幕 伝七郎(五) 獅子身中の虫 その二
「美和に継直の援軍が入った形跡があるようです。しかし……」
信吾は眉根に皺を寄せながら、少し歯切れ悪く言葉を濁す。
「……私たちが戦った相手を、『私』が知らなかった事ですか?」
「はい。私が知らないだけならば理解できるのです。しかし、伝七郎様は元服と同時に前のお館様にお仕えしたと聞いております。それなり以上の者ならば、伝七郎様が知らない訳がありません。継直の臣のほとんどは元・水島家の者のはず」
「私とて旧臣全員を知っている訳ではありませんし、信吾の言う通り、『それなり以上』ならともかく『以下』なら、もっと知らない者の数は増えます。そも、継直の臣のほとんどが元・水島家というのは事実ですが、『ほとんど』ということはそれ以外の新しく迎え入れた者たちだっているでしょう。現に、私たちとて武殿が神楽や三森を取り込んだではありませんか。継直とて動いているということです」
継直の手が及んでいるとなると、色々と厄介だ。だから、その関与を認めたくないあまりに、信吾は否定する材料を探してしまっているのだろう。気持ちは分かるのだが、ここはただ冷静に現実を見据えないと、むしろ継直の思うつぼとなる。
それは避けねばならなかった。
私は「むぅ……」と唸る信吾の肩を叩きながら、
「なあに、まだ何も起こってはいません。体に虫は入りましたが、まだこの体は動きます」
「今後はどういたしましょうか?」
「判断の難しいところですが、私は方針を変えるのはやめようと考えています」
「今後も取り込み続けると?」
「ええ。先を見据えれば、ここで敵を皆殺しにし続ける訳にはいきません。それをやってしまうと、金崎を取り込むところまではいいでしょうが、いざ継直と戦おうという段階で困ることになります。まったくもってあの男が好みそうな、なんとも嫌らしい搦め手ですね」
思わず溜息が漏れる。
ここで目先の処置をすれば、いざ継直との決戦に臨もうという段階で私たちはとてつもない代償を支払わされることになる。併呑した土地を抑えこむための兵を補うことにも苦労することになるだろうし、領内の民に予め我らの事を殊更悪し様に喧伝しておけば、民の恐怖心を煽ってこちらへの造反を防ぐことにも利用される。
「そういう事ですか」
「ええ。おそらくは」
なんとも苦々しげに顔を歪める信吾に頷いてみせる。
「……もしかすると、継直ではなく宇和一成の謀かもしれませんが」
「宇和一成?」
「ええ。実際に会った事も一度だけあります。私同様に武芸の腕はからっきしの上、彼は下級武士の子だったのであまり名前は知られておりませんが、一度彼と共にお館様の御前に呼ばれた事があるのですよ……彼は『切れ』ます」
「伝七郎様や武殿のように?」
「……もしかすると、彼は武殿に匹敵するかもしれません。認めたくありませんが」
「認めたくない?」
「武殿も非情になる時はなります。たとえば、二水での件のように」
「はい」
「でも、あの人は何も感じていない訳ではない。痛む心に耐えてやる。でも宇和一成は違うのですよ。彼は、自分以外の者がどうなろうとなんとも思わないのです。私は、そこがどうしても相容れませんでした。お館様も、あの者の知識と知恵は認めておられたのですが、そこの部分が引っかかっておられたようです。彼の性分では、主家でさえも駒としか考えないでしょうからね」
「なるほど」
「お館様は私たちのように武芸以外に活路を見出した者にも目をかけて下さっておりましたが、そういった理由があって宇和一成を取り上げようとはしませんでした。彼は、その事も恨んでいるのかもしれませんね。きっとこう思っていたでしょう。『自分よりも愚かな者たちが重用されていくのに、なぜ自分は』と。水島はお館様のお考えもあって、比較的知も重んずる風潮はありました。故に他家に比べれば、ずっと私たちのような者にも活路が見出すことが出来たのです。しかし、それでも彼は受け入れられなかった……彼の知恵には血が通っていなかったから。それが致命的でした」
そう説明した私たちの顔に、積もった雪を巻き上げた風が叩きつけた。信吾は顔を顰める。冷たい風のせいか、私の説明のせいか分からなかった。
