第二百九十話 因縁の戦い でござる その三
さあ、追ってこい――――。
胸の中でそう唱えながら、まっしぐらに狭間村南西に広がる林を目指す。
この林の向こうには、かつて荒川から分かたれた支流が流れていた場所へと続いている。堰によって川の水が流れてこなくなったその場所は、山の斜面に挟まれた隘路となっており、その出口が林の向こうにあるのだ。
その隘路の出口が、村から北西の延びている街道へと繋がっているのも都合がいい。現に今、逃げる俺を見ても、さほど慌てた様子がないことがその事を証明している。
道永は、さきほどの草原での挟み撃ちで俺をしとめられればそれに越したことはないとは思っていただろう。だが奴の本当の切り札は、この北西方面に延びている街道に伏せられていた石巻の筈だ。実際、伏せられていた兵の数もあちらの方が多い筈。
その兵を用い、街道から隘路の出口に繋がっている枝道を使って移動し、あの草原で三方からの包囲にて俺たちを殲滅する――というのが道永のこの戦のプランだった筈だ。
だからこそ、こうして挟み撃ちから早々に逃げ出した俺を見ても余裕でいられる。まだ道永の包囲網はまったく綻びていないから。
だが……。
「武様、太助らはうまく削っているようですよ! 見て下さい!」
騎馬では一頭が駆け抜けられるかどうかという――隘路へと続く獣道に向かって馬を走らせている最中、俺とスリーマンセルを組んでいた朱雀隊の一人が草原を貫いている街道のあたりを指差している。
そこでは、先程俺と八雲が道永と対峙している間に再反転し、追撃してくる石巻の伏兵に突っ込んでいった太助と吉次が大奮戦していた。追いかけてくる歩兵主体の石巻衆の外周に、巧みなコンビネーションでヒットアンドアウェイを繰り返している。太助が攻撃するときには、吉次が敵の目を引きつけるように多く外を回って太助の攻撃ポイントから目を逸らさせ、逆に吉次が攻撃を仕掛けるときは太助がその役を担っている。
流石は幼なじみとでも言おうか。まるで何年も連携を鍛練したかのような息の合いようだった。
そこに、石巻衆の後方で時を待っていた重秀率いる朱雀隊の分隊が林の中から襲いかかった。
不意打ちを仕掛けたつもりの石巻衆は、まさか自分たちが逆に不意打ちを食らい、挙げ句に包囲されるなどとは考えていなかったのだろう。実際は数の差があるために半包囲なのだが、石巻の兵らの様子を見る限りそれに気づいていない。
太助らの活躍で浮足立っていた石巻は、大混乱に陥っていた。
「……やるじゃん、太助。吉次も。よし、俺たちも急ぐぞ。今頃は、先に行った八雲が退路をきっちり確保してくれている筈だ」
「「はっ」」
鋭い返事が響く。
朱雀隊の隊員らも、これから後輩となり、いずれは自分たちを率いることになる若者らの奮闘ぶりに発憤しているようだった。
「武様っ!」
目的の場所で、八雲が出迎えてくれた。命令通りに、きっちりと獣道の入り口を確保してくれていた。
「ご苦労」
「それで、太助らはうまくやれてましたか?」
やはり、危険な任務に就いている幼なじみのことが心配なのか。真っ先に確認してきた。
「ああ。見事なものだった。まさか、あそこまで完璧に石巻衆を無効化できるとは考えていなかった。ここで俺と八雲であいつらの撤退が完了するまで耐える予定だったが、あの分じゃあ、石巻は俺たちを追ってこられないだろう。道永の奴が泡喰って突っ込んでくるかもしれないが、今からじゃあ、それも間に合わんだろうな。おかげで、俺たちの仕事はぐっと楽になったぞ」
「そうですか」
