第二百九十二話 因縁の戦い でござる その七
目の前では、重秀や太助、朱雀隊の猛者らの奮闘が続いている。
俺には、彼らと共に命をかけて刀を振るう力はない。俺の武の腕でそれをやるのは邪魔以外の何物でもないだろう。
自己満足で将の職責を放棄し、挙げ句の果てに部下の邪魔をするなど笑い話にもならない。
そんな俺に出来ること……。
それは、俺を信じてその力を振るってくれている彼らを信じること。彼らが最高の力を発揮できる舞台を用意すること。
この二つだけだ。
だから俺は、黙ってその修羅場を睨み続ける。
拳を握りしめ、歯を食いしばり、彼らの中から1人……また1人と命を落とす者が出始めても、それを後ろから黙って見続ける。まだ命がある者たちも、傷のない者などもういない。全身を返り血で真っ赤にしながら、自身の血も流している。区別など付かない。
そんな彼らの姿を目に焼き付け続ける。
それが俺の役目だから。
そして、待っている。『刻』が来るのを――――。
「動かした……か」
鏑矢を空に向けて撃つとほぼ同じぐらいに、敵軍の勢いが盛り返すのが分かった。
重秀や太助らの予想外の抵抗に面食らっていたように見えた石巻衆だが、たぶん道永の檄が飛んだのだろう。隘路の入り口付近で、少し遠巻きに様子を見ていた者たちまで、重秀らの方に突っ込もうとする気配が見える。
前方に注意を払いながらも半身振り向き、後方の『空』を見る。
灰色の空から、風に乗って舞い踊るように雪が降ってくる。
顔を打つ雪の華は、俺の顔の上で解けた。
だが、今の俺にはそんな事は気にもならなかった。俺が見つけたい物は、その向こうにある。
灰色の空に一本の白い筋が上がっていた。
曇天に上る狼煙の煙に、作戦の第一段階の成功を確認する。
ここからでは見えないが、あの狼煙が上がっている場所から蒼月の待つ『あの場所』まで、ほぼ等間隔でいくつかの狼煙台が作られている――俺の合図を届けるために。あの煙は、第一の狼煙台が俺の合図を拾えたことを示している。
失敗する確率がもっとも高いと思っていたのは、この第一の狼煙台だったから、まずは一つの壁を乗り越えたと言ってもいいだろう。
そして、再び重秀らの方を見る。本当によく頑張ってくれているが、さすがの彼らももう限界が近い。タイミング的にもここしかない。
俺は背中に背負った矢筒から二本の鏑矢を取り出す。
それを弓に番えて、立て続けに再び空に向けて矢を放った。
ヒューイ――――
ヒューイ――――
怒号飛び交う戦場に、甲高い鏑矢の笛が鳴り響く。
すると、崖の上に予め配置させていた吉次と八雲が、崖上の右と左でそれぞれに任せた兵を立ち上がらせた。
「待ちわびたぜ!」
「ただ待つのがこんなに辛いとは思わなかった……」
この二人も、すぐ下でボロボロになっている太助らを黙って見ていることしかできなくて、さぞ歯がゆい思いをしていただろう。耐えていたのは俺ばかりではないのだ。本当によく我慢してくれたと思う。もし、我慢できずに先走った真似をしていたら、その時点で俺たちは終わっていた。
俺は崖の上で矢を構える2人に任せた兵らを見た後に、再び前方の石巻……道永の兵らの方を見る。
ここが勝負所だった。
突然姿を現わした伏兵に、石巻衆は動揺していなかった。それまで隘路の出口全体に押し寄せていたのが、崖の真下を避けるような動きさえ見せている。随分と冷静なものだった。
奴らは、これまで以上に中央密集型の突進を敢行しようとしていた。
だが、その突進速度はやたらと遅い。密集しすぎているせいでもあるが、それ以上に崖の上を非常に気にしているようだった。
それを見て、俺は己の顔が笑みを作るのを止められなかった。
「……道永、お前の負けだ。この戦もらった」
「矢を射かけて下さい! 狙いは突進してくる敵部隊の頭です!」
八雲が声を張り上げて、配下の兵たちに目下の敵を狙わせる。
「こちらも負けられないな……矢を番えて下さい。こちらの狙いは、敵の側面です!」
吉次が命令している。
二人とも、この戦の前に俺が命じた通りに動いてくれていた。
八雲が突進してくる敵の先頭を狙い、吉次が向かって右側面を右の崖の上から斜めに狙う。
こうすれば、その後の敵の動きとしては、高確率で八雲がいる崖の方――左へと寄る。
だが、この敵はそう動こうとはしなかった。まるで、『確信』を得たかのように、より真ん中に集中しようと動く。
そのせいで突進の速度は『遅々』としたものになったが、それでも奴らは真ん中に集まるのをやめようとしなかった。
チャンス到来だった。
この一瞬を作りたかったのだから。
今まで耐えに耐えてくれた重秀らに撤退する時間を生みだし与えること――それこそが八雲ら伏兵を表に出した理由であり、俺の本当の狙いだ。八雲らで奴らを討つことは考えていない。
道永は、俺へのこだわりを俺に見せすぎたのだ。俺にしてみれば、それを利用しない手はなかった。
だから、俺は利用した。
奴に、奴が見たいものを見せてやった。あいつは今、自分の勝利を確信しているだろう……今の俺と同じように。それが幻だと気づかずに。
