第二百八十二話 火薬 でござる
「――――という風に動いて欲しいんだ。難しいのは分かっている。でも、敦信。お前ならば出来ると思っている」
祈るような気持ちだった。
俺は、逆包囲の解除から金崎家攻略までの計画を敦信に説明した。伝七郎らとは、なんのかんので共に死線を潜ってきた仲だ。まだ一年少々とはいえ、互いの呼吸はなんとな分かる。
だが敦信は、まだ俺たちの元に来て間もない。そんな敦信に完全に一軍の指揮をさせて、しかも連携させようというのだから、信頼云々以前に思考のすり合わせが必須となってくる。
俺の話を聞いていた敦信は、ただ無言で目を丸くしている。紅葉は、何かに怯えるかのような顔をしていた。
どうしたと問いたい気持ちもあったが、話を脱線させたくなかった。だから俺は、ただ敦信の目を真っ直ぐに見据え、
「どうだ? 出来るか?」
そう問う。
「私は、武様の家臣です」
「ああ、その通りだ。約束した。二言はない」
「であれば、私の答えは出来る出来ないではございません。やってみせます。お任せ下さい」
しばらく俺の目を見返していた敦信は、そう言って笑う。
「……もう片方を爺さん――永倉平八郎が担当しているくらいには難しいんだぞ?」
「無論、理解できております。しかし、私は不安よりも喜びの方が大きい。優れた主の下で、その信頼を得て戦えるこの幸せ……武士の本懐にございます」
「そっか……有り難う。だが、簡単にくたばらないでくれよ? 菊に死ねなくなる呪いをかけられた俺が言うのもなんだが、お前だってこんな所で死んではいかんぜ。お前の背中にも、三森の兵たち、民たちの命が乗っている。三森の民らが飢えぬ生活を送れるようにするのだろう? その為にこの朽木の地を、お前は治めなくてはならないんだからな」
「武様……」
「難題吹っ掛けている俺が言う言葉ではないだろうがな。でも、俺たちは勝たねばならん。そして、明日も生きていなくてはならん。こんなところで躓く訳にはいかないんだ。……自分だけ簡単にくたばって、楽になっちゃいかんぜ?」
「ははは、貴方という人は……。承知致しました。武様のお言葉、しかと心に刻んで戦場に赴こうと思います」
「まだうちに来たばかりだというのに、負け戦を強要してすまんな」
「いえ、むしろ光栄にございます。新参の私に、これ程の任を与えていただけるとは………」
敦信は、少し声を詰らせた。金崎にいた頃のことでも思い出しているのかもしれない。
そんな敦信を見て、俺も安心した。敦信が役目をきっちり理解している事が、俺にも分かったから。
「……そっか。分かった。もう余計な事を言うのは止めよう。よろしく頼む」
「はっ」
「さっきも言ったように、今回の策は、互いの動きに呼吸を合わせることが極めて重要になってくる。自分だけが突出しても、また遅れてもいけない。互いが各戦場の状況に気を配って、それぞれが計画の完了に必要な動きを過不足なくしないといけない。まだうちに来て日が浅いお前にとって、これは極めて難しい事だろう。が、なんとかして欲しい。これを頼めるのはお前しかいないから。太助らも頑張ってはいるが、流石にこの任は、まだ荷が勝ちすぎる」
「太助殿らは、まだ若い。これからですよ。水島の鳳雛・神森武の一の家臣ではございませんか」
俺の言葉に再度頭を下げた敦信が、それまでよりも少し優しい声でそう言って笑う。
「なんだそれは?」
「武様の臣にしていただいて、すぐに釘を刺されましたよ。自分こそが、鳳雛・神森武の一の家臣なのだと」
あの馬鹿。
溜息が漏れそうになる。つか、そう名乗るなら、普段からもう少し俺をリスペクトしてくれてもいいのではなかろうか。
「で、お前は二番だと?」
「いえ、四番だそうです」
「ああ、吉次と八雲か」
「はい。いいですなあ、若者はああでなくては」
「その言い方は爺臭いぞ。俺も勿論だが、敦信だってまだまだ若いだろう」
敦信は、おそらく二十代半ば。立場が違えば、口の利き方も考えなくてはならない程に歳も離れている。だが世間では、敦信だってまだまだ十分に若者の範疇だ。
