第二百九十九話 いざ、再び修羅道へ でござる
「あっ! 駄目なのじゃ! メッなのじゃ!」
リハビリを兼ねて縁側に立ち庭を眺めていたら、後ろの襖が開いていきなり駄目出しを喰らう。
千賀に泣かれてすでに五日が経つのだが、こいつはあの日以降、毎日俺の部屋を訪ねてきては、俺が『良い子』にしているかをチェックする。
意識不明の一週間も合わせて、俺が倒れてからすでに二週間が経とうとしている。
本来ならば、まだ安静にしているべきだというのは実に正しいのだが、状況が状況だけにあまり悠長な事もしていられない。どうしても気持ちが急く。
「姫様の言う通りですよ。もう少し……もう少しだけでも体を休めて下さい」
どうやら菊も一緒に来たらしい。
「ん。分かってはいるんだけどね……」
そう言いながら振り向くと、ほっぺたを大きく膨らませてこちらを睨む千賀と、ひどく切なげな視線で俺を見つめる菊が目に入った。
……ごめんな、二人とも。
特に菊は、薄々勘づいているかもしれない……近々戦場に戻ろうとしていると。
あれから、鬼灯より戦況の報告を何度も受けていた。もちろん、千賀や菊がいないところで。
それにより、悠長に寝ていられなくなったのだ。
戦況は悪くない。実に……実に順調である。
だが、順調すぎた。
伝七郎らは、もう惟春の首に手が届きかけている。
実際の所、惟春には伝七郎の進軍を何度も妨害できる兵力はない。だから、美和までは割とあっさりと到着できるというのは予想通りなのだ。
しかし、伝七郎らはもうすでに『何度も』小部隊を撃破しているという話だった。
ここが、まずおかしい。
伝七郎らが金崎の小部隊を撃破したからといって、おかしいところは何もない。だが、今の惟春のどこに、小部隊とはいえ何度も伝七郎を襲うだけの余裕があるというのか。
惟春の性格からいっても、この窮地において自分の周りの兵を割くというのはおかしすぎる。
つまり、伝七郎が破った兵は本当に『金崎』の兵のなのか……と疑わずにはいられない。
次に源太や与平だ。
両方とも相変わらず交戦した形跡がないようだ。
このうち与平の方は、特に問題なく動けていると見て良いだろう。だが、源太の方は……俺の予想が正しければ、『順調に動く事を許されている』。『あいつ』に。
爺さんと敦信は……特に問題はないだろう。
爺さんは無事南方からくる佐方の軍を追い払うことに成功し、一部の将兵を残してこちらに戻ってくるらしいし、敦信も東の砦へと続く細道にて佐方軍を撃破。今は佐方領へと敵兵を押し戻す作業に移っているとの事。
臭うのは『金崎領』。南は問題ない。
「……けるっ! たけるぅっ! むしするでないっ!」
いかんいかん。最近、ふとした拍子に考え込む癖がついてしまったな。
俺の足下で、着物の裾を引っ張りながら喚くちっこいのに教えられる。
「ああ、ごめんごめん」
俺は千賀の頭を乱暴に撫でてて誤魔化した。
だが、そんな俺を見て、更に瞳に濃い哀しみの色をのせる菊。
彼女は、おそらく口に出かかっている言葉と戦い続けている。
行かないで――――そう言いたいに違いない。
でも、彼女は聡明だ。だから、今戦わない事が何を意味するのか……それを十分に理解できている。それ故に、感情にまかせて言葉を口に出来ないでいるのだろう。
「菊……」
「……はい」
「ごめんな」
「……くすっ。貴方の目は、本当に何でも見通すのですね。さすがは『鳳雛』……」
菊は寂しげに笑う。自分の言いたい事を承知の上で、俺が詫びたからだと思う。
「菊……」
俺は、愛する『妻』に一体どんな言葉をかければいいのか。
鳳雛って奴は、存外能なしだと思う。
自嘲せずにはいられない。
言葉を発しかけては呑み込むという動作を何度かしていると、千賀が割って入ってきた。
「武っ!」
「うおっ?! いきなりなんだよ」
「菊をいじめちゃだめなのじゃっ! メッじゃぞ!」
そう言って、千賀は唇を尖らせる。
……そっか。千賀にはそう見えるのか。いや、でも間違っていないよな。
「……そうだな。うん。菊……重ねて言う。ごめん」