あいつは『ここ』に入ってきてしまったのだ。もう、奴らに勝ちの目はない。奴らにとっては地獄へと続く道でしかない、この場所へとやってきてしまったのだから。
もし、俺の策の『すべて』を読めていたとしたら、遠回りになろうが俺に対抗策を打つ時間を与えようが、『必ず』崖の上の吉次と八雲を抑えに向かった筈だ。
もし、それをされていたら、あいつの勝ちだった。
だがあいつは、俺があいつに『読めるようにした』ものだけを読んでしまった。
それが致命傷になる。ここから先は蟻地獄だ。奴にとっては、すべてが裏目に出る。
俺は指二本を口にくわえ、強く息を吹く。
ピュ――――――ィ。
鏑矢以上に甲高い音が鳴り響いた。
すると、俺の前で死闘を繰り広げて俺を護ってくれていた者たちが一斉に敵に背を向けて、全力で俺の方へと駆けてくる。
八雲率いる隊が放った矢が、彼らに全速転進と撤退行動に入る時間を作っていた。おまけに、おそらくは道永の指示であろう崖下から距離を置く中央密集陣形のせいで、石巻らは重秀らの転進についていけない状態を作っている。
「よく頑張ってくれた。あと少しだ。もうちょっとだけ頑張ってくれ!」
「……ゼイゼイ。言ってくれるぜ、さすがにもう限界が近いぞ」
「ぼやくな、小童。そんな事では、頂いた白一文字の深紅の旗が泣くぞっ」
「分かってますよ。ここまで来てくたばるわけにはいきません。あとで、武様に山ほど文句を言うんです。それまでは死ねません」
「……結構余裕ありそうじゃないか」
全速力で俺の方へと駆け戻ってきた皆と共に、俺は隘路を奥へ奥へと逃げる。
太助は重秀に煽られ、持ち前の反骨精神で実力以上に頑張っていた。他の朱雀隊の兵たちも皆ボロボロではあるものの、誰一人弱音を吐くことなく俺についてきてくれている。
正直、胸が熱くならずにはいられなかった。
この者たちだけではない。あの場所で、俺を信じてあんな無茶な命令に命をかけ、そして捨ててくれた者が三人もいる。
負けられない。どれほど苦しくても挫けられない。
「……ゼイゼイ。あと、あと少しだ」
隘路の入り口からもう一キロ近く走っただろうか。石巻も俺たちを追ってきてる。
八雲や吉次は元いた場所から馬で先回りしている筈だ。
予定の場所まで来ると、
「「武様!」」
崖の右と左で、八雲と吉次が同時に俺の名を呼んだ。
崖の上からは、鬼灯らに用意してもらった縄ばしごが崖の上から垂れ下がっている。崖の右と左に何本も並んでいた。
「お前らは先に上がれ!」
「なっ……ここまで来て、先になんか行けるかよ。あんたから行くのが筋だろうが!」
縄ばしごが垂れ下がっているのを見て、先程狼煙が上がっていた方の空を見て俺が叫ぶと、真っ先に太助が異議を唱えてきた。
「馬鹿! 何の意味もなく言っている訳じゃない! 合図の狼煙が返ってきていないんだ! あの狼煙は、崖の上に上ったら木々が邪魔でよく見えない。俺は、敵が来るギリギリまでそれを確認していたいだけだ!」
俺の説明に、まだ太助は何かを言い返そうとするが、重秀がそれを遮った。
「では、我々から行きます。太助、お前は武様と一緒に最後に上ってこい……それでよろしいですね?」
さすがに、状況判断の的確さは積み重ねた戦場の経験の差だった。
「ああ、それでいい。行ってくれ」
「はっ」
重秀は俺に返事をすると、自ら最初に上りだした。己が動かねば、我も我も言い出す部下たちが出かねないと配慮してくれたのだ。
俺は感謝をしながら、『白い』狼煙が上がったままの空を睨む。
「武様、そんなに時間はないぞ。近づいてきている」
太助は耳に手を当てながら俺に言う。
「……ちい。流石に映画や漫画のようにはいかないか。なんとか許容内のズレであってくれと祈るしかないが」
「えいがやまんが? ……って、狼煙の色が変わったぞ!」
俺が睨む空と同じ方向に目をやった太助が叫んだ。
その声に、太助の方へと目を移し説明しようとしていた俺も慌てて目を戻す。
確かに『白い』狼煙は『黒い』狼煙へと変わっていた。
待ちわびていた物が目の前まで来ている合図だった。
「……マジか。やべぇな、俺。ちゃんと主人公しているじゃん! よし、太助。俺たちも上がるぞ!」
「おう! 敵さんももう目前だぜ。この感じだと、多分あの曲がり角の向こうあたりにはもう来ている」
「うは……もう、ホントにギリギリじゃないか」
俺と太助は無駄口を叩きながら縄ばしごに飛びついた。
俺の胸は不安と緊張で張り裂けそうになっていた。先程から鼓動が大変なことになっている。たぶん太助は太助で、無駄口でも叩いて自分を鼓舞していないとやっていられない状態だったに違いない。
「武様、太助! 早く!」
俺と太助が駆け上がっている方の崖の上には八雲がいた。普段の八雲と違って、ずいぶんと急かしてくる。
もちろん、それには理由があった。
俺の足が崖の上の土を踏んだとき、
ゴ――――――
と、聞き慣れぬ低い音が耳に届き始めた。
それを耳にし、崖下に姿を見せ始めた石巻らを見下ろしながら、俺は策の成功と俺たちの勝利を高らかに謳う。
「――――策は成った。この神森武、渾身の大計……『大水計』だ!」