幕 伝七郎(五) 鳳雛帰還
あれから二度ほど惟春からの襲撃があった。その二度とも、今までと同じ……まずその大半が継直の兵だろう。
山々の間を通る道を抜け、遠くに美和の町が見えるこの位置までやってきたが、まだ有効な問題の解決策は見出せない。問題の先延ばしも、そろそろ限界だろう。
実際の所、私たちが美和に襲いかかるまでは、この身に巣くった虫たちは動き出さないはずだ。現に、蠢く者がいたら速やかに処理するべく半次殿に依頼したが、神楽に捕らわれた者はまだ一人もいない。半次殿は、「徹底しておりますなあ……」と苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
……ふぅ。
目に飛び込んでくる町の中央部に一際目立つ白い壁の館を眺めながら、思わず溜息が漏れる。
町自体も近隣にある山の裾から広大な平地に大きく延びた非常に大きな物で目を奪われるが、その真ん中あたりにある高い白壁に囲まれた大きな館は誰もがハッとさせられるだろう。
有名な金崎家の本館『白雲の館』――通称『白の館』と呼ばれるそれは、館を囲む壁も白ならば、中央に鎮座している本館も、やはり白漆喰で塗り固められ金箔で飾られたど派手な館である。敷地内の建物の大半は流石に瓦葺きの大人しい建物だが、それだけに中央に鎮座する真っ白な建物はひときわ目につく。
普段ならば、それなりに感動を覚えたかもしれないが、今はただただ忌々しいものの象徴としてしか映らない。
先ほど信吾より、また兵が出たと連絡があった。あの館に取り付くまでに、もう一戦あるだろう。
もう夕暮れだ。今夜中に、また宣戦布告の使者がやってくるだろう。戦いは明朝になるに違いない。
この戦いも、おそらく勝てる。だが、その後をどうするか……そろそろ解決策を見出さないといけない。
そして、予想通りに昨夜使いの者がやってきた。
戦いは明朝で、美和の町の眼前にある原野にてと告げられた。
左翼の敵の裏に真紅の旗を翻した騎馬隊が回り込む。朱雀隊だ。『一』と真っ白な文字が書かれた旗の騎馬が先頭で猛然と敵の背後を突いていた。その背後からまるで『ズレ』るようにして『二』の旗が脇に逸れる。敵が『一』の突進に堪らず逃げたところを、『二』の旗が突いている。そこから少し離れた所には『三』の旗が翻っていた。おそらくは臨機応変に事態に対処するために、事態をじっと静観しているのだ。
朱雀隊は武殿の指名で現在柿屋重秀殿が率いているが、その下には武殿の陪臣であるはずの太助らがついている。合流した彼らから武殿が道永との戦いで負傷したと聞いた時には驚きと共に顔が青くなったものだが、この太助らの件も驚いた。どうやら武殿は、太助らを本格的に受け入れるつもりでいるらしい。旗を与え、自らの精鋭部隊の中で磨きに磨くことにしたようだ。
そして何より、驚くべきはただの庶人であった筈の太助らの変わり様だ。いま目の前に広がっている光景は、なにも今回だけのものではない。
合流以降もう幾度も繰り返された光景だ。
個々の力では信吾らにはまだ及ばないかもしれない。だが、三人の連携の力は決して軽んじられるものではなかった。それぞれがそれぞれの得意とする分野を受け持ち、息が合った動きをすることによって、各々の力を膨らまして戦っている。
あれをまともに相手をするのは骨だ。
現に、朱雀隊そのものを指揮している柿屋殿が直接動くところまでいっていない。その前の段階――太助らの所で勝負ありという戦ばかりだ。
信吾もあれを見て感心していた。こんなにも早くモノになるとは思わなかったとも言っていた。
武殿の目はどうなっているのだろうな。
信吾らだけでなく、元々は完全に庶人……それも元服したばかりの者を見出し、それがこの様に化けるなど、常人になしうる事ではない。普通は、見出せずに腐らせてしまう筈だ。
もう三度目だ。ただの偶然などでは絶対にないだろう。
最初は、信吾らを私に取り立てさせた。次にこの太助たち……そして、三度目は神楽……。
皆、普通ならば決して表舞台には立てなかった者たちばかりだ。しかし、実際に用いてみればこの有様だ。
