第二百八十六話 同影の罠 でござる その二
「石巻衆が同影についたようです」
夜深くなってから、蒼月が直接俺の部屋を訪れた。構わず、俺を起こせと言ってあったから、その通りにやってきたのだ。……もっとも、床についてはいたがとても眠りにつけるような心境ではなかったが。
実際、眠りに落ちることもできずに天井を睨んでいたところだった。
蒼月も必死に調べてくれたようで、その顔にははっきりと疲れが出ていた。だが、その疲労感以上に強く出ている感情があった。ひどく苦い物でも口に含んだようなしかめっ面だった。
蒼月が持ってきた油皿の火を行灯に移しながら聞き返す。
「石巻衆?」
部屋がうっすらと明るくなると、俺は乱れた寝間着の裾を蹴りながら、蒼月の真正面に座り直した。
「はい。狭間村から少し北のあたりを縄張りにする野武士集団ですな」
「……まずい相手なのか?」
蒼月の顔に答えは察したが、可能性にかけて聞く。
しかし、蒼月はあっさりと首を縦に振った。
「まずいですな。数は総勢で二百とも三百とも言われております。そして、何がまずいのかというと、奴らは数だけでなく、実戦慣れしているのです」
「普通の野武士集団ではないのか?」
「野盗や山賊がその縄張りを避ける程度には」
要するに戦闘スキルの高いガチの傭兵集団が、賊もやっている……と。
「うちの精鋭たちでも荷が重い?」
「負けはしないでしょう。ですが、決して余裕のある相手でもないかと。そして何より……」
「……何より、本来あった筈の数の優位を失った事が痛い……か」
「はい……」
その石巻衆が二、三百。同影等が二十そこそこ。多めで見積もって、三百二十。こちらは、蒼月が連れてきてくれた神楽の兵を合わせても百五十に満たない。
戦力差は倍以上になる。
道永の奴は、藤ヶ崎の攻略戦で、鬼灯が野盗を戦力にした時のやり口を参考にしたのだろう。というか、今回はあの時よりも手の込んだ真似をしていやがる。口惜しいが、予めそれと分かって調べでもしない限り、事前に対処する事など不可能だ。
今更悔いても仕方ないが、こんな面倒な奴を逃がしてしまった過去の自分が恨めしい。
今回の敵は、こちらの戦力を上回っている上に、こちらを待ちかまえている。数が少ない俺たちの方が攻め込む方だ。
これが非常につらい。
おまけに、道永の奴がとんでもない隠し球を持っていたせいで、『アレ』もいきなり使う訳にいかなくなった。
俺たちにとって注意すべきは、敵の罠――つまり敵が守勢であるという条件だけの筈だった。
罠や櫓を大量に用意して、近づく俺たちを少数でも迎撃できるように道永は準備をしている。だから、それを無効化してやれば、自ずとこちらに勝利の天秤は傾く筈だったのだ。
こちらと同じ土俵に引きずり出された奴らには、俺たちに対して為す術はなかっただろう。
数の差が、はっきりとあったから。
故に、同じ土俵上ならば容易に押しつぶせたのである。
その為に、人質さえなんとかできれば、『巣』ごと奴らを水の底に沈めてやるつもりだった。そうなれば、奴らも巣穴から出てこざるを得ないから、こちらが罠の山に突っ込む必要性はなくなる。
それで溺死してくれればそれでよし、例え逃げ出て来ても、罠に守られていない寡兵など、あとは押しつぶしてしまえば終わりなのだ。
つまり、あの工事を完了させた時点で、俺たちは勝ったも同然だった。
そう……『だった』。
だが、要の数の優位が崩れてしまった。
俺の用意した策では、今のままでは勝利を掴むことは難しいと言わざるを得ない。
というか、万が一ここで道永を討ち漏らせば確実に水島に災いを招く。だから、今のまま作戦を続行する訳にはいかなくなってしまった。
道永に安住との繋がりが見える以上、奴はここで始末しないと、まず十中八九今後も祟るだろう。
だから、ここでなんとかしないといけない。
「……水の溜まり具合はどうなっている?」
「十分です。まさか裂天の術をこのように使うなどとは考えてもおりませんでしたが」
「敵の目にさらさず、攻勢でも使えて……となると、それなりに工夫がいるからな」
「しかも、この場所から合図を出してなど……常人の考え及ぶところではございません」
「……よしてくれ。今褒められても皮肉にしか聞こえんよ」
