第二百九十七話 妖怪のぞき見幼女が出た でござる その一
こりゃあ、しばらくは動けんな……というか、動く事を許してもらえそうにない。
「……また、そんな難しそうな顔をして。駄目ですよ? 今は療養に専念して下さい。貴方の思いの尊さは、他の誰よりも理解しているつもりです。……でも、私には今の貴方を送り出すことだけはできない。せめてもう少し……もう少しだけでも体を直して下さい」
目を覚まして、そろそろ三日目の昼。
毎日ずっと側について、甲斐甲斐しく世話をしてくれる菊のおかげもあって、俺の体は本当に少しずつではあるものの、体力を取り戻し始めている。
菊は、伝七郎や信吾らが、重秀や敦信や太助らが、俺に少し休む時間ぐらいはくれるからと、毎日の日課のように俺を諭す。
「そうですね。今少しは養生をなさった方が良いと思われます。解毒の方は上手くいったようですが、そこまでにかなり消耗なされています。ここから先は医者の領分になると思いますが、おそらくは医者もまだ動いていいとは言わないでしょう」
床に寝た俺の左肩に巻かれたさらしを結び直しながら、鬼灯も菊に同意する。
俺の体を冒していた毒は、安住領にある忍びの里の者がよく使うものだったらしい。そこの者らと何度も火花を散らしてきた神楽の忍びである鬼灯には、その毒に造詣があった。それ故に、俺は大事に至ることなく、こうして生き残ることができたらしい。本来ならば、あのままお陀仏になるのが通常なのだとか。
流石に整形外科技術が発展しているなどということはなく、肩に結構派手な傷痕が残ってしまうだろうが、こうして左手も無事に動く状態で回復に向かっているのは、本当に奇跡的な運の良さだったと言わざるをえない。
もし鬼灯が……神楽がこちらにいなかったら? いたとしても、もう少し処置が遅れていたら?
確実に、あの場所がこの世界の『落鳳坡』となっただろう。
「そうだね。二人にそこまで言われちゃあ、もう大人しくしているしかないな」
「そうされた方がよろしいいでしょう。あれから届いている話では――――」
鬼灯は、俺が少しでも落ち着いて休めるようにと現在の各戦場の状況を拾って教えてくれる。もし悪い状況だったら誤魔化された可能性が高いが、それぞれの戦況はすこぶるよかった。だから、教えてもらえる。
笹島に向かった伝七郎は、中之島に止まっていた鏡島丈通を無事撃破し更なる北上を開始しているそうだ。中之島を拠点として周辺の村々からも絞れるものは人も物もすべて搾り取って戦おうとした鏡島丈通は、伝七郎によって内側から崩されたそうだ。半次らを使って、民の叛心を焚きつけろと伝七郎には言っておいたが、うまくやったようだった。
それぞれの役目が役目であるため、源太・与平らとは連絡がついていないとの話ではあるが、戦いがあったとか撃破されたという報せは一切入っていないらしい。鬼灯曰く、『これは、まさに報せがないのがよい報せの典型でしょう』との事だった。これは、俺も同意だ。
爺さんはこの前教えてもらった通りに佐方を南方に押しやることに成功しているようだし、敦信の方もまず時間の問題だろう。
確かに、俺が少し休むくらいの時間はある。
俺の部隊自体は、重秀や八雲がしっかり動かしてくれている訳だし、太助や吉次も想定以上に力があることをすでに証明してみせてくれた。
大丈夫だろう。
「……そっか。皆には迷惑をかけるが、こんな状況ならばヨタヨタと戦場に向かう方がそれ以上に迷惑をかけるな。うん、もう少しだけゆっくりさせてもらうとしよう」
鬼灯の話を寝ながら聞いていた俺は、そう言って笑ってみせる。
菊は、さっき『また、難しそうな顔をして』と言っていた。俺はそんな顔をしているつもりはなかったのだが、四六時中俺の顔を見て俺が苦しそうにしていないかと気遣ってくれている菊には、知らず知らず顔に出てしまっていた焦燥がはっきりと見て取れたのだろう。
これ以上、無駄に心配させる訳にはいかない。俺が眠っている間も合わせれば、もう随分時間が経っている。最近はちゃんと菊も寝てくれているが、俺が意識不明の間はそれこそ付きっきりで、無理に寝かせないといつまでもそのまま俺の看病をし続けていたとか。菊だって、心身ともに相当疲労しているはずなのだ。
俺が休むといって体をだらっとさせると、菊はここのところで一番の笑みを見せてくれた。
「そうして下さい。ああ、そうです。そろそろ、姫様にも武殿が目覚めたことを教えてさしあげないと」
「そういや、ずっと来なかったな。教えてないの?」
「はい……いくらなんでも、あの状態の武殿では姫様のお相手は出来ないでしょう?」
菊は少し苦笑いをしながら、俺の問いにそう説明した。
なるほど、確かに。うん、菊、ファインプレーだ。
気がついたら俺は、ウンウンと菊に大きく頷き返していた。
しばらくして、廊下をデデデと音を立てて何かが走ってくる。まあ、この館の中でそんな『何か』など一つしかない訳だが。
先ほど菊が千賀に報告しに出ていった。その菊もまだ戻っていないこの時間帯……うん、アレしかいないな。
その足音の主は部屋の前で止まったようだ。多分次はバアンと予定調和的に襖が開かれて……って、あれ?
襖がいつまで経っても開かれない。
千賀ならば、有無を言わさずスパアーンと襖が開かれて飛び込んでくると思うのだが……。
不審に思って首を傾げていると、側に控えていた鬼灯は無言で立ち上がる。そして、部屋の隅に片膝をついて座り直している。
やはり……そう思った時、そおっとと言わんばかりに小さく襖が動く。そして、出来た隙間から部屋の中を覗き込む何かが見えた。
って、お前なあ。
「……おい、千賀」
名前を呼ぶ。
すると、部屋の中を覗き込んでいた者はピュッと襖の影に隠れてしまった。
……まったく。仕方ないなあ。
「ああ……喉が渇いたなあ。菊もいないし、どうしようかなあ」
今度は、大きな声でそんな『独り言』を言ってみる。
すると、デデデと襖の向こうにいる何者かは部屋から離れて、またどこかに走って行った。
「ふふ。では私は邪魔になりますので、一度部屋から出ます」
「すまんね。あれは、意外に人見知りなところがあるからな」
俺の時は、なんかすぐに張り付いてきたが。
「いえ。私は一度千賀姫様のお命を狙った身でもありますし、本能的に警戒されても何も不思議ではありません」
「そういう事ではないと思うが……アレは、基本知らん人間を警戒するだけだ。父母から突然引き離され、挙げ句、実の叔父に命を狙われているんだ。仕方あるまい」
もっとも、爺さんの話だと元々他人に敏感だったみたいだが。もっと幼い頃から継直には決して懐かなかったみたいだしな。
「お気遣い感謝します。大丈夫です。少しでも早く信頼してもらえるように努力するだけです。では」
鬼灯は本当に気にしていないというように、里の子供たちに向ける目と同じ視線を千賀が離れていった襖の方に向けると、自身は外廊下の方の障子を開けて部屋を出て行った。