第二十話 酒に呑まれたぞ でござる
神森武です。あっさり酔い潰されました。
朝、気が付くと地面の上で大の字です。なんか頬も痛いです。おまけに喉の渇きが尋常じゃなくて、胃のむかつき方も半端ではありません。朝日がこんなにアグレッシブだとは、この日までついぞ気が付きませんでした。
「う~……。眩しすぎるだろ、自重しろ太陽。くそう。再びこれを味わう事になろうとは……、ぎもぢわりぃ~……」
やたら攻撃的で、刺すような光を寄越すライジングサンに八つ当たりしながら、目を擦る。
陽の高さを見る限り、まだ早朝もいいとこ早朝の筈だ。
とはいえ、侍女たちはもうすでに起きて朝食の準備をしてくれている。有難い事です。
しかし、今日ばかりはその有難味も素直に感じられない。食べ物の匂いがむかつく胃袋を刺激する。二日酔いでさえなければ、胃の虫も歓迎の宴を開き、踊り狂って楽器をかき鳴らした事だろう。
しかし、今俺の相棒のストマック軍曹は瀕死の重傷を負っている。俺の屍を越えて行けと、良い笑顔でぷるぷる震えながら、親指一本立てている有様だ。
まあ、ぶっちゃけ匂いも臭いになっている。やばい。吐きそうだ。
「あー……。おはようございます。武様」
「ん……。おはようございます。武様」
「んん。あててっ。昨日はちと飲み過ぎたな……。武殿、おはようございます。大丈夫ですか?」
「ふぁぁ……。武殿、おはようございます。おや、どうされたので? 朝から顔色が優れないようですが?」
雑魚寝をしていた面々が目を覚ます。
まずは与平が。それに続くように源太、信吾、そして、伝七郎と次々目を覚ました。そして、それぞれが上半身を起こし、土の上に胡坐をかいて座ると、こっちを見ながらおはようと挨拶してくるのだ。
うむ。おはよう……と言いたいところだが、目下俺はそれ所ではないのだよ。
そして、優れないどころの騒ぎではないのだ、伝七郎っ。
「お、おはよーさん。悪い。ちょっと吐いてくる……」
そんな俺をきょとんとした目で見ている伝七郎。そりゃ、おまえは早々に潰れていたからな。何が何だかわからんだろう。
だが、残り三人は全員加害者だっ。
与平はにやにや笑い、源太はフッと口元を歪めてクールな態度をとっちゃあいるが、要するにこいつも笑っていた。そして、信吾の奴に至っては誰憚ることなく大口開けて、がははと大笑いしてやがる。
くそう。こいつら、今に見てろよっ。
がんがんズキズキと痛む頭と、止まる気配のないカウントダウンを刻む胃袋を抱えて、奴らを呪う言葉をいくつも頭に浮かべながら、俺は近くの藪へとダッシュした。
出すもの出してすっきりする。そして、そのまま顔を洗って口を濯いだ。
そうすると、先程よりは少しはましな気分になって、瀕死だった相棒も粥くらいは食わせろと怒鳴り出す。ストマック軍曹は一流の軍人であった。よって食える時に食うのだ。我が事ながら、成長期の胃袋ってすごいよな。
侍女たちが出来立ての朝食を運んできてくれる。残念ながら、お菊さんは給仕の当番ではなかったようだ。姿が見えない。残念だ。
そして、俺たちは輪になって、侍女たちが作ってくれた粥を胃に流し込みながら、今後の予定を打ち合わせた。
いくらかマシになった胃のむかつきと、未だこめかみ辺りに突き刺ささる頭痛に顔を顰めながら、胡坐をかいて、碗を片手に周りを見渡す。
眠り足らぬと言わんばかりに欠伸をぱかりぱかりとしながら飯をかき込む与平。しきりに体をバキバキと鳴らしながら伸びを繰り返している信吾や源太。皆まだ眠りより覚めきらぬ体と頭を持て余していた。
その中で、伝七郎の奴は比較的しっかりしたものだ。欠けたぼろ茶碗によそわれた粥を屋外で掻き込むという野趣あふれる食事風景なのだが、胡坐こそかいているものの、背筋はピンと伸び、落ち着いた所作で箸を運ぶ。あきらかに育ちが出ていた。
俺は紛う事なき一般庶民の出だし、他三人も農民出身だ。こういうなんでもない所にどうしようもない格の違いって出るよね? と思わずにはいられなかった。