「……私は」
「ん?」
菊はそこで言葉を切ると、静かに微笑んだ。やはりひどく切なげに。
「そんな貴方に愛された自分が誇らしく……そんな貴方を愛してしまった自分が呪わしい……」
菊の熱く真っ直ぐな言葉が、俺に突き刺さった。その言葉は……彼女の想いは、俺の魂を喜ばせ、そして同時に叩きのめした。
「菊……」
「武っ! だから、メッなのじゃ! 菊をいじめちゃ駄目なのじゃっ!」
千賀は、お姉ちゃんを虐める悪漢に再度注意する。俺の着物の裾は千賀の小さな手に握られ振り回されて大変なことになっていた。
そんな俺たちを見て、菊は寂しげな笑みを隠し、少しだけいたずらっぽい表情をする。
「菊?」
そして、言った。
「……メッ、ですよ?」
それから俺は床に戻り、千賀にお話しをして聞かせ、菊とも静かな時間を過ごした。血生臭く荒んだ俺の精神が癒やされる時間だった。
そして夕方になり、菊が千賀を連れて部屋を出て行った。それと入れ替わるように、俺の部屋を訪れる鬼灯。
癒やしの時間が終わり、再びこの身が『戦場』へと引き戻される。
彼女は、俺が指示していた案件の調査をして、その結果を報せに来てくれたのだ。
「継直は、津田領を占領し終わりました。しかし、それと同時に三浦、徳田との戦に突入しております。三浦と徳田は対継直を旗印に同盟を結んだようですね」
以前やっておいた流言が効いているらしい。
継直が津田領を侵攻している最中にも、俺の流言のせいでそれぞれが継直と敵対したが、継直の勢い止まらず津田を併呑するに到り、協力を決定したのだろう。
「……こちらに来る様子は?」
「今のところは、それどころではないと思います。しかし……」
「しかし?」
「千人ほどではありますが……富山に新たな兵が集められているとも聞きます」
「……やはり臭いな」
「はい」
今、この状況でもっとも得をしている者は誰か。
それは継直だ。
継直は、金崎と安住のそれぞれと同盟関係にある。だから、『安全』に金崎領に兵を出せる。惟春には、対俺たちを条件に援軍という形で兵を送る。今の惟春ならば、この条件をつけても援軍を望むだろう。安住には、安住軍との不戦を確約する。だから、互いに不干渉と交渉を持ちかける。安住にしても、今継直と事を構える利は無く、継直の状況を考えれば、己らが『早さ』で負けるとは思っていないだろう。故に、これも成立する。
これは、まさに継直が一番望む形だろう。
なぜなら、他の誰よりも俺たちを知っているから。
多分、継直はこの金崎領を巡る戦いの勝者は『俺たち』だと見ている。だからこそ奴は、いま多少の無理をすれば俺たちの後背を突けるこの好機を『シカト』しているのだ。そして、少数の兵を何度も俺たちにぶつけて、時間を調節している。
奴の狙いは、俺たちが美和を落とすその瞬間。俺たちがもっとも傷つく、その一瞬。
ここで藤ヶ崎を攻略するために『楔』を入れに来る筈である――二水の地に。
その時に俺たちは、俺たちの戦力――つまり伝七郎の本隊が傷ついていたら、打つ手なしになる。この時には、継直は三浦・徳田との戦線には最低限の兵力を残して転進してくるだろうから。
道永を倒した時の兵の数がおかしいと鬼灯から聞くまで、正直すべてが俺の手の中にあると思っていた。
それで調べてみればこの有様だ。
とんでもない思い上がりだった。正直、現段階での継直と俺たちはイーブンの状態だと言わざるを得ない。
『倒した敵兵の概算は六百ほどです』
石巻が二、三百。道永の直卒の兵が数十だった筈。なのに、倒した敵が六百では数が合わない。正確なところは分からないが、ほぼ間違いなく誤差分は安住の兵の筈だ。
だが、地理的にどうやって安住の兵が道永の元まできた? 惟春にとっては安住も侵略者――敵だ。
安住にとって、俺たちは金崎領を巡る陣取り合戦のライバルだから、俺たちの急所を突くように道永を利用しようとしたのは分かる。だが本来は、道永の利用は安住にとって打ちたくても打てない手だった筈なのだ。地理的に無理がある。
では、どうやって?
