第二百八十三話 敵の備えに備える事 でござる
さて、火薬の準備が出来ているのならば、少しでも早く動くか……。
道永の奴が田島の北を占拠したままだと、敦信の戦場に影響が出る。さっさと片付けないといけない。
蒼月には、半次の仕事を引き継いでもらい、道永が占領した狭間村に人を張りつけてもらっていた。
道永の奴は村周辺でごそごそしてはいるようだが、目立って大きな動きはしていないらしい。ただ、伝七郎や信吾らが笹島に動いてから、その動きは始まったようだから、おそらくは喜喜として俺を迎える準備をしているのだろう。たぶん、しこしこと罠を増設しているに違いない
「武様、本当に田島には向かわないおつもりですか?」
田島へと向かう随分と手前で、街道を逸れて山道を北に向かう俺に八雲が問うてくる。今回は朱雀隊に混じって戦うことになる為、太助ら三人もそれぞれが馬上の人だった。
敵の数は二、三十で、こちらが率いてる兵の数は二百ちょい。戦闘員は朱雀隊の百のみで、他は荷駄などの非戦闘員だが、数も質も道永のところの兵を圧倒している。
とはいえ、今回の敵は今までの敵と違って、手段を選ばずに命を……特に俺の命を取りに来る。むしろ、今まで以上に油断出来ない戦いになる。
そんな状況で田島の北二里にある狭間村の敵と戦うならば、田島を拠点に戦う方が……という八雲の疑問はもっともなものだと言える。しかし、
「ああ。俺たちの戦いだけを考えるならば、田島を拠点にする方がより安全に決まっているが、今回はそうはいかんからな」
俺はそれを即座に否定した。
「……俺たちが居座っていたら、敦信が引けなくなるしな」
すると、それに太助が頷く。
ほう……。
太助らにも当然作戦の全容は説明してある。だが、今回は特に誘導もしていないのに、きちんと全体を見据えた意見を口にしている。随分と変わってきた……あいかわらず生意気だが。
「お前は敦信殿と呼べ。相手は年上で、しかも、すでに世に名が売れている将だぞ。侮るな。俺も他人のことが言えるようなタマじゃないが、『本物』目指すなら、お前はまず覚えるべき事がある。それは、出しっ放しの刃なんか危なくて仕方ないって事。ちょっと濡れれば錆びるし、ぶつければ欠けちまうしさ。使える刃物ってのはな、日頃からきちんと手入れをされていて、普段はしっかりと鞘の中に収まっているもんだ。だからこそ、いざ使う時に良く『切れる』」
太助が次に覚えるべきことは、『見極め』だろう。
緩急あるいは適当といってもいい。
臨機に自分を変えていく。その柔軟性。
それを覚える必要がある。
俺に生意気な口を叩いていてもいい。敦信に喧嘩をふっかけるのもいいだろう。
だが、本当に自分を抑える事が必要な場面にぶち当たった時に、今の太助にそう出来るだろうか。
敦信の実力を知っていて敦信に正面から喧嘩を売った太助には、多分まだ出来ない。
あれが敦信の性格も考慮に入れた行動だったならば、文句はない。だが、おそらくはそうではなかった筈だ。
出会った頃と比べれば今の太助もずいぶんと変わった。成長している。それも、手放しで褒められるほどに。
でも、まだまだ腋が甘い。
敦信に真っ正面から堂々と喧嘩を売った太助は、人として好ましい。だが将としては、残念ながら失格の振る舞いだ。
もっとも、太助もそう深くは考えていなかった筈だし、敦信の件と戦場では、また判断も変えてくるとは思う。
太助とて、菊らや、年かさの者ら相手には相応に振る舞うし、俺に対しても、公の場では弁えた物言いをするのだから、使い分けがまったく出来ていない訳ではない。ただ、年相応な若さがあるだけで。
男には、他の男に負けたくなくて尖ってしまう時期があるものだ。雄の本能が育ち始めるが、未熟故にその衝動を抑えきれなくなる……そんな時期は確かにある。
俺もついこの間までそうだったし、大なり小なりそういう風になる時期があるのは、人間の雄として自然な事だろう。別に太助だけが特別なのではない。まれに、いつまでも直らない奴もいるが。
しかし、もし一流の相手と戦場で出会えば、そういう時期もあるよねでは済まされない。そういう相手は、こちらの僅かな隙を絶対見逃してはくれないから。
