幕 道永(二) 忘れえぬ敗戦 その二
「な、何事だっ!? い、石だと?」
おのれ、伝七郎っ。次々と小細工を。
あの炎の玉を落され進退を封じられて以降、兵たちは混乱をきたし、平常心を失いつつあった。そして、そこに石が投げ落とされ、部隊の混乱は更に拡大していた。
糞っ。これはもう止まるまい。本当に使えぬっ。
ん? おお、藪の中は比較的石が直撃しにくいな。
兵たちの中にも、それに気が付き藪に飛び込んでいるものがちらほら見える。枯れた低木あたりを確保できた奴らはかなりの幸運だ。石をほぼ完全に防いでいた。
ならばと馬を飛び下り、近くにある木の根元に飛び込むように身を隠す。
あのようなもので獲られる程、この俺の命は軽くない。有象無象と一緒に扱うなっ。
「次っ!」
再び鋭く響く例の怪しい男の声が、兵たちの心を大きく揺さぶる。周りに見える兵たちの顔が、その声を耳にして更に強張った。
奴の指示なのだろう。その声に合わせるように太鼓が再び鳴らされた。その後すぐに油が崖上から撒かれて、松明が次々放り込まれる。
瞬く間に松明の小さな火が周りに燃え移り、身を隠していた藪は炎で包みこまれていった。
藪に隠れていた兵のうちいくらかは、投げ込まれる松明を見て藪を飛び出し難を逃れたようだ。しかし、呆然とその様を見ていた何名かは、その急速に成長する炎に巻かれて、煙の向こうに倒れていった。
なんという下品で狡猾な行いか。これは明らかに武への冒涜だ。こんなものは断じて戦ではないっ。
炎に包まれ、膚を焼き焦がされながら、やむなく石の降り注ぐ道の中央へと戻る。
前後左右を炎と崖で塞がれ、退くも進むもままならん。頭上には、私たちの命を奪うのに十分な大きさの石が降り注ぐ。
隊の半分以上がすでに殺されてしまった。ここまでの被害を出してしまっては、すでに隊としては壊滅だ。この分では、後ろの足軽たちも似たり寄ったりの状況であろう。
なんとか生き残っている者たちも、混乱と表現出来る範疇を越えて、狂気に支配されてしまっている。
その上さらにそれは起こった。
まるで山が火を噴いたような轟音が谷に鳴り響き、木霊した。
「こ、こんどは何事だっ???」
ここからは確認できない。あれは足軽隊の辺りか?
はるか後方の足軽隊がいた辺りで、黒煙に交じって立ち上る土煙が見える。
これも奴らの仕業かあっ。おのれ。おのれ、おのれ、おのれぇっ。
絶望の悲鳴、轟く怒号、響き渡る断末魔。そして、全滅。それが今目の前にあるすべてだった。
「ぐうっ」
石がこの身をかすめる。このままでは殺されるのは時間の問題だ。
兵たちも次々と動かぬ骸に変えられていく。
このままでは、私が逃げきる為の捨て駒すらいなくなるのも時間の問題だ。なんとかせねば……。
「伝七郎っ」
「はいっ! 狙え。撃てっ」
あの青瓢箪の指示かと思ったら、あの男の狡知かよ。揃いも揃って、戦の誉を解さぬ愚物どもがっ。
炎を避け、必死の形相で上から降る石を躱している兵も、背から横から狙い澄ました弓矢によって、その命を刈られていく。
「お、おのれ~っっ。おのれぇぇぇ、伝七郎ぉぉうっ」
おのれ、伝七郎。この様な戦を愚弄するような真似をしくさりおって。
「おい。おっさん。いい加減諦めて死ねよ。もう十分生きただろ? 分不相応な夢まで見て好き勝手しちゃってさ。最後ぐらい潔く逝かんかね?」
弓兵を指揮する伝七郎の姿を見つけ、投槍の一撃でもくれてやろうと構えようとしたまさにその時、その横に再びあの男が姿を現した。
「貴様はっ!」
この諸悪の根源の名聞かずにはおれぬっ。
「おう。自己紹介が遅れたな。俺は神森武。千賀を守る水島の客将だ。この名を手土産にとっととくたばれ」
その男は鉢巻を風にたなびかせ、胸を張るように崖の縁にすっくと立っている。うっすらと人を小馬鹿にするような笑みを浮かべた不遜な態度で。
神森武。知らぬ名だ。