「そうでした。しかし、ああいう健全な若さというものは、金崎では見ることが出来なかったのですよ。ですから、どうしても」
「ああ、そういう事か」
「はい。それに彼は、きっと伸びますよ。あの真っ直ぐさは、人を上に伸ばすでしょう。太助殿が、名実ともに武様の一の家臣になる日もそう遠くはないかと」
敦信は具体的な事を何も話さなかったが、何かを思い出すような仕草をしては優しい笑みを漏らした。
「へえ……勇将・三森敦信にそう言わせるか。やるじゃん。俺も楽しみにしていようかな」
「ふふ。そうしてあげて下さい」
俺たちの話を黙って聞いていた紅葉も、珍しく優しい笑みを浮かべていた。
敦信に南東より来る佐方軍の処理を依頼した数日後、俺は太助ら三人と朱雀隊を率いて朽木を出た。向かった先は、神楽の里。ここから出陣し、道永の野郎の首を上げてくれる。もう、こちらにも余裕はない。これ以上、奴に引っ掻き回されたら堪らない。そうなる前に片付けなくてはならない。
ここ最近碌な報せがなかったが、里に着いた俺を迎えてくれたのは久々の朗報だった。
伝えた『古土法』により、蒼月が硝石の製造に成功していた。
蒼月は、里に到着したばかりの俺と鬼灯だけを里の裏山へと案内した。本来ならば鬼灯は見ること叶わぬ身だが、俺の手足として見せておくべきだと、蒼月から進言してきたのだ。
裏山に俺たちを連れて行くと、蒼月は、今回作った硝石を用いて調合した火薬を使って発破を実演してみせてくれた。
ズンとくる衝撃波は皮膚だけでなく、胃袋までも押さえつけた。その激しい音と圧力に、鬼灯はこれ以上なく目を丸く見開いて驚いていた。
だが俺の体は、喜びで舞い踊りそうだった。
硝石以外の材料は揃っていたとはいえ、こうも早く実用レベルに持って行けるとは思っていなかったのだ。
俺の予定では、これから蒼月と共に硝石の製造に取りかかる予定だった。
大量生産は無理でも、実際に硝石の製造が可能であるという証明までは、道永との戦いの前までになんとかしたかった。それができれば神楽に残っているなけなしの硝砂も使わせてもらえるのだから、これから数日ほど使って、なんとかそれを証明できればと思っていたのだ。
しかし、里に着いてみれば、すでにその段階は終わっていた。蒼月は満面の笑みを皺の深い顔に浮かべ、
「武様に教えていただいた硝砂の製法……この通り、見事成功致しましたぞ。これで我々は、裂天の術を失わずに済みます……。もう、なんとお礼を言ってよいか……」
蒼月は笑顔を浮かべたまま声を詰らせる。
だが、感謝したいのはむしろこっちの方だった。
「すごいな。まさか、藤ヶ崎から戻ってきたら物が出来ているとは……。いくら、ある程度元があったとはいえ、硝砂に関しては完全に失伝していたのに」
「それは武様が詳細に教えて下さったからこそです。私どもは、その通りにやってみるだけでよかったのですから」
いや、それでもすげぇよ。俺が黒色火薬を調合した時には、きちんとした材料があったんだから。そもそも俺自身、硝石から作った事はない。硝石の製造については、『病気』を煩っていた時に、これでもかと調べてきっちり頭に入っているが、実際にやった経験はない。そんな俺の説明で、実際に爆発する黒色火薬の調合まで成功させたのならば、それは間違いなく神楽の……蒼月の功績だ。
「そう言ってくれるのは有り難いがな。これはお前たち神楽の功績だ。きっちり数えておくよ。それと、水島がこれから手がける炸砂の製造と管理は、おそらく神楽に任せることになるから、そのつもりでな」
事実上の独占だ。これで、神楽の財政が苦しくなるようなことは、しばらくないだろう。
また、古土法では生産できる量がたかが知れているし、大量生産に必要な大量の畜糞は俺が抑えている。その関係で硝石を生む『床』も二水付近になる。『床』を自由に作らせたりせずにきちんと管理すれば、時代が進んで人が入れ替わっても、ある程度は何とかなる筈だ。
これでいい。
「おお……」
蒼月は両手両膝を汚しながら、額も土つけんばかりに深く深く頭を下げてきた。