第二百八十九話 因縁の戦い でござる その一
「なっ……!?」
俺の側にいた太助も、女の言葉を拾い目を見開いた。振り向き文句を言おうと口を開きかける。
「太助!」
それを見て、慌てて止めた。
太助はこちらを向く。それに俺は、ただ横に首を振った。
太助は何かを呑み込むような仕草を見せると、苦い物を噛んだような顔をして前に向き直った。
俺たちは、そのまま矢の雨に晒されていた者たちの側を通り過ぎ、村の入り口に向かう。
もう距離はないが、太助がそこでボソリと呟いた。
「……なるほど。確かにこれは辛いわ……」
「文句だけなら黙って聞くさ。確かに俺が招いた事でもある」
「……」
「さ、気持ちを入れ替えろ。さもなければ、更に失敗を積み重ねてしまう。下手をすれば、この場で討ち死にだ。俺たちには、まだ後ろを向く為の時間は与えられていないんだ。目の前の事を片づけなくては、反省する時間すら与えられない……そら、元凶のクソ野郎の面が見えてきたぞ」
俺たちは二つの櫓が建つ村の入り口正面で、馬の足を止めた。
雪が残っている大地には、打ち損じたと思われる矢がそこら中に刺さっており、たかだか二十名ほどの射手がまき散らしたにしては異様とも思える光景が目の前にはある。
俺がどこかで見ていると確信し、そして執拗に俺たちの仲間に矢を浴びせた結果だ。
村の入り口近辺は秋に取り込んで保管されていた物と思われる藁束やら、荷車、家屋を打ち壊して用意したと思われる板などで封鎖されており、見た目は粗末ながらも立派に俺たちの攻撃を阻む柵として機能している。出入り口は、村の入り口に残された二、三メートル幅の隙間だけだ。そこも木材を大量に積んだ荷車を使う事で、開閉門が可能にしてある。
総じて言えることは、道永の戦術は『籠城戦』だという事。まず、ここからしてかつての道永とは違う。もう、この段階で道永の中で『武士』に優先順位がない事が分かる。
やはり形振り構っていない。それ程に俺の首が欲しいのだろう。
そして奴は、誇りを代償に支払った結果、劣勢の身で数少ない俺への対抗手段を手に入れた。
本来籠城戦とは味方の援軍があって成り立つ耐久戦術なのだが、その概念を超越してきた。
いわば、道永の戦術は『攻撃的籠城』。
軍師としては認めがたい、他のあらゆる物を犠牲にした代物ではあるが、今の道永があわよくば俺の首を――それが無理でも少しでも滅びに近づけようと願うならば、これしかなかっただろう。
そんな道永は、今俺の前に立つ櫓の上で、それはそれは満足そうに笑っていた。口元を覆い隠していたらしい黒い布は引き下げられ、土と垢で汚れきった毛むくじゃらの顔を子供のように綻ばせている。
前に見た顔とずいぶんと変わっていたが、確かに面影はある。まだ二年も経っていない筈なのに変わったものだった。
「久しいな、クソ爺。人知れず土に還ってくれていれば、お前以外の誰も不幸にならなかったものを。言ったよな? 『分不相応な夢など見ずに潔く逝け』と。もう一度言ってやる。さっさと死ね」
村の入り口に着いた俺は、太助一人だけを連れて前に出る。そして、開口一番でそう告げた。もう、こいつとの間には『殺るか、殺られるか』の未来しかない。ならば、こいつに告げるべき言葉など大して残っていない。
「……ふ。ふふふ。あははは。そうよ、そうよ。確かにこうだった。そのクソ憎らしい口の利きよう……会いたかったぞ、神森武」
「俺は会いたくなかったがな。忙しいんでね。お前と遊んでいる暇があるなら、うちの可愛い姫様の為に時間を使ってやりたいよ」
「千賀姫か……。なあに、心配するな。お前もここで死ぬし、千賀姫も近々後を追うだろう。あの世でじっくり時間を使ってやるがいい」
俺の挑発には乗らずに、さらりと返してくる。その目にはただ『歓喜』しか見えない。
なるほど。確かに狂っているわ。
それを改めて確認できた。
道永は、俺を殺せる喜びだけで一杯だった。その他の感情が見当たらないほどに。強烈な『怨』の感情すらも覆い隠せるほどに、『喜』の感情で満ちている。
狂っているとしか言いようがない。
