第二百九十五話 雌雄 でござる その二
「武様っ!」
俺の肩に矢羽根が生えたのとほぼ同時に、鬼灯が再び俺の名を叫んだ。珍しく余裕のない声だった。
その声に皆が一斉にこちらを見た。
「なっ……武様をお守りしろ! 急げ!」
重秀の怒号が飛ぶ。
が、太助も八雲も、他の朱雀隊のみんなも、その重秀の指示の前に走り始めて、道永が俺を射るための射線上にその体を投げ出し壁となって立ちはだかっていた。
俺は本当に部下には恵まれている。
それを痛感しながら、少し余裕が出来た時間を傷の確認に使う。
矢は幸い骨を外れている。
手をグッと握ったり開いたりしてみる。
傷口から広がる赤が勢いを増し、痛みに気が遠のきそうになる。だが、動いた。神経も外れている。運が良い。
ただ、存外傷は深かった。正面から背面近くまで刺さっている。無理に抜いたら、失血死しそうだ。
そこまで確認し、次は正面――この矢をプレゼントしてくれた道永を見る。
太助や八雲が何やら叫んでいるが、『言葉』として頭に入ってこない。
……なんだ、この疼きと体の痺れ……
毒……か。抜いたらマズい矢に毒なんぞ塗りやがって……糞が。
肩のあたりから波紋が広がるように不快な熱の波が広がる感覚がある。神経的には問題なくても、この戦で腕はおろか体が使い物にならなくなるのは時間の問題だと思われた。
道永の奴……本当に手段を選ばなくなったな。もう奴は、武人として俺の首が欲しい訳じゃあないのだろう。
ただただ俺が生きていることが許せない。
そんなところか。まさに不倶戴天って奴だろう。こちとら継直だけでも間に合っているというのに……迷惑きわまりない。
あいつの何がそこまで俺を恨ませたのか。
確かに奴には俺を憎む理由はある。だが、人はなかなかここまで他人を憎めはしない。
狂気だった。
「く……くっくっく。やった……やったぞ。当たった。当たった」
俺が出てくる場所にあたりをつけて隠れていたのだろう。道永は、俺たちがいる場所から15メートルも離れていない街道脇にある岩陰で、射終わった弓を握ったまま体を預けながら一人大笑いしていた。
奴は体はびしょびしょに濡れており、全身は傷まるけ。体中を泥と自身の血で汚しながら狂ったように笑い、天を仰いでいる。
いい歳した爺さんがまるで子供のように無邪気な笑みを浮かべてはしゃいでいた。ただそんな奴の顔は半分真っ赤だ。頭を切っているらしい。顔を隠していた黒頭巾も、半分以上破れてボロきれ同然だった。
そんな道永に太助が真っ先に走り寄り、斬りかかる。
太助は目をつり上げながら、愛用の大刀を振り上げた。
「糞がっ! さっさとクタバレ、糞爺っ!」
だが道永も、腐っても武闘派の元部将。そんな太助の刀を手に握っていた弓を振って逸らしてしまう。そして、そのボロボロの体を太助にぶつけて吹っ飛ばした。
太助もガタイはいいのだが、道永の体も大きい。
「うわっ」
太助もまさかこんなボロボロの爺さんに自分が吹っ飛ばされるなどとは思っていなかったらしく、尻餅をついて目を大きく開いていた。
「くっくっく……あっはっは。苦しいか? 苦しいか? 神森武」
道永は再び高笑いをする。
俺は心配そうに俺に寄り添う鬼灯に大丈夫だと視線を送り、一歩前に出る。それと同時に、肩に刺さった矢の根元近くを持ってボキリとへし折った。
脳天を突き上げる痛みに噛みしめた歯が砕けそうになるが、無理やりに余裕の笑みをつくってみせる。
「しつこいオッサンだな。俺にこんな爪楊枝を刺したくらいで、そんなに嬉しいか。だが、生憎だったな。俺は生まれつき毒には強くてね。こんなものじゃあ、苦しい所までいかんよ」
もちろん、ただのハッタリだ。そんな都合の良い体なんか持っていない。だが、この糞に弱ったところを見せるなど業腹だった。
「……本当に忌々しい小僧よ。が、そんな口を叩いていても体は正直だぞ? そんな嘘では赤子も騙せぬよ。こんな寒い日に、それだけ額に玉の汗を浮かべていてはな」
俺の言葉に一瞬目を剥いた道永だったが、すぐに俺のハッタリを見破りニヤリとそれはもう憎らしい笑みを浮かべた。
ちぃ、妙なところで冷静な奴だな。こればっかりは気合いや根性でどうにもならない。
「ふん……で? この毒矢を俺に当てたまではいいが、お前はこの後どうするつもりだ? よもや、俺たち全員を斬り伏せて逃げられるなどとは思っていないだろうな?」
「……だとしたら、どうだと?」
「随分と舐めてくれたもんだ」
ちくしょう……無駄口叩いている間にも体力が消耗していく。
「……まあ、流石にそこまでは自惚れてはおらんよ。さあ、儂を殺すがいい、神森武」
「随分と殊勝だな……お前ら、弓を構えろ」
指示を出すと、それまで俺たち二人の様子を窺っていた者たちのうち、弓を持っている者は矢筒から矢を抜き構えた。その動きに迷いはなかった。
「ふっ……やはり自ら刀はとらぬか」
道永は俺を煽る。
「ああ、とらん。ここでお前の相手をして、満足するのはお前だけじゃないか。何度も同じ事を言わせるな。手間をかけさせずにさっさと死ね」
「ふふふ。本当にクソ忌々しい小僧よ。呪われろ」
道永は動かぬ左足を引きずりながらも、腰の刀を抜いて俺たちの方に向かってくる。
しかし、その速度は推して知るべしだった。
「……やれ」
俺は、道永がこちらに向かいはじめて2メートルも動かぬうちに射殺の命令を下す。
兵たちは俺の命に従った。
刹那、道永の体中に三十本近い矢が生えた。顔、喉、肩、腹、足……あらゆる所に矢が生えた。
「呪われろ……神森武」
道永は、その言葉を残し立ったまま動かなくなった。
「……もうとっくに呪われているよ、俺は。修羅の道しか残っていないじゃないか」
もしあるとすれば、お前は確実に地獄に落ちるだろう。だが俺も、死ねば間違いなくそこに行くことになる。
悪党という一点において、俺も道永も同じ穴の狢だ。
俺は立ち往生をした道永から目を外す。
正直、もう保たない。だんだんと目も霞んできた。急がないと不味い。
鬼灯がそばに駆け寄ってきて何かをしゃべっている。だが、俺の頭がその言葉を理解してくれない。太助らも駆け寄ってくるが、視界が斜めに傾きはじめる。
これ以上は無理か。
俺は最後の力を振り絞って、指示だけを口にする。最低でも、おそらくは俺の体を支えてくれているのだろう鬼灯に伝わるように。
「……止まるな、引き返すな。俺の代理は重秀に。その補佐に八雲を……くっ、はぁ……はぁ……、それからまず笹島に向かうんだ。……そして、そこから伝七郎を追え。……それと、笹島に向かう途中で爺さんと敦信の戦況を確認するのを忘れるなよ……」
なんとか口にする。だが、そこまでだった。
大きな波のようなものが俺の意識を襲い、そして呑み込んだ。
ぐらりと傾きを大きくする視界。
誰かが俺の名を呼んでいる気がする。
だが、もう限界だった。
「すまん……少し休む」
俺の意識は暗闇の中に沈んだ。