第十九話 酒が呑めるぞ でござる
目の前の危機も去り、俺らは呑めや唄えやの大宴会……をしたかったのだが、現実の壁が立ちはだかる。
そして、またもや雑穀粥当社比百パーセント増量が精一杯の夕餉と相成った。
しかしながら、僅かながらも皆に酒をふるまう事が出来たので、なんとか最低限の格好はつけられただろうか。
気持ちの他にも何か労ってやりたかったからな。貧乏ってつらいですね?
道永のおっさんの所の部隊の兵糧資材全部根こそぎ頂けたのはツイていた。今の俺らでは、これを逃す手はない。
とは言え、痛し痒しだけどな。しかし、今の俺らの状況を考えると、これを盗るデメリットよりも、盗らないデメリットの方が大きかろう。
落とした城なりなんなりの蔵の接収などと異なり、これを接収した場合、見た目がまんま山賊かもしくは盗賊団だ。やってる事自体はどちらも大して差はないのだが、見た目の印象が違う。
そして、あれがいいなら、これもよかろうと考えるのが人間の弱さって奴だと俺は思うのですよ。
つまり、こういう所から軍規というものは緩んでいくし、何より権力を持って統率しようとする人間にとって、そういう事を許す悪印象というものが結構厄介であるという事は歴史が証明してくれている。
それでも、まだ『俺らの』ならいい。しかし、当然の事ではあるが、その時悪くなるのは主である『千賀の』印象だ。また、こっちでやる奴がいるかどうかはわからんが、利用される場合も『千賀の』印象として利用される。
本当に状況が戦国かどうかは知らんが、少なくとも攻めて攻められのある環境であるのは確かなようだ。
俺らの世界でも戦国の雄らが気にしたように、独立した領主として、雄の一人として、名乗り出るというならば、やはりその印象というものには迂闊に傷を入れていいものではない。孫先生のいう所の道に係わるのである。
しかし、無い袖は振れないし、無いエロ本は読めないのである。もっと率直に言うと、エロ本買う金がないのである。このままでは、いずれおかずが地面に書いたWXYになるのは必至の状況なのだ。
一人の男として、俺はここに断言する。それは男の沽券に係わる由々しき事態ぞ。
その恐るべき事態を予見してもなお、否やの言葉を吐ける剛の者はまずいない。もしその存在の痕跡だけでも発見できれば、そいつをUMA認定する事は可能である筈だ。
同様に「俺、今日から霞を食って生きるんだ」と言える奇人変人は仙人ぐらいであり、そんなものは存在しないのである。
はやいとこ貧乏を脱出する方法を考えねばならない。これは切実な問題と言えた。
もっとも、それでも、だ。そんな状況のささやかな宴でも、今の所奴らは満足そうだった。
勝利の宴が始まって大分経つ。感覚的に三時間程か?
「やあやあ、たけう殿。楽ひんでおりゃえましゅか?」
「俺の名は武だ。た・け・るっ。なんだよ、竹鵜ってのは? 伝統工芸品か何かか?」
たった一杯の酒でこうなる伝七郎は多分粕漬けでノックアウトできる類の人種だな。俺が見ていた限り、こいつが飲んだのはついさっき咲ちゃんが注いだ一杯だけだ。それまでは、こいつも兵たちを労うように酒を注いでまわる側だった筈。
そして、そろそろ兵たちの酒もまわってきて場が乱れだす頃、千賀はお休みの刑と相成った。
教育上の問題だけではなく、もう時間が遅い事もあるしな。良い子はもう寝る時間である。
下がらせるのに大分苦労したようだが。
興奮冷めやらぬ千賀を寝かせようとすると、ごねるわ、拗ねるわ、喚くわ、吠えるわ……で、お菊さんも咲ちゃんも大分げっそりしている。あまりの暴れぶりに、最後にはお菊さんが担いで強制退場させていた。つい先程の事だ。
婆さんは千賀と一緒に下がっていった。それなりに楽しんでいたようだが、婆の体力ではそんなものだろう。今頃は夢の中の筈である。
そして、戻ってきたお菊さんや咲ちゃん含めた侍女たちは、今度は兵たちの給仕にとても忙しそうにしていた。
彼女たちも懸命に戦った兵たちを労ってやりたいのだろう。やってくれと頼んだわけではないのだが、誰ひとり欠ける事無く、このささやかな宴席の給仕に勤しんでくれている。
ちなみに千賀の侍女は、婆さん以外はみな例外なく別嬪さんである。姫付きの侍女でこの無駄なクオリティーはいったいなんなんだ? と小一時間問い詰めたくなる程、絢爛豪華なラインナップだった。