もっとも、それが分かったからと言って、今更直す事もできなければ、直すつもりもない訳なのだが。
まあ、それはいいとして、だ。
「で、だ。伝七郎。俺ら今どこ向かってんの?」
碗を片手に箸を振り振り、そんな事を聞いてみる。
道永を撃退できたのは良いのだが、このままではじり貧だ。まず、何をするにも拠点が必要だ。今の流浪軍のままでは、何もできない。ぶっちゃけ、山賊するのにだって拠点はいる。
「はい。元々、武殿が合流する前から、我々は藤ヶ崎という所にある館に向かって移動しておりました。しかし、道永の軍に接近され、これを迎撃する為にここに陣を張っていたという次第ですが、無事迎撃も完了したので再び藤ヶ崎に向かって移動します。おそらく、それ以外の場所はもうすでに継直の手に落ちているでしょう。しかし、藤ヶ崎には平八郎様がおられるので、そう易々とは落とせてない筈です」
ほう。それは朗報。拠点がないと言っていたから、もっと絶望的かと思ったら、当てはある訳か。とは言え、近々の情報が未確認だな。それに……。
「偵察は? まだだったら、念の為落ちてないかどうか、先に偵察送って確認しとけよ?」
「無論すでに送ってあります」
小慣れてきたのか伝七郎の動きが早い。やっぱ、俺らの世界の戦とは、慣習的に下地となるものが違っていただけで、こちらの世界の人間の素質が極端に劣るという事はなさそうだ。もっとも伝七郎だけが特殊という可能性も捨てきれないが。
「そっか。それなら後は戻るのを待つだけだな。それで、その平八郎というのは何者だ?」
「平八郎様は菊殿のお父上で、二代前のお館様から水島に仕えられている水島の重臣です。かつては水島家の侍大将を務めておられました。一線を退かれた後、お館様のたっての頼みで、藤ヶ崎の守りに着かれておられます。」
そして、「私が水島に仕える事になった折に、大変お世話になった方なのですよ」と言葉を結び、伝七郎はどこか誇らしげに微笑んだ。
お、お菊さんのお父様かよっ! それに二代前って多分歳食ってるよな? 余裕で宿将の類だろ。
お菊さん、まず間違いなく俺とほぼ同年齢。
親父さん……頑張ったんだな……。
この世界唯一の日本男児として、これは負ける訳にはいくまいっ。……とはいえ、その為にはまずパートナーが必要だけどなあ。お嬢さんくれんかなあ。
「ほう。それはまた会えるのが楽しみだ」
俺は負けじと不敵な笑みを作って、そうぶってみた。
「武殿。永倉様はなかなか頑固な御仁でございましてな。情には厚いお方ですが、真に実直で真面目なお人柄でございます。きっと骨が折れますぞ?」
信吾がニヤリと笑いながら、そう言葉を付け足してくる。
いやあ、その、なんていうか、つまり、お菊さんのお父さんって事ですね?
「ま、ますますもって会うのが楽しみだ。あは、あははは」
頑固親父いや親爺か。どれ程のものが出てくるのだろうか。せめて、お菊さんの父親じゃなかったらと思わずにはおれんが、こればかりはどうにもならん。
この爺の存在は俺に対する挑戦と見たっ。俺は絶対に負けんっ! 必ず勝ってみせるっ。
「えーと、藤ヶ崎館というと領内南東の端っこの方だったよね? こっからだと二日くらい?」
「いや。それは、おまえが一人で行けばの話だろ? 軍を連れて、まして女の足もあるんだ。三、四日はかかるだろう」
与平が遠くを眺めながら思案気に言えば、源太がそれを訂正する。
「なるほろ。あてて。なんか朝から頬がチクチクするんだよなあ。なあ、どうかなってる?」
奴らの話を聞きつつ粥を掻き込んでいたのだが、またもや頬にもやもやチクチクと違和感を感じる。
それに疑問を感じ、頬を見せるようにして、そう言ったのだが……。
「へっへっへっ。そいつは当然ってもんですよ。武様。昨日、強烈な一撃をもらってましたしぃ」
与平の奴は碗と箸を下に置くと、そりゃあもう楽しそうに勿体ぶった言い方をする。ニヤニヤと厭らしい笑顔をその顔に貼りつかせて。
へ? それは如何なる事ぞ?