第二百八十一話 虚々実々 でござる
南は爺さん――水島家自慢の永倉平八郎が必ず抑えてくれる。
しかし、佐方の軍は二つ。もう一つが南東から侵攻してくる。これをなんとかせねば、俺たちは喉元に槍の穂先を突きつけられる事になる。
だから、俺はその穂先を払う役目を三森敦信に頼もうと決めた。
三森敦信とその配下の三森衆――――。
強かった。直接刃を交えているだけに、その能力になんの不安もない。強いて言えば、今回の戦では『数』が足りなさすぎるのが問題であるくらいだ。
しかし、そこはそれ。俺たちだって、それぞれの精鋭部隊のみで戦っている訳ではない。俺の朱雀隊も数は僅か百だ。それ以外は、玉石混淆の一般兵やら、もっと劣る足軽隊で数を補い戦っている。それを思えば、今この地にいる三森衆は二百人弱で朱雀、青龍などの精鋭部隊の倍近い。いくらか足軽隊を混ぜれば、十分いける数である。
何より敦信は、俺や伝七郎を相手に汚れながらも、信吾らと真っ向から戦ってみせた。
同じ事が出来る奴が、この世界で他に何人いるだろうな。
確かに敦信は俺たちに破れはした。しかし、もしあの時、川島朝矩が無能なりにもう少しマシな上役であったならば、敦信が俺たちにもたらした被害はあんなものではなかった筈だ。
だから俺が、敦信の本当の力を解放してやるのだ。
と言っても、上から邪魔をしなければいいだけなのだから、何も難しい事じゃない。でも、たったそれだけで、今回の敦信が今まで俺たちが戦ったどの敦信よりも強いのは間違いない。
敦信ならば、俺が腹を括って信じれば、きっと全力で期待に応えようとしてくれる筈だ。だから俺は、一切の疑念を断ち切って信じ切る。ただ、それだけでいい。
そして敦信には、朽木を拠点に田島を前線として戦ってもらう。ちょうど藤ヶ崎を拠点として戦う爺さんのように。
どちらも、粘りながらゆっくりと『下が』らせるのだ。佐方に領土を食わせながら、その代償に『時間』をもらう為に。
どれだけ高く売りつけられるかで、俺たちの今後は決まる。
今回の逆包囲における最大の問題点は、俺たち水島の国力から見て、同時に捌かねばならない戦場の数が多すぎるという点だ。
そんな状況ですべての戦場で勝とうなどと考えたならば、確実に詰む。これは不可避だ。
では、どうしたらいいか。
拾うのではなく、捨てる覚悟をしなければならない。
しかし、何でもかんでも捨てればいいという訳じゃない。どれだけ計画的に捨て、いつどこの何をどのように拾っていくのかという選択が重要になってくる。
つまり、すべての戦場の『速度』を如何にコントロールするかが肝になってくる。
ただ、これは言うは易しの典型だろう。
戦術における『釣り野伏せ』を戦略規模でやろうという話なのだから、簡単な訳がない。その難易度は推して知るべしだ。
今回餌として敵の前に吊すのは、勇敢な兵たちの命ではなく『領地』だ。
この難局を捌く策の手始めとして、爺さんと敦信には、戦の勝利ではなく、佐方の侵攻速度を落とす事を目標に戦ってもらう。可能な限り耐え、それでも駄目ならじわじわと下がる。
限界ラインは、南は藤ヶ崎南にある南の砦で、南東は田島南を流れる荒川を渡り、東の砦までだろう。これを越えられると、流石に肉だけでなく骨にまで傷が及ぶ。敵の骨を断つどころではなくなってしまう。
そして敦信を、田島で粘らせず、朽木方面ではなく『東の砦』へと続く山道に下がらせるのだ。敦信なら、粘るなという指示ならば被害などほとんど出さずに、それを成し遂げるだろう。
敦信が田島から東の砦方面へと下がれば、南東から来る佐方の軍の前に、これ見よがしに朽木へと続く道が開ける事になる。