俺は背中に背負っていた矢筒の中から一矢を抜き、無言で番える。そして、そのまま放った。
ビュッ――――。
放たれた矢は、狙い過たず道永の眉間へと向かう。道永は狂気の笑みを浮かべたまま、右腕を振るい俺の矢を払った。残念ながら、俺の矢には不意を打たずに道永を仕留められるほどの鋭さも力もない。放った矢は弾かれ、くるくると回りながら空しくいずこかへと落ちていった。
「ふん。こんな弱弓では儂は殺せぬわ」
道永は、そう言って高笑いをする。
だが、そんな事はこちらも百も承知だ。これで死んでくれるならそれに越したことはないが、そう簡単にいくなら苦労しない。
もっとも、ここで死ねた方が道永にとっては幸せだったとは思うが。
道永の高笑いを無視して俺は後ろに下がる。
「どうする? あんたの策だと、とりあえずあのおっさんを釣り上げないことには話にならないが」
俺が脇を通り過ぎる時に、ぼそりと小声で太助が聞いてくる。
「それは心配ない。このままゆっくり且つ堂々と奴に『背』を見せたまま下がればいい。奴は何もしてこんよ」
太助の方を向くことなく、同じく小声で答えてやる。
「は? 何もしてこない?」
太助は、少し驚いたように聞き直してきた。
「ああ。道永は、『まだ』何もしてこない。俺たちが下がるのを見送るだろう」
「なぜ?」
「俺に絶望を与えたいから」
「なんだそれは……って待てよ」
立ち止まることなく自軍の待つ方へと馬を進める俺を、太助は慌てて追ってくる。しかしそれでも、道永が動く事はなかった。俺の予想通りに。
「お疲れ様です。でも……あの敵は何故何もしてこないんでしょう?」
戻ってきた俺に八雲も首を傾げて尋ねてきた。吉次はその事にはあまり興味はないようで、頻りに回りを警戒している。たぶん、何がどうなろうと俺の命に従って敵を打ち破れば良いと考えているのだろう。だから、こちらが主体的に動けなくなる事態こそを警戒している。
「アレが動くのは、俺たちが退路を断たれた後だ。そして、吉次」
「はい」
「今は来ない。もう間もなくではあるがな」
「そうなのですか?」
「ああ。じゃあ、部隊ごと下がるぞ。ここからは気合いを入れておけよ。『来るぞ』」
「ちょっと待てって。来るって何が」
太助が尋ねてくるが、
「敵がだよ。番号つきの俺の旗を持っているのはお前たちだけだ。その旗に箔がつくも泥がつくも、後はお前たち次第。見せてもらうぜ、お前たちの思いの強さを。――俺が合図をしたら、それぞれが率いる隊を全力で村の入り口まで下げろ。その段階では道永は、巣の中から出て来ている筈だ。後ろからは石巻の武者らが迫ってきているだろう。お前たちは、手前の原っぱで騎馬の機動力を存分に使って、原っぱに入ってくる石巻の奴らを連携して外側から削れ。俺は、なんとか後ろの道永を抑える」
と早口で不親切な説明をする。というか、ここは直接部隊を率いる将の采配が重要なところだ。ここに下手な口を突っ込むと、むしろ部隊の動きを阻害してしまう。
「いや、連携して削れって……」
まだ慣れない太助は、そんな俺の指示に戸惑っているようだった。だから、そんな太助に発破をかける。
「出来なけりゃ、俺たちは押し潰されておしまいだ。千賀や菊に泣かれるな。俺は嫌だぞ。死んでからあいつらの泣き顔を見るなんざ。お前も茜ちゃんに泣かれたくなければ腹を括れ」
その言葉に太助は息を呑み、
「無茶苦茶だ……」
と、八雲は天を仰いだ。吉次は目を見開いて固まっている。
「驚いている時間はもうない。さ、始めるぞ」
「ちょ、ちょっと待てって」
太助はなお呼び止めようとするが、俺の足は止まらない。そして、俺の号令で部隊は動き出す。経験を積んだ精兵である朱雀隊の者たちは、新米指揮官よりもよほど腹が据わっていた。
道永は、そんな俺たちも見送ってきた……読み通りに。そして、山道へと続く道の百メートル手前あたりまで来た時に状況は動く。
ガサ、ガサガサ――。ガチャリガチャリ――。
雪まみれになった落ち武者のような男たちが、山道脇の草むらの中から次々と飛び出してきたのだ。