目が前方で乱戦になっている戦場を捕らえる。
守りを固めようと集まる敵を、そうはさせじと太助らが砕き、そこへ信吾の玄武隊が突撃している。そして敵が隊の体を失った所に、神楽の忍び部隊が音もなく襲いかかっていた。
これで、敵勢は完全に戦闘力を失っている。
彼の人の『目』に恐怖を覚えずにはいられない。
武殿を武殿たらしめているのは、動じることを知らない『胆』と、おそらくはあの『目』だ。『知識』でも『知恵』でもない。
そして、それが故に勝てる気がしない。おそらくは、私だけでなく誰も勝てないだろう。
敵の足軽隊を騎馬の速い動きで翻弄しながら削る太助らを眺めながら、そんな事を思わずにはいられなかった。
「う~む……、此度も十八名ほどが降りました。やけに大人しく、物わかりが良いのもいつも通りですな。これで十一度目、そろそろ降った者も三百人近くなりますな……ちょっとした戦力ですな」
先の戦に一区切りがつき、目前へと迫った美和の町に行く前に陣を張った。そこの大天幕にて美和周辺の地図を見ながら思案していたら、入ってきた信吾が開口一番そう言った。なんとも渋い表情だ。
「お疲れさまでした、信吾。やはり、『いつも通り』ですか。美和を直前にして百名の小部隊が襲いかかってくる頻度が上がっている。もう、ほぼ間違いないですね。これは『送り込まれて』いる」
「はい。戦の最中も、伝七郎様のその言葉を気にしながら様子を窺っておりましたが、言われて気にしてみていればあの戦意の低さを異常とみるべきだったと気づかされました」
「これは本当に不覚でした。惟春の兵だと思っていたから、それが普通と見落としてしまった。彼の国の兵は、民同様に死んだ目をした者が少なくありません……強制的に徴用されて無理やり働かされているのだから当然ではありますが。戦うに易い敵……という事になりますが、今回ばかりはこれに騙されてしまった」
「厄介です。このままでは戦えません。もしこれが謀ならば、我々が美和に襲いかかるのと同時に、揃って動き出すでしょう。三百名からの内なる敵が動き出せば、どうやっても混乱は避けられません」
「そこを打って出てこられたらお手上げですね」
眼前に広げられた地図に、私が髪を掻き上げる影が映る。油皿の明かりに作られた私の影は、ひどく疲れて見えた。
「はい。致命的な被害を出す恐れがあります」
「ええ。口惜しいですね。美和は目前だというのに動けない……」
一つの解決策として、最初に連れてきた兵たちだけで戦うという方法もある。引き入れた者らをすべて後方に下げてしまうのだ。
ただ、これは上策とは言い難い。
道中、あの不気味な目をした民らを野放しに出来ず、兵を置いて来ざるを得なかった。それ故に、こちらも今は千五百ほどしか兵がいない。単純にすべて下げてしまうと、美和にいるだろう惟春の兵千名以上と戦う為の兵が足りなくなる。かといって、後方にいる元々連れてきた兵をすべて投降兵と入れ替える訳にもいかない。危なすぎる。
突然の再寝返りによる混乱こそ避けられるが、こちらの力を大きく削ぐという点において、敵の謀を成功させるに等しい。徴兵が上手くいっていない筈の惟春の動きに気づくのが遅れたのが、本当に悔やまれる。
だが、源太や与平からも連絡が入り、北方の対安住の戦場が順調だと知っただけに、ここで私たちが惟春を相手に苦戦する訳にもいかない。
そんな事になったら、源太や与平は完全に孤立してしまう。源太は街道上で、与平の軍は比際峠で行き場を失う。事実上囲まれるようなものだ。安住の軍を挟み撃ちにし金崎領内で孤立させるために北上させた二人を敵に包囲されるなど、笑い話にもならない。
何とかしないといけない。
「……私も、何かよい方法がないか考えてみます」
「有り難う。何か思いついたならば、どんな些細な事でもいいから教えて下さい。そこから突破口が見つかるかもしれない」
「はっ」
「了解。何か考えてみせようじゃないか」
信吾と二人、重い心を振り切るように頷き合った時、すっかり暗くなった天幕の外から知った声が割り込んできた。
無造作に天幕の布が持ち上げられる。
そこには、こういう時にもっとも頼りになる顔があった。