幕 伝七郎(五) 獅子身中の虫 その一
おかしい……。
すでに美和は目前にあり、我が軍は金崎軍を圧倒し続けている。この状況だけを見れば何も問題はない……ないように見える。
だが武殿は、もう惟春には私の進軍を阻みに来る力はほとんど残っていない筈だと言っていた。
確かに私たちに向かってきたのは、軍と言うよりも隊と呼ぶべき小規模なものだった。しかしながら、百の隊とて八度もやってくれば、その合計は八百……今の惟春にそれだけの余裕はない筈。仮にあったとしても、こんなに小出しにはしない筈だ。正直、時間稼ぎの捨て駒以外の何物でもない。あの者に、そんなことをする余裕はすでにない。
なにせ、もう私たちはこんな所まで来ているのだ。
もうあと十里も進めば美和の町も見えてくる。ここまで切羽詰まった状況で、あの金崎惟春が自分の側に兵を置かずにけしかけてくるだろうか。
先ほどの戦いも、やはり百だった。美和へと続く山道で戦いを挑まれた。その前は山道に入る前の原野で。その前は街道上で。『形』通りに、宣戦布告から始まって正面切って襲いかかられた。
だが、その数は毎度ほぼ百……こちらの人数は、武殿の朱雀隊も合流したから投降させた者らも合わせれば、そろそろ二千五百になろうかという数になるというのに。もっとも、うち千は道中でおいてこざるをえなかったから、実際の所は千五百といったところか。しかし、それにしても百で襲いかかるような数ではない筈だ。
これが武殿みたく戦うというならば、まだ分かる。だが、あの者らは毎度当たり前に戦い……そして当たり前に私たちに敗れている。
やはり妙だ。
「こちらにおられましたか」
寒風で頭を冷やしていると、後ろから声をかけられた。
ここからしばらくは細い山道が続く。兵たちに早めの休憩を取らせたが、そちらが一段落したらしい。
「ああ、信吾。ご苦労様です」
そう言って、先日金崎軍の襲撃を退けて取り込んだばかりの、眼下に広がる村落から目を離し振り向く。気持ち的には、この一時目を離すことすら憚られた。それほどに悩ましかった。だが、信吾を無視する訳にもいかない。
「なんの。伝七郎様に比べれば、大した苦労などしておりません」
私が振り向くと、信吾はいつものごとく細い目を更に細くしてカラカラと笑った。
「なかなかどうして、難しいものです」
彼を不安にする訳にもいかず、懸命に取り繕って笑顔を作って言う。しかし、私のそんな作り笑いなどは簡単に見破られる。信吾は、すぐに真顔になって問うてきた。
「……この度重なる金崎の攻撃についてですか」
私も取り繕う事は止めて、素直に頷く。
「信吾の目にも、やはりおかしく映りますか」
「それは……まあ。ここまで小出しにしなくてもいいのにと思わずにはおれませんからな。金崎惟春が何を考えているのか。正直、とんと見当が付きません。ただ、まあ勝っているには違いありませんからな。この事態をどうとらえるべきか捉えかねているというのが本当の所です」
そう。そこだ。確かに勝っている。それだけに問題がないと言えばない。だが、それこそが問題だと思っている自分がいる。どうにも気持ちが悪い。
それに、問題はそれだけではない。
私は振り向いた体を元に戻して、再び村へと視線を移した。
ここからでは何も見えない。だが、目に入る村の全貌とともに『あの目』が思い出される。
道中、支配下に置いた村や町の民に共通した、あの目。この村も同じだった。あの異常なまでに無気力な目は一体何なのだ。
抵抗がないのは願ったりなのだった。だが、不気味すぎる。どう統べたら民の目がああなるというのか。
あれでは、何をするか分からないから放置できない。最低でも地区ごとに、そこそこまとまった兵を置いていかざるを得ない。
正直、少人数の敵兵を屠るよりも余程に兵をとられてしまっている。
現状の私たちの状態を考えると、一ヶ所二ヶ所ならばともかく、支配下におく村落が全部こんな状態では非常に厳しいと言わざるをえないだろう。
兵を死なせた訳でもないのに、もう千人近くの兵を失ったに等しい。
私たちは、惟春に嵌められているのだろうか……。いや、あの者には無理だ。かといって、このような状態を意図的に作り出してくるような知者が金崎家にいるなどという話も聞いた事がない。
偶然だろうか……私の気の回しすぎか。
「……さま。伝七郎様」
ふと気がつけば、信吾が私の顔を覗き込むようにして心配そうにしている。
いけない、いけない。最近、考え込む癖がついてしまった。そう言えば、武殿も同じような事を言ってぼやいていたな。
「すみません。少々、考え込んでいました。それで、私に何か用事でもありましたか?」
信吾が私を探しに来たことを思いだし、尋ねる。
「はい。まさに今伝七郎様が悩まれていることに繋がると思うのですが、半次殿が伝七郎様のお耳に入れておいた方が良い、と」
「半次殿が?」
彼には美和の様子も含め、周辺の調査、偵察など本当に多様な仕事を受け持ってもらっている。武殿と出会って以降、私たちはこういった情報の収集を綿密に行なうことを推進してきたが、神楽衆が私たち水島家の傘下に入ったことによって、この部分が大幅に強化された。
「はい。正直、不味い報せです」
「不味い……ですか」
「はい。どうも、この繰り返し襲ってくる金崎の兵ですが……継直の援軍のようですな」
「……なんですって?」
これが本当だとすると、不味いなんてものではない。私たちは、その一部を『投降』させている。
惟春の兵だと思っていた。だから、無駄に殺すのではなく投降を認めた。そして、同時にこちらの兵の増員も図っていたのだ。だが、これが継直の手の者だとすると話は変わってくる。
あの継直が、こんな馬鹿げたやり方で私たちと戦うための大事な兵を失うことを許すとは思えない。にも関わらず、これをやったとするならば、そこには何かの意図が必ずあるという事になる。
私たちは……この体に『虫』を宿してしまったのだ。
今更、投降した者らを皆殺しにするわけにはいかない。そんなことをすれば、今後の国家運営に支障を来たす。人の口に戸は立てられないのだから。
虫とそうでない者とを分ける術もない。もう、この身に飼い続けるしか道はないのだ。