曇天のせいで日の見えぬ空を見上げ、説明を続ける。
「私が聞いている話では、継直のところではこの宇和一成が引き上げられているとの事です。武殿が貴方たちを『三本旗』と呼んで、その名を広めているのは知っているでしょう?」
「ええ。面はゆくはありますが、お陰様で武士として世に名を売ることができました。感謝しております」
「名を本物にしたのは信吾らの実力です。胸を張っていいと思いますよ」
「はっ。有り難うございます」
「武殿とて、貴方たちの力を本物と見たからこそやったのでしょうし」
「と、言いますと?」
「武殿や私も平八郎様に大層な二つ名をつけられて広められましたが、武殿も同じ事をやったのですよ」
「??」
信吾は顎に手を当てて、首を傾げてしまう。
「貴方たちの力が本物だからこそ、その力に名をつければそれが更なる力となるのです。敵は、貴方たちのその名に怯えるでしょう。噂だけを聞く末端の敵兵への影響は、なお大きな物になるでしょう」
「そういう事ですか」
「はい。だから勘弁してあげて下さいね」
「勘弁などとんでもない。先ほども申し上げましたが、感謝しております」
「ならばよかった。おっと、話が逸れましたね。継直は、その私たちが広めた『名』に対抗策を講じたらしいのです。それが『三爪』。継直が好んで使う印『八咫烏』の足に例えたようですね。一本は、継直の守り役だった松倉秀典……秀典様です。かつては、平八郎様と共に水島の『二倉』と呼ばれた宿将です……この人は信吾も知っているでしょう?」
「はい。平八郎様同様に下の者たちからも慕われておりましたから。当時の立場が違いすぎて直接の面識こそございませんが、もちろん存じております」
「ええ。おそらく、今の継直の陣営にあって唯一の良心と言える方でしょう。それから、この者は私も詳しくは知らないのですが、鬼島彦十郎。この者は、どうも新しく取り立てた者のようですね。騎馬を扱うのが上手く、槍も相当な腕前だとか。今回の継直の津田領侵攻で一気に名を上げているようです。津田の兵を正面から次々と打ち破って、継直の軍に道を作りました」
「源太みたいなものですな」
「ええ。ただ、源太よりも彼の者は非情ですよ」
「と、言いますと?」
「侵攻時に少しでも逆らった村や町は降伏することも許されずに、住人ごと焼き払われたそうです。女子供の区別もなく」
「……ずいぶんと激しいですな」
信吾は細い目を更に鋭く細めた。
「ええ。おそらく、彼らもこの争いが時間の勝負だということを理解しているのでしょう」
「で、その時間の戦いに勝つために、そういう方法を選んだ、と」
「だと思われます」
「むう……」
「継直の気性にも合っていますしね。それに……こういう方法をさらっと進言しそうなのもいます」
「それが宇和一成……」
信吾が呟くように言った言葉に頷いてみせる。
「その通りです。そして、彼が最後の爪です」
「松倉様、鬼島彦十郎、宇和一成……」
「私とて必要であれば、そういう方法を選ぶこともあるでしょう。それは……おそらく武殿も同様だと思います。そのぐらいの覚悟はしておりますから」
「はい」
「ですが、宇和一成ならあっさりとこれを選びます、間違いなく。これを継直に進言したのも彼かもしれませんね」
「どうして、そう思われるのです?」
「私たちとの時間の勝負だけを考えるならば、一番手間がかからない方法ですから」
「そういう事ですか……」
「ええ、そういう事です。彼にとって敵の村人の命など考慮するに値しないのです。たとえ、これから自分たちの民になる者であろうと、それは大して差はありません」
「それらが津田を侵略し終え、今、三浦・徳田の連合軍とぶつかっている。しかし……」
「ええ、実のところ、その目はしっかりとこちらを見ているようです。もうすでに、その手はこちらにしっかりと伸びている。だから、私たちも目の前の惟春だけを見据えていては不味いのですよ。まったくもって厄介な話ですが」
嘆息する私に呼応するように、信吾も深く重い息を吐いた。それは真っ白な塊となった後に、冷たい風の中にかき消えていった。