という事は、やはり奴が光とともに現れたとかいう男で間違いなさそうだ。まだ、若い。伝七郎と大して変わらぬように見える。
そして、だ。その口の利き方と態度は、小僧のやる事と笑って許せる範囲を超えているっ。
「ふざけるなっ!!」
青瓢箪を始末する予定だった槍を神森武とかいう小僧に向かって、力任せに投げつけてやった。
しかし、槍は的を少し外した。奴の顔の横を、その表皮を削りながら突き抜けていった。
ちっ。外したか。と言うか、躱しおったな。伊達に盛吉を討った訳ではないという事か。
奴は上半身を微かに傾けると、その頬を槍が掠めていくのに任せた。その顔に人を小馬鹿にするような笑みを浮かべたまま。
若造のくせになんという糞生意気な態度だ。
「なんだ? この槍くれるのか? なかなか良い槍じゃないか。有難くもらっておこう」
一々人の感情を逆撫でる。
「この卑怯者がっ! ここに降りてこいっ!! そして、私と戦えっ!!!」
「卑怯? 言ってろ馬鹿者が。お前らの理屈なんぞ俺が知るかよ。お前らはお前らの都合で千賀を殺そうとした。そうだろ?」
そして、なんたる口の利きようだ。第一それがどうかしたと言うのかっ。
「そ、それがどうかしたかっっ!」
「いいや。どうも? むしろ認めてやるよ。おまえらの都合ってやつをな」
「た、武殿?」
ほう? 口の利き方を知らん戯けだが、意外に物分りは良いのか?
横で青瓢箪が慌てている所から見て、これは奴自身の言葉と見受けられる。
「ほ、ほう。隣の青瓢箪よりは話が分かるではないか。なら……」
「だーかーらーさー? お前も俺の都合を認めろよ。俺は俺の都合でお前を殺すんだよ。同じ事だろ?」
くあっ。やはり戯けは戯けであったわっ。こやつはどこまで私を馬鹿にするつもりなのだっ。
「俺はあのチビ死なせたくないんだわ。だから、お前が代わりに死んでくれよ。なっ?」
この私の命が、たかだか餓鬼一匹の命と同じだと? おまけに彼奴の都合で私に死ねだとっ?
「こ、小僧どもが私を愚弄しおってぇっ……」
「何、安心しろ。お前が担ごうとした小汚い神輿は、近いうちに責任もって俺が解体してやるよ。粗大ゴミの心配も無用だ。ちゃんと焼却処分もしておいてやる。だから、安心してくたばれ。…………お前、いや、お前らは千賀の親父さんを裏切った時点で命運が尽きていたんだよ」
継直の事などどうでもよいわっ。おのれ糞餓鬼があ。この日の事、この道永決して忘れぬぞっ!
「おのれぇぇ。神森武と言ったなああ。その名忘れんぞぉっっ」
「黙れおっさん。むさい爺に名前を憶えられても嬉しくもなんともないわ。そういう事は美少女に生まれかわった後で言ってくれ」
おの……れぇ……。おのれぇ。おのれおのれおのれおのれ、おのれぇぇっ。
「おぉぉおぉおおおおおお!!!!」
足元に転がる槍を拾い腰溜めに構えると、前方で進路を塞ぐ炎の塊に向かって突撃する。
腕を、顔を、そして、この身のすべてを燃え盛る炎が次々に舐める。だが、熱くはない。この身の内に投げ入れられた黒炎の熱さに比べれば、何ほどの事もないっ。
「くっ! 弓隊、道永を狙えっ!! 逃がすなっ!!!」
奴は慌てて弓兵にいらせようと指示を出すが……、遅いわ。戯けがっ。
背中と左腿の後ろに矢が当たる。しかし、それも如何ほどの事もない。必ずこの場を生き延びて、奴らに復讐してやるっ。
目の前の炎の玉が横に動き、人が一人通れる隙間ができる。その姿は劫火で彩られた門のようであった。
だがしかし、僅かばかりの躊躇もなく私はそこに飛び込む。
私は負けてない。こんなのは戦ではない。だから、これは敗北ではないっ。奴らがこのような卑劣な真似をするとわかっていれば、それ相応に備え対応した。
奴らは戦を愚弄し、卑劣な手段を持って、私の部隊を滅ぼしただけだ。
次会う時を楽しみにしていろ。貴様らがそのつもりなら、相応に相手をしてくれる。この恨み決して忘れまいぞ……。