第二十一話 後で悔いるから後悔 でござる
「あー。あれはなかなかの一撃だったな。武様そのまま沈んだしなあ」
源太は横で粥を啜りながら、ウンウンと真面目な顔で頷いていた。
「他人事ではないが、まあ綺麗に入ったよな。とは言え、あれは武殿も悪い」
そして、そんな源太に追随して頷きながら、顎の辺りをしきりに撫でている信吾。何かを思い出しているのか、苦笑気味だ。
くっ。どういう事だ? まったく記憶がないぞ?
伝七郎はまったく話についてこれず、幼子のようにポカンとしている。
いや、いい。おまえには関係ない話だ。おまえは先に潰れてた。そのまま粥食ってろ。
「な、なあ? 先程から聞いてれば、やたら不吉な予感がするんだが、いっその事ばしっと一発で引導渡してくんね?」
「酔っぱらってべろんべろんになった頃、酒を注ぎに来てくれたお菊さんに抱きついて、あまつさえ口づけしようとして張り倒されてましたっ」
ばしっと言えとは言ったが、もう少しオブラートに包んでくれてもいいんじゃないかなあ……。
与平くんは明るく元気に返事をしてくれました。花丸三重丸です。
つか、死んだ。マジで死んだ。やっと昨日人間関係に改善の兆しが見えたというのに、俺はいったい何をやってるんだぁぁぁ。ノォーーーーーーーーッ! 俺の馬鹿、アホ、カスがぁっ。
頭を抱えて地面に叩きつけんばかりに悶える事暫し。
はっ。つか、それどころじゃないし。なんとかリカバリーせねばっ。
──いやあ、リカバリーって簡単に言うけどさ。これ……できるの?
できるかどうかじゃねぇんだよっ! やるんだよ。やらなきゃ、本当にヒロインいなくなるぞっ!
──おーけー。わかった。落ち着け俺。もう事は起こってしまった。時すでに遅しだ。落ち着いて考えて行動しようか。いいか? おまえは、もうすでに、張り倒されて、一晩寝た後だ。You know?
おい、俺よ? おまえは俺を落ち着かせたいのか、それともとどめを刺したいのか、どっちだ?
──無論落ち着かせたいのだ。だから、事実を受け入れる事から、まず始めようか。
俺との脳内会議を済ませて我に返る。我に返ってみるものの、やはり事態は好転しない。当たり前だ。
「あ~……。与平くんや。それはマジかね?」
「まじ?」
「ほ・ん・と・うなのかね? ここ重要よ? もう一度よく考えてから答えてみようか?」
「あ~。マジっす。とってもマジっす」
与平はにやにやしながら、マジっすマジっすと繰り返している。どうやら気に入ったようだ。
いや、笑い事じゃないよっ? どうして、おまえらは傍にいて止めてくれなかったんだっ。
「面白そうだったので、お止めしませんでした」
与平はそれはもう楽しげに笑い転げながら、そうノタマイオッタ。くっ。顔に出ていたか。
「いやあ。まあそれは冗談にしても、馬に蹴られたくはないですからなあ」
がははと豪快に笑うと、信吾の奴は食い終った碗に湯を注ぎ、それを熱そうに啜っている。
つか、この一大事に、なんでおまえらは揃いも揃ってそう呑気にしてるんだ? これは飯時の軽い会話のふりした重大なお知らせですよ? 緊急事態ですよ? 俺的には確実にっ。
「俺の静は蹴ったりしない。大人しいぞ?」
「誰もお前の馬の話なんぞしとらんだろう」
「馬に蹴られる奴は愛情が足らんのだ」
「そりゃお前。この上横から愛情込めたりしたら、大変な事になるだろうが。というか、そろそろ馬は横に置いておけ。武殿が泣いている」
はい。完全に空気な神森武です。もうまさにどうでもよい扱いです。涙腺を刺激する何かが、朝の大地から立ち上るの土の匂いに混ざって、鼻の奥をツーンと刺激します。たまねぎよりも強力です。
突然源太が馬という単語に反応したかと思えば、信吾は相変わらずのんびりと茶飲み話の雰囲気のままだしっ。俺どうすればいいのよ?
