幕 泉清次(一) 金崎家の家老
無事、金崎惟春より金崎家を奪い取ることに成功した。
惟春自身をどうすべきか……。
悩むところではあるが、まだ使い道はあるかもしれない。
宇和様は、『藤ヶ崎との決着が付くまでは』生かしておけとおっしゃっておられた。あの方は私よりも五つは若かった筈だが、非常に頭が切れる。できうるならば、その言に従っておいた方が良いだろう。
まあ、鏡島、久瀬、飯田の三家老を押さえた今、惟春には我らに逆らう力どころか、兵一人動かす力もない。どうとでもなる。
あの者は己に権限を集中させたつもりで、肝心な部分を家老たちの力に頼っていた。あれでは、ただの御輿になってしまうというのに、それにすら気づいていなかった。
だから、その家老たちを押さえてしまえば、簡単にこうなる。
あのような者では、宇和様やお館様が警戒すべき者としてはっきりとその名を口にした佐々木伝七郎や神森武の相手など務まるわけがない。
かといって、血筋だけは本物だから、ただ殺してしまうというのも芸がない。悩ましいところだ。使い道を考えておくべきだろうな。
惟春に実権を取り上げたことを告げたのは、つい半刻前のことだが、流石にまだ気持ちが昂ぶっていた。やるべきことをやっただけではあるが、下級武士の子である自分があの金崎家を終わらせることになるとは夢にも思っていなかった。
お館様が先代に弓引いたことにより、私のような者にもツキが回ってきた。この降って湧いた好機を生かさない手はないだろう。
あれから用意されている自室へと戻り、美和の町を囲んでいる藤ヶ崎の軍とどう戦うかを検討していると、
「泉殿……おられるか」
と、久瀬光政が部屋にやってきた。
「光政殿、どうかなされましたか?」
机の上の油皿を手に取り、光政を出迎える。すでに金崎家家老という地位そのものは価値を失っているが、まだ藤ヶ崎と戦うにあたってへそを曲げられては困る。相応の扱いが必要だ。
襖を開けると、冷たい風と共に笛や太鼓の音が明確に耳に届いた。
せいぜい、油断しているがいい。勝利を勝ち取る前から、あの者らが勝利を祝うというならば、それは結構な事。我々の計画が成功する可能性が高くなる。
そんな事を思いながら、廊下に立つぎょろぎょろとよく動く大きな目を持った老人を見た。
久瀬光政。金崎家に長く使える久世家の当主であり、金崎家を腐らせた者の一人である。占有した富で心と体を腐らせているのは、鏡島典親や飯田友康同様で、ぶくぶくと肥え太らせた体を揺すりながら、とってつけたような笑顔をつくり、こちらを伺うような目を向けてくる。
瞬時に嫌悪感が沸き起こる。
が、それを面の皮の下に隠しながら、こちらも無理やり笑顔を作って、部屋の中に招き入れた。
「惟春様が腹を召したようですな。少々筋書きは変わりましたが、思いの外早く継直殿……いや、継直様の思し召しに沿う結果となったかと」
油皿の明かりしかない薄暗い部屋の中、対面して座った光政はホッホッと笑う。
「……腹を切った?」
「先ほど下女が、腹を召されて冷たくなった惟春様を見つけましてな。私の元にも今の今報せが届いたばかり。……継直様や宇和殿のお考えでは、今少し惟春様には生きていてもらおうとの事でしたが、こうなってはやむをえませんな」
「…………」
やはり、この者らは信用ならん。が、これならばこれで御しやすいか……。
それにしても、あの惟春に腹を切る気概があったとはな。その事に驚きを禁じ得ない。
「しかし、やはりこの方がよろしかったでしょう。あの方が生きていては、これから継直様がこの地を治めるのに幾らかの不都合が出たのは間違いございませんからな。生かしておく利よりも、死んでもらう利の方が……大きかったと今でも思いますよ」
光政は口元を大きく曲げ、嫌らしく笑った。
ふん。確かにそういう側面もないとは言わぬが、お前が……いや、『お前ら』にとって不都合があったが故だろうが。
まあ、いいか。ならば、その言に乗ってやろう。
我々のためにはこれでよかったと言う光政に、こちらもうっすらと笑みを浮かべてみせる。
「……なるほど。これで、町の外で馬鹿騒ぎをしている者たちと戦うのに一々断りを要さなくなったと」
「はい。少なくとも、多少身が軽くなりましたな」
「結構です。では、あちらに『送った』者どもと連絡を取って、明日明後日にも行動を起こしましょう。継直様も宇和様も、あの者らに時間を与えることを危険だと考えておられます。鏡島殿、飯田殿らとともに励まれるがよろしかろう。ここであの者らの首を上げられれば、きっと継直様は貴公らを重く用いて下さいましょう」
「今、この地でもっとも強いのは継直様……そこまであのような小僧どもをお気になさらずとも」
「……その考えは捨てられよ、光政殿。年若いと侮れば、勝つための備えが整ったここからでも、あの者らはひっくり返してきます。惟春殿はご自害なされたが、そこまで追い詰めたのは間違いなくあの者たち。継直様の庇護を得たといえど、彼の者らと戦うならば、その辺りは心得ておかねば痛い思いをすることになりましょう」
気分を害したのか、面白くなさそうな顔で光政は一つ鼻を鳴らした後、小さく頭を下げてきた。これでも、取り繕っているつもりらしい。
「……ご忠告感謝致す。が、惟春様に報告してあった千の他にも、三家でもう千ほど私兵で用意してあります。これに、泉殿が敵中に送った兵百……継直様への手土産を用意するに余りある戦力。ご安心召されよ」
ここまで押し込まれて、どうしてこの者らはここまで自信が持てるのだろうか。己の力を過信するにも程がある。我らとの取引が成立して気が大きくなっているにしても、あまりにも現状を認識する能力に欠けすぎている。
言葉を交わせば交わすほどに不安が大きくなるが、それを無理やり抑えこむ。宇和様のご指示である以上、こんな者らとでも手を組まざるを得ない。
それに、現状こんな者でも下にくっついている兵が重要だ。立場はこちらが上とはいえ、それなりに気を遣ってやらねばなるまい。
「期待させていただきます。それでは、こちらも準備を整えます故、光政殿らもいつでも出陣できるように備えて下され」
「畏まりました」
こちらが頭を深く下げて依頼すると、光政は再び気分の悪くなる笑みを浮かべて、それを了承した。