そして、この手の隙は、持っているとどこかに必ず出てしまうものだ。だから、普段からの心持ちが大事なのだ。
相対すれば、俺でさえ間違いなくその隙を狙い撃つ。遠慮なく。
今のままの気性では、太助はいつか必ず足を掬われてしまうだろう。
だから、太助にはもう一皮剥けてもらいたい。
というか、変われなければ、そう遠くない未来で、太助は戦場で命を落とすことになる筈だ。安住や佐方くらいのでかい国には絶対いるだろう――『本物』たちが。
そいつらは、この手の隙を見逃してはくれない。そんな奴らと正面切って戦うようになるまでに、たぶんもう何年もない。継直を殺ったら、すぐにそういう奴らとの戦いが控えている。
今の太助は、そういう場所に身を置いているのだ。
可哀想だが、本来まだ許されるその甘さを、太助には捨ててもらわねばならない。
それを、わざと遠回りな言い方をして伝えた。
直接的に言っても意味がないし、たぶん今の太助では、自分で噛み砕いた言葉しか受け入れる事は出来ないだろうから……数年前の俺と同じように。
「……ふん」
太助は面白くなさそうにしながらも、反論してくるようなことはなかった。
「本物かあ……」
吉次は道の両脇に立ち並ぶ枯れ木に狭められた空を眺めながら呟いた。
「武様は、時々面白い例え方をしますよね」
八雲はクスリと笑う。こちらは、俺が言いたいことを完全に理解できているようだ。
重秀は口を挟んでくることなく、そんな三人をそれとなく見守っている。
大事な話ではあるが、俺もそれ以上に言及はしない。この時期の男にとって、この手の話の刺激は強い。刺激をしすぎても反発心しか生まない。それは、過去の自分を思い返すだけで容易に想像がつく。
だから、さらりと流して、さっさと話を変える。
「ま、それはそれとして、だ。太助が言う通り、田島に俺たちが居座ると敦信が非常に困る。だから、俺たちは田島の北西にある『堤』に出る」
「堤? 狭間村の南西にある堤の事ですか? あんな所に、私たちが拠点に出来るような場所がありましたっけ」
八雲が少し考えるような仕草をした後で、そう尋ねてきた。
「拠点にできるようなものがあるとは聞いていないな」
「なら、なんで……」
首を傾げてしまった八雲に、俺はニヤリと笑ってみせる。
「ま、楽しみにしていろ」
目的の場所に着く。
かつて、結構太い荒川の支流が流れていた場所で、確かに岩と土で巧みに流れがせき止められていた。
東の砦に行く途中にも渡る荒川は、田島の前でも再び街道を遮っている。まるで蛇がのたうっているかのように曲がりくねっており、この堤が作られた場所は、そのくねりの一部にある。
堤は完全に荒川の支流の流れを絶っていた。
それは見事なもので、堤の裏側は完全に陸地となっていた。左右を山で挟まれており、少々広く原っぱが広がっている。しかしよく見ると、かつて川底であったと思われる痕跡は残っていた。今は、枯れ草の上に積もった雪で真っ白だが、この広めの『谷』の真ん中を、荒川から分かたれた支流が流れていた姿は想像に容易い。
「こうして今見ると住みよさそうな土地なのですが、ここらの土地は水を含みやすく、この堤が出来る前は川岸も広い範囲で緩く、使い道がなかったと聞きます」
堤の上に立ち、周囲の地形を観察していたら、馬を近づけてきた重秀が教えてくれた。
「地図だけでは分からんものだよなあ。なる程、分かる気がする」
馬から降りて下の土を確かめると、確かに泥質の強い水はけの悪そうな土だった。
「それで武様。ご指示通りに、兵には北東半里の地点に土袋を積ませておりますが、本当にこんな事をしていてよいのですか?」
この堤から北東半里の地点――そこは左右の山が迫った地形になっている。この堤の場所からその地点までの地形をイメージするならば、ちょうど顔を洗うために両手を重ねたような感じになる。
「いいんだよ、それで。道永……同影の奴が罠を張っているならば、こちらも無策で突っ込む訳にはいかないんだから」
俺はよく分からないと言った顔している重秀に笑いかけると、彼を連れて設営されたばかりの陣へと馬を返した。