そんな美しい娘たちに給仕をしてもらえれば、男はみんなご機嫌だ。個人的な感想としては、つまみは乞食のお茶会レベルだが、飾られている華はいかなる宮廷の立食パーティーと比べても負けていないと思う。
よって、兵たちは今、その生涯最高の夜を過ごしているといっても過言ではあるまい。奴らの盛り上がり方が異常なのは、これと無関係ではない筈だ。まず間違いないだろう。
もしかすると、いや、もしかしなくても勝利の味ではなく、美人に酔っているのではなかろうか。酒樽の中身を水に変えても問題なければ、そういう事になる。さすがの俺も、今日それを試して奴らの最高の夜に文字通り水を差そうとは思わんが。
しかし、一つだけ気にいらない。どの侍女たちも熱烈大歓迎を受けていたが、特にお菊さんが注ぎに行くと奴らはうれしそうなだけでなく、妙にそわそわとし出す。脇から酒を注ぐその横顔に見とれて、ぼうっと呆ける奴までいる始末だ。
てめーら、それは俺ンだっ。槍なおっさん二人も相手する事になるわ、リアルで命落しそうになるわで、さんざん苦労しまくって、やっと見つけたヒロイン候補にモブが色気出すんじゃねぇよっ。これでお菊さんまでいなくなったら、本当に誰得トリップになってしまうだろうがっ。
まあ、今日の所は我慢しておいてやるがっ。ご褒美だからっ。存分に楽しむ事を許してやるがっっ。ぐぬぬ。
ああもう、やめやめ。気にし出したら、止まりそうもない。
まあ、美人は間近で眺めれるだけでも有難いもんだ。何もノータッチはロリだけに限る話ではないのだ。もっともハードルが高くなりすぎて、手を出せなくなるだけの話ではあるが。
とは言え、一人のモテない男として、奴らには大いに共感するので無粋な真似はしない。しないといったらしないのである。寛容を持って完全対応。この気遣いもおもてなしの心というものである。
異世界にも日出ずる国の美徳を。神森武です。
モブどもよ、存分に幸せを噛みしめるがよい。あちらでモブだった俺には、お前らの気持ちがよく分かるぞ。イケメンどもには、この有難さは理解できまいて。
で、残るのは……って、
「ふふふふ……」
おい、伝七郎。おまえ、いい加減しゃっきりしろ。咲ちゃんが泣くぞ?
奴は今地面の上で大の字だ。……一応目は開いてるな? 降ってきそうな星空を眺めてニヤニヤしてやがる。
しかし、世の不条理は健在であり、悔しいがそれでも絵になっていた。穴掘って埋めてやりたい衝動を抑えるのが、こんなに大変だとは思わなかった。
もし、こいつじゃなくて俺がやってるのを見られた日には絶対キモいとか言われて、翌日晒し者になる事間違いなしである。
俺は泣いてない。ただ心の汗がしょっぱいだけだ。
もとい。で、だ。残るのは例の三人衆な訳だが……。
「武殿。こちらにおられましたか。ささ、一献……」
他の兵らと馬鹿騒ぎをしていた酔っぱらい三人の獲物レーダーに、とうとう俺は引っかかる。探す前に探し当てられた。
そして、信吾の奴が俺に酒を勧めてくる。
ちょっと待ちなさい。俺は高校二年生ですよ?
……あれ? つか、あれ日本の話だよね? 国外関係なくね? つか、世界すら飛び越えている今の俺がアルコールは二十歳からとか、車のないこの世界で道路交通法を語るくらいシュールじゃね? 馬は右側通行、制限速度は刻速二十里ってか? 馬の頭にメーターならぬ風車の設置でも義務付けられてるのか? ない。ないぞ。これは。
そもそも、である。今地面に寝ている馬鹿者も目の前にいる襲撃者どもも、俺とほぼ同年齢だ。
そして、ここはなんちゃって日本だから、慣習は昔の日本に倣っている可能性が高い。例の戦の慣習みたく違う可能性ももちろんあるが。
とすると、である。成人の定義自体結構いい加減じゃなかったっけ? 「お前今日から大人な?」とお家の当主に言われて式すれば、大人じゃなかったっけ?
少なくとも目の前の奴らは呑んでいる。あきらかに不逞な三人はともかく、見るからに優等生な伝七郎も呑んでいる。
という事は、だ。俺の年齢でまだ未成年ですからなどというのは、公衆の面前で「社会に巣立って早幾年……就職先は自宅警備会社です。そろそろ班長に昇進です」とか「俺……魔法を覚えたよ?」とカミングアウトするに等しい行為なのではなかろうか?