八雲は、まるで自分が褒められたかのように嬉しそうな顔をした。こいつらは、俺が考えていたよりもずっと深い絆で結びついているのかもしれない。こいつらを三人預かると言った重秀の慧眼に感心する。この分だと、いずれは本当に水島の切り札の一枚になりうるかもしれないと思わせられた。
「それに、この戦況でも街道に伏せられていただろう石巻衆がまだこちらに合流できていないあたり、鬼灯も上手くやってくれているようだ」
「そう言えば、鬼灯さんら神楽衆はどこにやったんです?」
「街道脇の林の中に伏せられていただろう石巻の兵を襲撃してもらっている――林の中でな」
林の中では神楽忍軍の方が圧倒的に有利だ。彼らに林の中でゲリラ戦法を展開されたら、抵抗する事は勿論のこと、被害を拡大させないようにするだけでも容易ではない。
「街道って……北西に延びている奴ですか?」
「そ。道永は、万一あの草原で俺をうち漏らした場合に備えていた筈だからな。あそこから騎馬で逃げるなら、普通は街道を使う。騎馬の機動力を殺さずにすむ道は、あれしかないからな。『騎馬』で村の前に俺たちが現れた時点で、道永は自分の読みが当たったと確信しただろうな――まあ、俺たちの計画の方が非常識だから、こればっかりは道永を笑うのはどうかと思うが」
そう説明してやると、八雲は目を見開き、一拍おいて吐息と共に呆れとも感心ともとれる言葉を口にした。
「……武様の頭の中ってどうなっているんです?」
「なんだ、それは」
「いやあ。ははは。だって、そうとしか言いようがないですよ」
八雲は空笑いをした。
「お前も、段々と太助に毒されてきたね」
「いや、私は昔からこんなものです」
「そうか? 前はもう少し――――って、ん? 来るか」
話をしている間も、俺と八雲の目は太助らが戦っている戦場に注がれていた。その戦場で味方の動きに変化が現れる。
十分に敵の足止めを成功させたと判断した太助、吉次、重秀が、混乱させた石巻から少しずつ距離を取り始めている。計画通り、この後はこちらに全力で駆け戻ってくる事だろう。
道永が率いていると思われる村から出た一団も、ちょうど戦場に到着しているが、混乱している石巻衆を前に、予定しただろう連携が取れずにその足を止めてしまっていた。
たぶん、その道永率いる援軍の到着が、太助ら三人に撤退の機と判断させたのだろう。
「よし。じゃあ、ここからは八雲の出番だな」
「ええ。あいつらがあれだけやってみせたのに、私だけヘマは出来ませんよ」
「見ての通り、この入り口は狭い。じわじわと下がりながら、耐えてくれ」
「了解です」
「敵の攻撃が始まる頃には、鬼灯らが援軍に来る筈だ。頼んだぜ」
「やってみせますよ。ここでヘタを打ったら、太助らに何を言われるか分かったもんじゃないですからね」
「はは。なるほど」
「で、私らは太助らが通り過ぎた後、弓で追撃を牽制して、この道の途中に用意した藁に火を付けて撤退してくればいいのですね?」
「ああ。お前らがヤバくならんかぎり、鬼灯らはあの藁を仕掛けたあたりに戻ってくる筈だ。火は彼女らの部隊がつけてくれるよ」
「分かりました。それにしても火の道ですか……ついこの間、神楽と戦った時を思い出しますね」
「思い出すも何も、その再現だよ。じゃあ、俺は先に行って次の準備をしておく。そこが道永らの墓場だ」
「分かりました。ここはお任せを」
返事をした八雲は、俺が渡した深紅の『三』を見上げる。
「ああ。頼りにしているよ――出るぞ。駆け抜けろ。目指すは隘路の出口だ!」
俺は自分の隊の者たちに声をかけ、雪化粧のされた枯れ枝を身に擦らせながら、林の奥へと続く細い道へと駆け込んだ。その時、それまで止んでいた雪が再びパラパラと降り始めた。