にあの言葉を言わせたんだ。
……であるならば、俺はそれに応えてみせないといけない。それは俺の責任。あいつにそう信じさせ従うことを選ばせた以上、俺はこの地の未来にも今まで以上に責任を持たないといけない。
まして、ここを抜かれて藤ヶ崎を落とされるなど言語道断である。太助の言う通り、ここを抜かれて藤ヶ崎までなどという事態になれば、国は保てない。それではすべての未来が閉ざされる。
冗談じゃない。ヒヒ爺の野望一つごときで、そんな真似されてたまるか。まだやってやらねばならんことが山のようにあるんだ。
気合いが乗ってきた。
そんな高揚感を覚えながら継直の軍勢がやってくる『西』の方角を睨んだ。
美和の町を出て、はや五日が経とうとしている。
あちらがどうなったのか……。
心配ではある。
こんな事を言えば伝七郎に怒られてしまうだろうか。武殿はそっちに集中して下さいとか言われてしまうかな。
まあ、正直余裕がないのも確かだしな。
三日……いや、下手をすれば二日後には継直の軍勢が到着するだろう。そうなれば、それこそこちらの方が心配される立場になるのは明白だ。
とはいえ、どうするかな……。
とりあえず、二水は山の中の村とはいえ、守りに適した土地ではない。厳密に言えば、土地は守りに適してはいるのだが守備するための設備がまったく手付かずだ。藤ヶ崎の方が優先だったから、こっちには手がつけられていない。
そもそも村の再建始めようかという段階だったのだ。そんな贅沢な設備などまったくない。もともと、こちらに『守りの戦』という概念があれば多少でも救いがあったのだが、それがないものだから全部一からになる。
もう目の前に敵が迫っているのに、今から十分な備えなど出来るわけがないのだ。とはいえ、このまま無策というわけにもいかない。
だから最低限のことしかできないが、それでも何もやらないよりはマシだ。
予想通りにこの二水の地を進路に選んでくれたものだから、それだけはなんとかなった。前に太助らをすっとばして村おこし計画を拡張して現地に指示を出したときに、多めに資材を集めておいたのだ。
おかげで柵や櫓、即席の壁用の岩などは、人力の許す限り準備出来る。もともとそのつもりだった訳ではないが、結果的にあのウイットが今俺たちを助けてくれている。何が功を奏するか、ほんと分からないものだ。
時期が冬だったのもよかった。これが春だったら、もっとしんどいことになっていたかもしれない。岩と土で固めた壁に水を掛ければ凍って強度を増す。部隊の突撃を阻む即席の壁を作るのにこれほど楽な条件などないだろう……もっとも、堀を掘るのは逆に大変ではあるが。
このあたりのバランスをうまく考えなければならない。
それに……。
太助らの子分らも兵に混ざって作業をやってくれているのだが、その周りには大人の村人たちの姿もある。
最初は村を戦場にするということで、大人の村人たちの反応はすこぶる悪かった。とても助力を頼めるような雰囲気ではなかった。
しかし、彼らはその態度を一変させた。
「あんたら、何もやらないのか? 別にいいけど。俺はここを守り切る。そして、継直の軍勢を退けたら、今やっている村の再建を成功させて、この村を豊かにしてみせる。でも俺は、何もやらん奴に分け前をくれてやるつもりはないぞ。よく考えろよ? 今俺たちは幸か不幸か一国の意思の側にある。この好機を棒に振るつもりか?」
「まあ、こんな状況は望んでもまず得られないでしょうし、ただ無駄にするのはもったいないですよね」
太助が言い、八雲が飄々とした仕草で語れば、
「武様に塩の時に言われたけどさ……何もやらなければ何も得られないでしょうよ。俺は同じ間違いはしたくないな」
吉次はため息を吐きながら、大人たちにそう呟いた。
村の大人たちは困惑した。そして小僧らの言うことだからと結論しようとしたが、太助らの言葉が響いた者もいた。それが太助の親父とやりあっていた金屋達吾郎だった。
若手とはいえ、やり手の商人である達吾郎は、太助らが語る『利』に反応した。そして、村の大人たちを扇動した。
結局、この村の無気力状態をどうこうすることは未だ出来ていないのも改めて見せつけられる形にはなったが、利に聡い上に村でそれなりに力を持っているものが残っていたのが、俺たちには救いとなった。
結果、この達吾郎の力に拠るところが大きいが、大々的に村人を動員出来たおかげで、かなり作業が捗ることになったのである。兵として志願してくれる者まで現れた。戦闘力としては期待出来なくとも、足軽として数の足しにはなってくれたのだ。これは本当に助かった。
こんなに上手くいって正直怖さを覚えたものだが、それでも俺たちにとってこれが決め手であったのも事実だろう。おかげで、なんとか最低限の準備が間に合いそうなのだから。
「さあさあ皆の衆。ここが踏ん張りどころですぞ。水島継直の軍勢から村を守るには、これでもまだまだ不十分です。力を振るわれよ。銭は弾みますぞ」
達吾郎の声が今日も俺たちに交じって響いていた。