幕 泉清次(二) 三者三様
燃え上がる蔵は、兵らの懸命の消火活動をもってしてもその火勢を弱めることはなかった。
神森武の手によるものという思いが確信に変わった。あきらかに消えにくいように、消しにくいように手が加えられた火事だった。
だが、あの者はどうやって手勢を町の中に入れたのだ……。
町の門は南北ともに彼奴らの手によって封鎖されているが、こちらも警戒は怠っていない。敵は、佐々木伝七郎と神森武……東の砦の二の舞いは御免だった。
それゆえに今は町の内と外で行き来することはできない状態だったはず。
門の内側は勿論の事、町の周囲に巡らされた堀の内側にも広く兵を配した。頻繁に兵の巡回もさせていた。
これで、どうやって入ってきたのだ……いや、落ち着くんだ。今はそれどころではないだろう。
町の中に籠もっていられたのは、籠もっていられるだけの食料があったからだ。水の心配がなかった故に、町を戦に巻き込むことによる民の不満さえ抑え込められれば、お館様や宇和様らが二水を食い破りこちらに到着するまでの時間を稼げる計算だった。
だが、もうその計算はなりたたない。どうするか……早急に考えねばならぬ。
冷たいはずの夜の庭が暖かい。うっすらと額に汗が浮き上がってくる。
「泉様」
庭に立ち、煙を巻き上げながら赤く燃える蔵の一つを睨んでいると、一人の兵が小走りに駆け寄ってきて呼んだ。
「こんどは何だっ」
足下に絡む襦袢の裾をうっとおしく思いながら、その兵の方を振り向いた。
「ひっ」
兵は、私の顔をみるや、ビクと体を震わせる。
それを見て、落ち着けと思いながら、まったく出来ていなかったことを知る。
駄目だ、駄目だ。落ち着かねばならない。ここで、私までが冷静さを失っては神森武の思うつぼだ。
襦袢の袖で額に浮かんだ汗をこすり、大きく息を吸う。
煙を含んだ生ぬるい大気は、明確に不快だった。だがそれでも、胸の内に澱んでいた負の感情をいくらかは洗い流してくれた。
そして、
「どうしたのだ?」
と改めて、やってきた兵に問う。
兵は、そんな私を見てホウッと安堵の息を吐くと、姿勢を正し直して報告してきた。
「鏡島様、久瀬様、飯田様の使いの者が参っております」
「は?」
思わず、間抜けな声が口から漏れた。それと、ほぼ同時に無理矢理押さえつけていた感情が再び暴れ出す。それを堪えるのは、本当に苦行だった。
「ひっ、あ、その、申し訳ありませんっ!」
「ああ、すまぬ。お主が悪いわけではない。謝る必要はない」
静かに首を振って、再び怯えた兵に詫びる。が、そうやって取り繕うのにどれほどの忍耐力が必要だったか。
兵はビクビクと私の顔色を窺っている。我ながら情けない話だが、ここまで自分が感情を抑えきれなくなるとは思ってもいなかった。
あの馬鹿どもは、いったい何を考えているのか。
ここまで押し込まれているというのに、どうして奴らはこうも他人事なのだ。奴らの屋敷からだって、館に火の手が上がっているのは見えている。見えているからこそ、使いの者を寄越しているのだ。
何故、自身が来ない。奴らは、いま何をしているのだ?
厄介な敵に囲まれ、こちらの用意していた謀も読まれて惨敗を喫した後だぞ? その上で本拠に火の手が上がって、すぐに来ない理由などあるのか? 奴ら、一体何を考えている?
苛立つ気持ちを抑えながら、家老衆どもの使いに会ったが、会ったことを後悔した。
やはりというか、何があったか聞いてこいという、ただそれだけの話だった。怒鳴りつけたい気持ちを抑えるのに、再び忍耐力を要した。
なんとか落ち着き、蔵が燃えたこと――主に食料を備蓄してあった蔵が狙われたことを伝え、消火の指揮を執らねばならないという名分を掲げてさっさと追い返した。
まったく、やっていられない。あの金崎家が滅ぶ訳だ。
あの者らと接触してから妙に納得できた。
結局、付けられた火が鎮まったのは夜明けを迎える少し前の事だった。
水をかけてもかけても火の勢いはなかなか弱まらず、冬の寒空を焦がしながら夜を徹して燃え上がり続けた。
この事からも明らかに人の手による火だと分かる。
その者の思惑通りに、中の物――備蓄された食料がすべて炭に変わった。
やっと火が消えても、それ以上に厄介な問題が残った。そして、これこそが神森武の狙いだったのだと気づく。
だが、すべては手遅れだった。
明け方までかかった消火の指揮で、町を取り囲む藤ヶ崎にどう対応するべきかを考える時間すらなかった。
備蓄されていた食料が燃えても、抱える兵らの腹は満たしてやらねばならない。さもなくば、あっという間に軍は瓦解する。こうなってくると、あの家老衆が隠していた兵力も重荷になってくる。
己の責務の範囲としては、お館様より預かっている水島の兵の腹の心配だけをすればいいのだが、それでは町の外で刃を研いでいる者らに太刀打ちできないだろう。
なんとかしないといけない。
しかし、なんとかするといってもどうする。町は閉ざされていて、今のままでは外から運び込むことはできない。
ここ数日物資の流通が止まり、町では物資不足から急激な価格高騰が起きており、民の不満はすぐにでも爆ぜんばかりに高まっていると聞く。そろそろ米だけでも放出しなくてはならないと、あの家老衆どもに進言しようと思っていたくらいなのに……。
なのに、その米もなくなった。このままでは、軍の崩壊だけでなく、町の民らが暴れ出すのも時間の問題だ。
まったくもって、やってくれた。
神森武……ずいぶんとえげつない真似をしてくれる。
少しでも体を休めようと、宛がわれている部屋へと戻り、白湯を一杯口にしても、心に沸き上がってくるのはそんな怨み節ばかり。
体ばかりか、心もまったく安まらない。
しかも、そんな私に追い打ちをかけるように、誰かが廊下をこちらに向かって走ってくる音が聞こえる。
十中八九……いや、十中十私の下へ走ってきているのだろう。
口から溜息が漏れるのを耐えることは出来なかった。
「なんだとっ?!」
思わず大きな声が出る。
案の定足音は私の部屋の前で止まった。そして切羽詰まった様子で報された内容は、私の想像の遙か斜め上を行くものだった。
流石に予想もしていなかった。
鏡島、久瀬、飯田……仮にも一国の家老の地位にあった者だ。あの者らは明らかに無能だが、それでも一国を統べてはいたのだ。
そんな者が選ぶ行動として、およそありえないものだ。やったら終わりなのは火を見るよりも明らかだろう。
なぜだ……。
館の蔵は燃えた。火を付けられた。当然、あ奴らのところも狙われただろう。私が頭を抱えているように、彼奴らも困ったのは分かる。
だが……だが、だ。それをやったら、自分で自分の首を絞めるだけだと、どうして分からない。
なぜ、町の食料に手を出したっ。