流石に、ここまでくると憶測が強くなりすぎて口に出して断言するのは憚られるが、まず間違いなく継直が暗躍したはずだ。もしそうであれば、伝七郎が直面している不可解な戦況にも一応の説明はつく……というか、多分それで正解の筈だ。継直は、逃げた道永の居場所などはとっくに掴んでいたのだ。そして、一番効果的に利用できる機会を図っていたのだ……。
やはり不味い。
「今夜出る」
「菊姫様は?」
「黙っていく」
今この館にいる俺の兵は、この鬼灯を合わせて数名の神楽衆のみ。こっそり出て行けない数ではない。
「哀しまれますよ?」
「……分かっている。でも、許してもらえるように説得する自信がない」
「本来は、まだ養生が必要な時期ですしね」
「まあ、幸いな事に、多少は体も動くようになってきた。なんとかなるさ」
「私としても、本来はもう少しだけでも養生していただきたいのですが」
「それが出来ないのは、鬼灯になら分かるだろ? ここで寝ていたら、今度こそ本当に不味い事になりかねない」
「はい……」
「だから、協力してくれ。頼む」
「……私は、武様の臣として、この頼みを聞き届けるべきなのか判断に迷います」
「すまんね」
俺は、苦渋に満ちた様子でそう言う鬼灯に、小さく一つ頭を下げた。
夜――俺は藤ヶ崎を出られずにいた。この夜は、菊が遅くまで俺の部屋で俺の世話をしてくれていたせいだ。
俺が寝るように言っても、もう少し、もう少しと珍しく言う事を聞いてくれない。
しかし夜が更ける頃、菊は俺の床の横でうつらうつらとし始めた。そりゃあ、そうだ。連日俺の世話をしてくれていたのだ。疲れも限界に達しているだろう。
俺は、上着を脱いで菊にかけてやった。申し訳ない気持ちで一杯になりながら、目を閉じて頭を垂れている彼女を背中から抱きしめる。
そして、
「ごめんね。それから、『行ってきます』」
そう言って、彼女の頬に唇を寄せる。
俺は、用意していた手紙を寝床に置いて、そのまま部屋を出た。
「武様、どこに向かうので?」
馬を走らせながら、鬼灯は俺に尋ねてきた。
「伝七郎に追いつく。まずは、美和の決戦をなんとかしないと俺たちに明日はない」
こんな出立をして、何も出来ませんでしたなんてことになったら、菊に合わせる顔がない。水島の未来もそうだが、俺の男としての誇りもかかっている。二重の意味で負ける訳にはいかなかった。
そんな俺の顔を、鬼灯はしばらくの間じっと見ていた。そして、言う。
「……菊姫様、起きておられましたよ」
「へ?」
「起きておられました。たぶん、目を開けば口からは止める言葉しか出てこないから、目を閉じたままでいる事を選ばれたのでしょう」
言われてみれば、もっともだと思えた。武術の達人でもある菊が気がつかない訳がない。
「……そっか」
「必ずお帰りなさいませ」
「もちろん、そのつもりだ」
俺はキンと冷える夜風を身に受けながら、馬に鞭を入れる。夜空には数多の星が輝いていた。
12/18 何故かごっそりと抜け落ちていた継直の暗躍を疑う部分の文章を追加しました。