第二百九十一話 因縁の戦い でござる その五
「来ましたっ!」
林の出口を見張っていた者が大声をあげる。
来たか。
「武様、最後にもう一度だけ聞くが……本気でやる気か?」
「どうした、太助。今になって怖くなったとかいうなよ?」
「言わねぇよ!」
隘路の出口で太助が吠える。そして、その後で
「……だが、正気の沙汰じゃない」
と静かに断言した。
まあ、言わんとしていることは分かる。俺は、合流した重秀、太助、吉次および鬼灯ら神楽衆をその場で再び分けた。
現在道幅十メートルもない隘路の出口には、重秀と太助を含めた16名ほどの朱雀隊の隊員がいるだけだ。
隊内でも個人の武勇に優れたものを選んではあるが、この少人数で戦おうというのだから十分な戦力とは言い難い。
左右は切り立つ崖に挟まれており敵の横撃が不可能で、地形的に後方に回り込むことが困難なこの場所を選択もした。スペースは、俺たちの前方と後方――荒川の堰によって枯れた谷底にしかない。余程の大回りをされない限りは、敵は前からしか来ない。対多人数戦にはもってこいの条件だ。
だが、この人数で三百人ほどの敵と戦おうというのだから、太助が正気の沙汰ではないと言うのももっともなことだった。
「太助よ。それだけ主の信頼を得ているということでもあるんだぞ。むしろ、喜ばんか」
「そんな無茶苦茶な」
重秀が、おそらくはわざと挑発的な言葉を発したのだと思うが、まだまだ修羅場の経験が少ない太助は、少々ビビりぎみだ。煽られたことにすら気づいていない。
そんな太助を見ていた他の朱雀隊の者たちは、重秀同様に朗らかに笑っていた。彼らも、やはり太助などとは越えてきた壁の数が違うのだ。
そして、まだ情けない声をあげる太助に、俺も活を入れる。
「無茶もクソもあるかい。じゃあお前は、今ここにいるうちの全軍を集めて、あの野武士の大集団にぶつければ勝てると思っているのか?」
「それは……無理だと思うけどさ」
「だよな。よしんば無理じゃなかったとしても、そんな真似をしたら、こちらはただじゃすまない。後のことを考えれば、それは負けたのも同然だ」
「う……」
太助は小さく唸った。
太助とて、俺が今言っていることは分かっているのだ。ただ、まだ恐怖心を克服できていないだけで。
まあ、方向が限定されるとはいえ、二十倍の敵が押し寄せてくる訳だから仕方がないといえば仕方がないことではある。しかし今の太助は、もうそれでよしとするわけにはいかない立場なのだ。
「結局、『ここ』で奴らを迎え撃つことが、俺たち自身が生き残る可能性も高めるんだ。目先の恐怖に負けちゃいかんぜ。本当に怖いことってのはどういうことなのか……それをしっかりと見極めるんだ。それが出来る人間のことを『将』と呼ぶんだ。俺はそう思っている」
俺は、この世界にやってきて俺自身が学んだことを、そのまま太助に伝えた。かつての世界で学生をやっていた頃には、大将なんて軍の偉い奴ぐらいにしか思っていなかったけれど、今ではそのたった一文字の重さを感じずにはいられない。
重秀は俺と目が合うと、静かに黙礼した。が、すぐに太助の方へと視線を移す。
太助は何かを言おうと口をぱくぱくさせているが、どうにも言葉が見つからないようだった。
それを見て、俺は内心ほっとした。
もし、今の言葉が理解できないようならば、とてもではないが太助に部下はつけられない。それはつまり、将としては使えないことを意味する。
でも、例え無意識であったとしても、太助は恐怖から逃れる為の理由を口にせずに耐えてみせた。それが出来るならば、あとは経験が育ててくれる。それは、俺自身も通った道だから確信が持てる。だから、安心できた。
そして、そんな太助のことは重秀がフォローしてくれている。
さすがに年配者とでも言おうか、俺や太助のような若造では太刀打ちできない実際に積み重ねた者の風格があった。
敢えて言葉で説明することなく、太助の肩をポンポンと叩いてやってくれていた。無駄に怯えるな、落ち着けと。
太助は、そんな重秀の顔を見ると、一つ大きく深呼吸をして顔を引き締めた。腹を括ったようだった。
