第三百十話 幕 泉清次(四) 死守
ドガン、ドガン――――
ひっきりなしに重い物を打ち付けられる音がする門扉の限界は近い。メキリという音が軋む音に交じって耳に届く。
「くっ……門前を固めろ! 気を抜けば打ち破られるぞ!」
門前に押し寄せる藤ヶ崎の軍勢は止まることを忘れたかのように、怒濤の勢いで押し寄せてくる。
先日までの動かずの姿勢はなんだったのかと言いたくなるほどの勢いだ。
「矢を放て! ぬ、来るぞ! また丸太を持って突進してくる。門扉を押さえるのだっ。早くしろっ」
西の門の脇に建てた急造の櫓の上から力の限り怒鳴り声を上げる。それでも指示を兵らに行き渡らせることは難しい。戦況はすでに逼迫しており、空腹の中、気力を振り絞って上げる兵らの気勢で辺りは包まれていた。
兵たちは体力の限界を超えて必死の形相で俺の指示に従う。
もし、これが国から連れてきた兵ではなかったら、とうに瓦解しこの館を落とされていただろう。
藤ヶ崎の軍勢は戦い慣れていた。
我々の兵とて決して弱卒ではない。このところ続いている戦で十分経験は積めている。ただ……藤ヶ崎の兵はそれ以上に戦慣れしていた。修羅場を知っていた。
「泉様! 東門から援軍を回してくれとの要請がっ。犬山信吾の勢い止まらず、門がもう保たないとのことです!」
「援軍を回せだと? どこにそんな兵がいるというのだっ! なんとか持ちこたえろと伝えろ! 先日燃やされた蔵の瓦礫を門前に運べっ。門の前にその瓦礫を積むのだっ。さすれば、門を破られても多少は時間を稼げる。急ぎ戻って伝えろっ。行けっ!」
「はっ!」
佐々木伝七郎……ずっと囲んでいたかと思えば、突然のこの苛烈な攻め。やはり、流石は宇和様と共に期待されただけのことはある。
これで、まだ神森武が残っている。奴は西門から下がった。彼奴は何を考えているのだ……。それを思うと、止めどなく不安が募る。
神森武の代わりに、佐々木伝七郎が西門に移ってきた。そのおかげというわけではなかろうが、北門南門がその影響で攻撃が弱まっている。だが……。
誘っているのか……いや、しかし……。
「泉様っ! 門がもう保ちませんっ、門扉に亀裂がっ。番いも歪んできていますっ」
「壁を作るのを急がせろ! なんとしても破られる前に瓦礫を積むのだ!」
「やっていますっ。しかし、すでに亀裂が――――」
「口は動かさなくていいっ。そのぶん体を動かせっ!」
報告にきた兵を叱咤している最中に、櫓に上がった弓兵が叫ぶ。
「泉様っ。敵方火矢を準備していますっ」
ええぃ、次から次へとっ。
「水を持ってこいっ。門にぶっかけるんだっ!」
今一番に燃やされて不味いのは門。漆喰の壁はなんとかなるだろう。館内の建物を直接狙ってきたら、それはその後の対処でいい。分厚いとはいえ、火を付けられて脆くなった門扉に今のように打撃を加えられたらひとたまりもない。それはなんとしてでも避けねば。
籠もった我らが言えたことではないが、ここまで苛烈に攻めたてるか……。
過去に籠街をやった者らは、ほぼ例外なく無能者だった。少なくとも俺が知る限りにおいては。だから、籠もった者が持ち堪えたという話は聞いたことがない。
だが、俺はそれを選んだ。
お館様や宇和様らが二水までやってきたら、この状況が一転することが分かっていたから。
しかし……俺もその無能者たちの仲間入りか。それとも、やはり佐々木伝七郎の実力故ということか。
「撃ってきましたっ! 狙いは門扉のようですっ!」
くっ、己を罵倒する時間すらもくれぬ。
「やはり門だっ。水を掛けまくれっ。炎が上がったら、それこそもう保たんっ。その前になんとしても門を湿らせろっ!」
なんとか今日は持ち堪えられた……。
だが、あれから二刻、奴らの攻撃は突然ぱったりと止んだ。
解せない。
大声を上げすぎて枯れ果てた喉に、持ってこさせた水を呷って一気に流す。沁みて痛んだ。が、それを不快に思っている余裕すらない。
まだ昼前だ。なぜ、奴らはあそこで退いた? 退く理由などあるのか?
指揮を執っていた門前で、どっかりと尻を下ろす。兵たちももう丸一日戦ったような疲弊ぶりで膝から崩れ落ちる者が続出していた。そういう意味では、この一時の休憩時間を与えられたことは助かったともいえる。だがしかし……。
「解せぬ……」
無意識に漏れた自身の声にハッとさせられる。
俺がこれでは話にならんな……。
自分自身を侮蔑する言葉が湧き出てくる。
どういう意図かは分からんが、とりあえず奴らの攻撃は今止んでいる。今のうちに、やれることをやっておかなければ、次も凌げるとは限らない。
甚兵衛の奴の動きも分からぬ……いや、奴は様子見をしているだろうな。もともと奴には勝ち馬に乗るという思いしかなかった筈だから、ここまで劣勢に立たされた俺に手を貸しに来るとは思えない。
お館様が藤ヶ崎の奴らの後背を突くことは知っているが、すでに二水へと進軍していることは奴はまだ知らぬ筈。
もし……奴が本当にお館様の覚えをよくしたいなら今こそが好機でもあるわけだが、どうやらあの者にその意思はなさそうだ。これでは、俺たちが勝ったあとで相応の報いを受けることとなろうがな。
奴の算盤は今も己の利益の計算に忙しかろうが、無駄に終わる様しか想像出来ない。お館様や宇和様……そして、藤ヶ崎の伏龍・鳳雛を相手に立ち回れるわけがない。己の身の程を知らないにも程がある。
それが分からないからこその小者か……。
まあ、いい。どうせ、このような切所では、あのようなものは宛にならぬ。
とはいえ……どうする……。
風が額の汗に吹きつけて痛く感じる。
それもそうか。もうひと月もすれば春とはいえ、この辺りはまだまだその気配はない。とはいえ、そんな寒風でもいつもならば戦の興奮を鎮め、心地のよい疲労へと変えてくれる。だが、今はただ冷たく不快なだけだ。
どうしたらいい……。しかし、すでに出来ることには限りがある。一日……いや、一刻でもながくひたすら耐えることぐらいしかできない。
だが、今のままではそれもままならない。
なんとかしなければ……。
「泉様、代わりをお持ち致しました」
兵が碗を差し出してくる。
「ん。ありがたい。いただこう」
少し考える時間が出来、心にゆとりが出来た。先ほどは礼も言わずにひったくってしまった碗を礼を言い受け取る。やはり、俺も相当追い詰められている。この上、俺までが落ち着きを失ったら、なお藤ヶ崎の奴らの思うつぼだ。
そんな無様だけは晒すまいぞ。
改めて己を戒める。そして、持ってきてもらった水を改めて口に含むと、今度はゆっくりと喉を通した。
口元に手をやり、ついた水滴を乱暴に拭う。その手を地面についた。
その手に土が付き、汚れた。
その手を見る。泥となった汚れが付いていた。