そう想いをこめて、無言のヘルプを視線に込めて送ってみても、暖簾に腕押し。糠に釘。つか、暖簾や糠ほどにも抵抗がねぇっ。この故事を作った奴は暖簾や糠に謝れ。こいつらに比べたら、彼らは彼らなりにちゃんと抵抗しているぞ。
よし、わかった。こいつらは役に立たない。自力で何とかするしかない。
……お菊さん怒ってるだろうなあ。つか、怒ってるならまだいいが、キモッだったらすでに打つ手なしな訳だが。
それを考えると気の重さが尋常ではない。恋愛カーストの底辺で生き続けてきた俺にはきつ過ぎるイベントだ。とは言え、ヒロインなしでヒロイックサーガ続けるとか、俺には無理っ。だから、頑張るしかない。
「あ~……。ちょっと用事ができた。逝ってくる」
俺は遺言を残して、その場を去る。
「はい。いってらっしゃ~いっ」
与平の奴が粥を啜りながら、箸を持ったままの手を振っていた。
源太はまだ馬の話を信吾としている。その信吾は源太の相手をしながら、親指を立てた拳をこちらに突き出してきた。
なんでこいつはグッドラックを知ってるんだよ?
そして……。
「えーっと、つまりどういう事です?」
一人、相変わらず蚊帳の外になっている良い子がいた。
侍女たちはまだ兵たちに出した食事の後片付けに忙しい様だ。食器を運び込んだり、調理具の片づけ、洗い物と皆忙しなく動き回っている。咲ちゃんも忙しそうにパタパタしてるな。
んで、問題のお菊さんな訳だが……。いたっ。縁の方で洗い物をしている。
さあ、ここで俺はどうやって声をかければいいんだ?
(一)やあ、お菊さん。今日お日柄もよく……。
(二)お菊さん、ごめんっ。
(三)忙しそうにしているね。何か手伝える事でも……。
(四)やあやあ我こそは神森武である。いざ尋常に勝負しろっ!
一は結構いけそうだが、すっとぼけてると思われたら印象悪くね? 普段ならともかく、今日の状況でこれはかなりの賭けになるような気がしないでもない。二軍行き。
二は男らしいが、周りに仕事仲間一杯のこの状況でやるのは、むしろ迷惑じゃね? でも悪くはない。ベンチ。
三もそこそこ良くね? 結構ナチュラルで。ただ無視できない問題点がある。それは、セリフは確かにナチュラルだが、女慣れしてない俺がセリフに合う態度をとり続けられるかどうかだ。今回は壁投げじゃない。キャッチボールである。ベンチ。
四は論外だ。そもそも何で戦う事になってんだ。つか、お菊さん薙刀凄腕らしいし、俺負けるだろ。解雇だ解雇っ。
くっ。わかってはいた事だが、これならいけるという選択肢が思い浮かばない。ベンチ止まりばかりで、自信を持って一軍のスタメンに起用できるのがいない。女慣れしたイケメンじゃあるまいし、俺には難易度高すぎだろ。こんちくしょう。
しゃがみ込み頭をがしがしやってみる。そして、ふと顔を上げてみると、お菊さんがこっち見てた。
うっ。怖いぞ。別にこれ見よがしに睨んではいないけど、無言でじっと見つめられる方がはるかに怖いです。
せ、選択肢まだ決まってないんだけどな~……。なんかタイムオーバー臭いなあ……。
あ、駄目。こっち歩いてくるし。
──いや待て。会って謝る為に来たんだから、むしろラッキー展開だろ。
でも、まだ選択肢がっ。
──選ぶ時間がある時ばかりではない。ない事もある。あきらめろ。
そして、うだうだぶつぶつ言っている間に運命の時は来てしまった。女神様ご降臨である。
その歩く仕草のなんとたおやかなる事よ。その背に揺れる薄く濡れた様に光沢を帯びた緑髪も美しい。
はい。わかっております。全部首から下ですね。至近距離で顔を直視できません。
「……。武殿。私に何か御用がおありですか?」
「あ、ああ。その、あの、ね。はい、ございます」
今は楚々と立つその姿にすら、何とも言えぬプレッシャーを感じる。
こめかみ横を冷たいものが流れた。喉はひりつき、うまく言葉も出てこない。それでもなんとか大事な部分だけでも無理やり吐き出す。
「わかりました。今はまだ仕事がございますので、もう少々お待ちください」
「あ、ああ」
おおう。なんか冷静すぎて、むしろ無茶苦茶怖いぃ。
「えーっ。あとは私がやっとくから行ってきなさいな」
「でも……」
「いいよ、いいよ。洗いものだよね? 咲ちゃんと私でやっておくから。行ってきなよ」
ミニマムだけど、やはり千賀専属侍女隊の一員らしく美人で可愛らしい……と言うにはなんかやたら風格を感じるが、やはり可愛らしい侍女さんがそう言ってくれた。嬉しくも哀しく、俺的には非常に複雑だが。
そして、それでもまだ躊躇うお菊さんの背中を押すように、咲ちゃんも勧めてくれる。
これが恋人を呼び出す一幕だったら、俺は感動のあまり滂沱の涙を流すところなんだがなあ……。