それに、だ。他人様にも都合があるので無理に酒を勧めてはいけませんなどという理屈が通るようになったのは、あちらの世界ですらつい最近の事だ。このような場所にそんな理屈を受け入れる受け皿があるとは思えない。つか、こんな脳筋ワールドじゃ、絶対体育会系に決まってる。
となると、これしかないな。
「ああ。いや、杯がなくてな?」
割とスマートな言い訳でね? 自分の機転に惚れ惚れとしてしまいそうだ。
「それはいけませんや。武様。ささ、どうぞっ」
懐からさっと碗を出す与平。俺は見逃さなかった。これを出す前、奴の目がキラリと光り、口元にうっすらと笑みが乗るのを。それに杯じゃなくて碗かよっ。
くっ。おまえはそういうキャラなのか、与平っ。この神森武。酒など恐れてはおらぬ。ただ、ご幼少のみぎり、酔って悪ふざけした親父に酔い潰されて以降、酒というものに良い印象がないだけだっ。余談だが、その直後親父は母ちゃんに張り倒されて、説教部屋で一晩過ごしたらしい。
「では、武様。私が」
源太は真面目くさった顔で酒を注いでいく。こいつは天然なのか? 明らかに悪意はなさそうなのだが、碗からすでに溢れて零れていた。ど、どぶろくかな? 月明かりに照らされた白く濁る酒が縁のかけた碗から零れて行く様は、野趣あふれるこのような宴と相まって大変趣はある。あるんだがなあ……。
「はは。武殿は酒はあまり嗜まれませぬか? いけませんぞ? 酒ごときに背を見せるなど、大和男児の名折れというものです」
ん? 大和男児?
「なあ、信吾。その大和ってのはなんだ?」
「もちろん、この国の事ですよ。大和の国です」
ほう。そりゃ、初耳だ。ここは大和なのか。つか、ホント名前だけ日本だな。
「へー。ここは大和って名だったのか。ちなみにどういう地理条件になってんだ?」
それを聞いた信吾は一つ頷くと、木の枝を拾って地面に地図のようなものを描いていく。
それを見て、俺は正直驚いた。
────地面に描かれた地図は、微妙に差があるようには感じるが日本列島だった。しかし、北海道はない。というより、山形や宮城の辺りから未開の地になっているようだ。もしかすると存在自体はしているのかもしれない。
若干歪ではあるが、描かれたものは本州、四国、九州だ。測量技術の問題なのか、本当に違うのかはわからない。だが、それに該当しそうなものがあるという事だけは確かなようだ。
沖縄はどうなんだろうな? とりあえずそこには描かれてないが、仮にあっても向こうも琉球王国状態か? 正確な判断はつかないが、はっきりしているのは、信吾の認識する全国の中には北海道同様沖縄も入ってないという事か。
そして、最重要である我らが水島領の位置だが、丁度能登半島の付け根辺りにあるようだ。昔でいう越中の一部って感じか? 俺らの世界だと大和と言えば奈良県の辺りになる。だが、こちらではここら辺りを大和の国と言うらしい。
水島領は富山市辺りから南東に向かって領土が伸びている。越中全体から見て四分の一弱を有しているようだ。信吾の描く地図からはその様に見受けられた。
また、他にもとても重要な情報が聞けた。大和の位置の件で想像はついてはいたが、やはり列島そのものはこれでもかと日本臭いが地理が目茶苦茶だ。マウント富士がなかった事でそれは決定的となった。
正直、ここがあちらの越中辺りにあると聞いた時点で金山キタコレと内心小躍りしたのだが、この有様では金山があるかどうかも怪しいものだ。
それどころか有名な古戦場に敵をおびき出して、勝利の方程式を解くという方法も使えそうにない。勝利の方程式を使いたければ、条件に合う場所を探し出し、更に時を選び状況を作る必要がある。
どう考えても、特定の状況でそういう方法で勝利を収めた者がいるという知識以上には役立ちそうにない。
川中島に行ったら、列島最大の湖の上で船戦とかになったら笑えなすぎる。こちらの川中島の辺りにそんな湖があるかどうかはわからんが。そういう事にもなりうるという事だ────。
「ほらほら。そんな難しい話は、また今度にして。武様、呑みましょうよ」
思いもよらず重要な情報を信吾から聞けたので、つい釣られて脳みそがマジモードに入っていたのは事実だが、当初の目的は別にあった。
しかし、そちらは見破られていた。
ちっ。うまく話を逸らせたと思ったのだが、虎視眈々と狙っていた奴がいたようだ。さすがは猟師だな、与平。だが、無駄にスキルを使うのはやめたまえ。
「へっへっへっ。逃がしませんよ? 武様。俺は元猟師ですからね。狙った獲物は逃しません」
奴はいい笑顔でそうノタマイヤガッタ。おのれ与平。この神森武、この夜の出来事は決して忘れぬぞ?
俺は意を決した。碗に波打つ白き魔物を天に掲げる。
「ふん。いい度胸だ。この神森武。酒ごときでケツをまくるものかッ!」
13 1/21 描写不足だったので少し加筆
しかし、北海道はない。というより、未開の地になっているようだ。もしかすると存在自体はしているのかもしれない。
→しかし、北海道はない。というより、山形や宮城の辺りから未開の地になっているようだ。もしかすると存在自体はしているのかもしれない。