幕 道永(二) 禍人
ちぃ。あの小僧め。まだ出てこぬか……。
腹立たしい。全くもって、つくづくままならぬ。
村の入り口に立てた二本の櫓。その一本に上ってはみたものの、目の前の光景も儂を苛立たせるばかりだ。
「いや……いやっ……嫌ぁぁぁあああっっっ!」
「待て! 今動くと……」
「がふっ……」
ふん、また勝手に死におって。
降り注ぐ矢の恐怖に耐えられずに狂った女は、神楽と思われる商人に化けていた男の制止を振り切って走り出す。そして、『逸らして』射られた矢に自ら当たり血反吐を吐き倒れる。
もう何人目だ。五人か? 六人か? 愚かだ。実に愚かだ。
精々があの小僧をおびき寄せる餌にしかならぬというのに、その程度の役目も熟せぬか。
寄せ餌が死んでどうするつもりだというのだ。死んでしまっては呼び寄せられぬではないか。まったくもって忌々しい。愚かな者が愚かであるのは当然の事だが、つくづく度しがたい。
だが、このまま手を拱いてもおられぬ。
これ以上女の数が減ると、神楽どもが楽になる。それをあの小僧に見られては、計画が台無しだ。
物資は手に入った。だから、最低限の役目はあの女どもも果たしたとは言えるが……折角のこの状況だ。もう少し役に立ってもらうぞ。
ふふ。それにしても、まさか女を売る相手があの神森武になろうとはな。なかなかに面白い事になったものだ。
石巻と組めたのは幸運だった。
奴らのおかげで、神森武の逃げ道を一つ潰せた。感謝してやってもよい。
村を一つ襲い占領して、そこの女を売って物を揃える――――ここまでは良かったが、それだけでは水島の……あの小僧の足を引っ張るには骨だったからな。儂の存在だけでは、今一弱かったと言わざる得ん。
だが、石巻があの小僧の小細工に気づいてくれたおかげで、ずいぶんと捗った。
あの小僧も運がない。朽木で鬼灯らと繋がっていた者が石巻に逃げ込んでいたとは、流石に思うまいよ。神や仏ならぬ人の身では知りようがない。運がなかったのだ。
「……ふふ。はは……」
……ほう。儂は今、笑ったか。久しいな……どれほどぶりか。
まあ、いい。ほぼ動かなくなったこの左足と、いまだ体中を苛む火傷の恨み……何よりも、儂の武士としての人生をゴミのようなものに変えてくれた恨み……ここで晴らさせてもらうとしよう。
この身を焦がす憤怒の炎……お前にも存分に味わわせてやるぞ……神森武……。
「――ら、頭っ!」
気がつけば、儂を呼ぶ声がすぐ側にあった。
「……なんだ?」
ようやく……ようやくあの小僧を追いつめられたのだ。邪魔をするな……。
少々不機嫌な声になるが、その者――惟春の下で儂に当てられた『出来損ない』の一人は、それには気づかなかった。
「頭。水島の奴ら現れないようですし、あいつら全員ぶっ殺して、あの女ども回収しちゃいかんですか。頭に下げてもらった女どもも半分近くぶっ壊れちまって、最近じゃ順番待ちが長いんですよ」
下卑た笑みを浮かべて、顔色を伺ってくる。
実に『らしい』。
男から、こちらが放つ矢に怯え悲鳴を上げている女たちに視線を戻しながら、少し低い声で答えてやる。
「駄目だ」
当たり前だ。まだ奴らは来ていない。あ奴らを血祭りに上げた後なら兎も角、この愚か者は何を言っているのか。
下らんことを言うなと怒鳴りたかった。だが、それだけは堪える。こんなのでも、今の儂にとっては貴重な戦力。我慢せねばならない。
あの小僧が血反吐を吐きながら、苦しんで苦しんでくたばるところが見たい。あの小僧が絶望にうなだれる様が見たい。
その為には、こんな者でも今は必要だ。
「……ひっ」
一度だけ、視線を男の方に戻すと、男は顔をひきつらせた。そして、必死に取り繕うように作り笑いをしている。
……ふん。
「……それで、石巻の者はどうしている? きちんと準備はできているのだろうな」
「は、はい、頭。それは滞りなく。もうとっくに。指示通りに、村に続く道脇の林の中で待機しております」
「三つともか」
「はい。石巻の頭からは、まだかとせっつかれておりますが」
石巻文吾……こいつも所詮は野武士か。それなりの数の手下を率いているから多少は物を知っていると思っていたのだがな……。
まあ、いい。
「指示があるまで、そのまま待機していろと改めて伝えよ。余計な事をすれば、安住との話はなくなるぞと念を押しておけ」
あの者らは安住の南下に泡を食っている。惟春の馬鹿ほどに、安住支配はあの者たちに優しくはないからな。
奴らにしてみれば、儂の持ちかけたこの話は渡りに舟だっただろう。
「は、はあ」
「分かったら、さっさと行け」
「ひっ、は、はい」
いかんな。儂も少し気が高ぶっている。
目の前の男は、顔を引き攣らせ足を絡ませながら、脱兎のごとく儂の前から離れていった。
それでいいのだ。お前らとて、あの小僧を殺す為以外には使い道はない。その為だけに働けば良い。それを達すれば、金でも女でも好きなだけくれてやるわ。
それからしばらくの間、櫓の上で小僧がやって来ぬかと待っていたが来る気配がない。
あの小僧め、まさか見捨てるつもりか?
少々意外だった。
青臭い伝七郎と違って、あの小僧は手段を選ばぬ所はある。だが、やはり若いところは見て取れた。だから、この手の罠には弱いと踏んでいたのだが……読み間違えたか。
そんな思いが脳裏を過ぎる。
だが、今更方針を変える訳にもいかない。
ボロボロになった鎧の表面に手などをやって、なんとか苛立ちを抑えようとしてみるが、どうにも上手くいかない。立ったり座ったりを繰り返している自分に気づく。
配下の者たちは、そんな儂を恐れてか、誰も近づいてこない。遠巻きにこちらの様子をチラチラと窺っているだけだ。
そして、そんな視線が更に儂をいらつかせる。
まだか……まだ来ぬか……神森武……。儂は、一刻も早くお主に会いたいぞ……。
見れば、また神楽の手を振り切った女が一人、こちらの矢に当たりにいって死んでいた。
思った通り、女の数が減ってきて、神楽の手が回るようになってきている。このままでは、時間を稼ぎすらされかねない。
次の手を考えなければなるまいか……。
この機を逃せば、もう儂にはあの男を殺す機会はないだろう。出来れば、継直の手に委ねる事なくこの手であの小僧の首を切り落としてやりたい。否、両手足を切り落として厩にでも放り込んでやった方が良いか……。
いずれにせよ、ここであの小僧を引っ張り出せねば何も始まらぬ。
何かないか。
出来れば、この手で殺したい。この命はここで尽きても構わぬ。あの小僧を――――。
「同影様!」
思いに耽っていると、いつの間にか側までやってきていた者に、強く名を呼ばれた。
「……どうした?」
「来ました。鳳凰旗……神森武です!」
儂の顔色を窺いながら、男はそう報告した。
「…………来たか」
思わず顔が綻ぶ。どうやら、計画を修正する必要もなさそうだ。
「!? ひっ」
目の前の男は目を剥いて、その体を震わせているが、そんなのはもうどうでも良かった。
この身を歓喜が駆け巡る。
ようやくだ。ようやく、あの小僧と再び会える。
それに比べれば、他のことはすべてどうでもよかった。