「申し訳ございません」
思わず吐き捨てるように言ってしまった俺の言葉に、蒼月は頭を下げてきた。
「あ、いや、すまん。今のは俺が悪い」
「いえ。お気持ちは十分に理解できます故に」
「すまない」
蒼月が褒め称えてくれる言葉が胸に痛かった。策の要の条件をひっくり返されるなど、軍師としては最悪の失態だ。自分への苛立ちが抑えられない。
この状況をどう打開する……。
兵の数もそうだが、こうなってくるとそれ以上に問題なのが将の数である。
俺と重秀と、蒼月……。
口惜しいが、俺個人の武は大したことない。信吾らに鍛えてもらってはいるが、所詮付け焼き刃だ。どこまで通用するか疑問符がつく。だから、こういう乱戦が予想されるような状況では、どうしても重秀のサポートがいる。
となると、まともな将は蒼月しかいない。
しかし、今この状態では情報こそが生命線。蒼月にはそちらに専念してもらわないといけない。
詰んでいる。
足りない。百人組の下の十人組長らでは、配下の十人を取りまとめるだけで精一杯の筈だ。
どうする……。
蒼月の報告を聞いた後、部屋を暗くし横になる。しかし報告前と同じ、いやそれ以上に俺の頭は眠りについてくれなかった。
そして夜が明け、昼近くなる頃、更に悪い報せがもたらされた。
「バレましたっ。人買いに化けた者らと人質の女らは、狭間村正面で逃げ道を塞がれて櫓からの攻撃に晒されておりますっ」
大天幕に駆け込んできた物見が、慌ててそう報告してくる。
「半刻ほど前に、村から人買いを装った神楽の者らが出てまいりました。女たちも檻の中に入っており、ここまでは計画通りに進んでいるようでした。しかし、村を出たところで、同影らは急に攻撃を開始しました」
計画通り? 違うな。むしろ、道永の奴の計画通りだ。こちらの、じゃない。
こうして、俺に見られている事を承知の上で、この状況を利用してきたのだ。
見ろ、ほっといて良いのかと、奴は言っている。俺に出てこいと、そう言っている。
この俺を、戦場に――自分の前に引きずり出す為に、奴はこの演出を選んだのだ。
どんな手段で知ったのかは分からない。だが、やはり奴は、俺たちが側に来ている事を知っている。さもなければ、この様に面倒な事をする訳がない。
村の中で殺さなかった所に、奴の執念を感じる。うっとおしい。
「分かった。下がれ」
「はっ」
報告に来た物見が下がっていく。だが、天幕の中が静かになる事はなかった。
「どうします? このまま放っておく訳にはいかないでしょう」
最初に口を開いたのは八雲だった。
「放っておく訳にはいかん。だが、このままただ突っ込む訳にもいかん」
即答する。
そりゃそうだ。奴は、俺を誘っているんだ。つまりそここそが、俺を殺す為の準備が整った舞台という事になる。そんな場所に、考えもなしに出向いていい訳がない。
「でも、どうします? いくら神楽でも……そう長くは……耐えられないでしょう?」
吉次が眉を顰めながら、言葉を選びつつ尋ねてきた。
「分かっている」
鬼灯、蒼月、重秀……そして、いつもならば真っ先に騒いでいるだろう太助が無言でこちらを見ていた。特に太助が、いつになく真剣な視線で俺から目を離さずにいる。
俺は、そんな皆を置いて無言で天幕を出た。
狭間村を一眸できる崖の方へと向かう。
確かに、俺の視力でも見える。村の門前で、小集団が攻撃に晒されているのが分かった。
忌々しい事に道永は、手下らを上手く使って村の正門前に作られた二棟の櫓の前に、神楽と人質の女らを押しとどめている。そして、一気に押し潰そうとせずに、まるで嬲るかのように散発的な攻撃を仕掛けていた。放たれた火矢から燃え移った火が、いくらかの荷車を燃え上がらせている。その煙は、風に乗って空高く延びていた。
……くそ。間違いない。奴は俺に見せつけている。そして、出てこいと言っている。さもなければ、この状況で火矢など使う意味がない。
石巻とかいう野武士集団が加わっているにしては、この戦闘に参加している敵兵の数も少ない。やはり、あそこに普通に出て行ったらやられる。
どうする……。
「……あんたを誘っているな。どうする?」
いきなり声をかけられた。
振り向けば、それまで珍しく静かだった太助が腕を組んで立っていた。