林の中から、俺たちが通った道を通って石巻衆がまず現れた。道の両脇に立ち並ぶ枯れ木に干した藁を括り付けて燃やし、盛大な炎に包まれた炎のトンネルを作ってやったのだが、石巻衆はそのトンネルの中を通ってやってきた。多少の足止めは出来たようだが、それだけに終わったようだ。
雪のぱらつく灰色の空に黒い煙がもうもうと立ち上り、真っ赤な炎はしっかりと踊り狂っていた。だが、実際には積雪によって湿り気を帯びた葉のない木々が燃えるようなことはなく、当然林を延焼させることもしなかった。だから、肝っ玉の据わった人間が見れば、見た目だけだということはすぐ分かっただろう。
流石に賊も恐れる野武士集団だけあって、この見世物ではそういつまでも足を止めることは叶わなかったらしい。
しばらくして、後から騎馬に乗った集団も到着した。道永だ。
俺たちと同じく一列になって、馬を駆けさせずに速歩で抜けてきた。そして奴は、隘路の出口に並べた俺の旗を見ても、また隘路の出口から少し入ったところにある大岩の上に腕を組んで立つ俺を見ても、前に出てくることなく、ただ無言で俺たちに石巻衆をけしかけてきた。まさに、もう話すことはないと言わんばかりに。
道永の命が下った石巻衆は、まるで砂糖に集る蟻の群れのごとく、俺の首を求めて隘路の出口に殺到してきた。
彼らは、俺を護るべく隘路の出口に立ち並ぶ――重秀、太助を含めた朱雀隊の腕利き16名の壁とぶつかった。
「大将首は俺がもらったぁぁぁ!」
「させるか、糞がぁっ!」
先程まで怯えていた人間と同じ人物とは思えない鬼の宿った顔をして、太助は愛用の大剣を振り下ろす。太助よりも少し大柄な男が相手だったが、その男を袈裟に切り裂き、派手に血飛沫を上げさせていた。
まだ、両軍が衝突して10分も経っていないと思うが、もう太助は全身が返り血で真っ赤になっている。
いや、太助だけではない。重秀も、朱雀隊の14名もみな真っ赤で怒声を上げていた。その気迫に、さしも石巻も押され気味で、最初と比べると、隘路へ突っ込んでくる勢いが落ちてきていた。
「何をしておるか! その程度の数、さっさと押し切ってしまわぬかっ」
おそらくは、石巻の頭目と思われる男が配下をけしかけるべく声を張り上げるが、どうにも配下たちの士気は思うようにあげられていない。
それほどに、目の前の16人の戦いぶりは尋常ではなかった。
中でも、太助の戦いぶりから目が離せない。
正直、ここまでやるようになっていたとは知らなかった。ここまで意思を貫き通せるようになっているとも思っていなかった。
そして、若い太助がそれだけの奮闘をしてみせていることによって、他の者たちの気勢もあがっていた。まだまだ、負ける訳にはいかぬと。
それは、重秀すらもそうであるように俺には見える。
とても嬉しそうな笑みを浮かべて、突っ込んでくる敵兵を鬼神がごとき勢いで屠っていた。朱雀隊副長の地位は伊達ではないのだ。
「なぜだ……なぜたったこんな数を突破できんのだ。お前ら、怯むな。どうせ、いつまでもは保たぬ。かかれ、かかれぇっ!」
石巻の頭目が声を張り上げる。
が、目の前に積み上がり始める仲間だった肉の塊に、石巻の兵の士気が目に見えて落ち始めた。
そもそも、いかに腕利きの野武士たちと言えども、正規兵の、しかも精鋭部隊の中の精鋭であるこの16名と比べれば、個人の武は遙かに劣る。
そして、そんな彼らが地の利を生かして、攻撃される方向を限定して戦っている。おまけに彼らは、今回はツーマンセルで戦っている。1人が攻撃し、その時もう1人は敵の反撃の備えて守りに専念する。それを徹底していた。これは、地の利と相乗効果を生んでいた。
ただただ突っ込んでくる敵などは、完全にはじき返していたのだ。
……でも、いつまでもこのままではない。
彼らだって人間なのだから。無限の体力がある訳ではないのだ。
だから、勝っている今のうちに次の段階に移らないといけなかった。こちらが少しでも劣勢になったならば、石巻衆の気勢が上がってしまう。そうなると、あっという間に彼我の立場が逆転してしまうだろう。
さて――どのタイミングで下がろうか……。
道永……これをどう読む?