だが、おそらくこの佐方の軍は、朽木には向かわない。
ほぼ無傷の敦信に背中を取られる事を警戒する筈だ。もし、ここで南東から来る佐方の軍が空の朽木に色気を出してくれたなら儲けものだ。が、惟春じゃあるまいし、多分そう簡単にはいかないだろう。
俺たちはツイていた。もし、今回侵攻してきている佐方の軍に十二分の兵が与えられていたら、即座に田島周辺の鎮圧した上で、敦信に蓋をしてくるに違いない。だが今回、それができるだけの数の兵は確認されていないのだから。
朽木というご馳走は目の前にぶら下がっているが、それに食いつくだけの体力がない。
だから、己を冷静に見られる将ほど、この餌には食いつかない。うっかり朽木に足を伸ばせば、後方を敦信に絶たれて、その上で笹島からとって返してきた軍と朽木の守備隊に囲まれて袋にされるからだ。
空城もどきのこの計……相手が馬鹿だったら、逆に使えなかった。
おそらく、南東からくる佐方の軍は、引いた敦信を先に叩こうとするだろう。
それ故に、俺たちは領土を――手始めに田島を『捨てる』覚悟をすれば、時間を得る目処がつく。……しかも、金崎領さえ押さえられれば、今この時点で佐方を相手に失う領土は取り返す事がさほど難しくないから、やらない手はない。
今、ここで失う領土を今度攻める時には、地勢的に非常に有利な状態で攻め込む事が出来る。
他の場所と比べれば、圧倒的にマシだ。
『捨てる』なら、この場所しかない。それ故に、この場所で『引く』。
そして、爺さんと敦信が時間を稼いでいる間に、伝七郎らには三軍に分かれてもらって、惟春の領土を烈火のごとく侵す。
本隊の伝七郎には、まっすぐに惟春のいる敵本拠・美和を目指してもらう。
源太にはその機動力を生かしてもらって、一度北西に抜けてから海岸線沿いを北東に進ませる。美和の更に北を目指して。
残ったもう一隊は、与平に率いさせて美和の東の山中を進み、美和の北東――安住領と金崎領の国境にある比際峠を臨める位置に陣取る。比際峠は安住と金崎両国を繋いでいる街道の途中にあり、今回安住は、そこを通って金崎領へと攻め込んでいる。
これが出来れば、たとえ安住の軍が相手でも俺たちは『勝てる』。
もし、いま安住が戦っている相手が俺たちならば、この手は使えない。当たり前に警戒されるだろうから。
しかし、惟春の首を狙って北進する今ならば、話は変わってくる。ちょっと誤魔化すだけで、おそらく安住軍の意識の中から、俺たちの存在は『消える』。認識してはいても、見えなくなる。奴らは奴らで、目の前にある金崎の領土を削らねばならない時だから。
これは心理が生み出す錯視のようなもので、奴らに言わせれば今まで以上に卑怯極まる所行だろう。が、これを利用しない手はない。敵方には、武士の心を持たぬ男を敵に回した我が身の不幸を嘆いてもらうだけだ。
安住は、まず源太に気づくだろう。その動きが、美和を攻めるにしてはおかしいと。
しかし、そこで源太に釣られてくれたら、こちらの勝利は八割方不動のものとなる。機動力のある源太の軍に、接触した安住の軍を引っ張らせれば、伏せていた与平が、満を持して延びきった安住の兵站を絶つからだ。それが可能になる。
結果、今回南下している安住の軍は、金崎領内で孤立することになる。そうなれば、如何な大国・安住の軍といえども終わりだ。
そしてこの段階で、伝七郎・信吾の本隊が美和を囲めていれば言うことはない。惟春にちょろちょろされるとうっとうしいが、伝七郎が囲んでくれていれば、その心配はなくなるからだ。
あとは、この時点までに俺が道永を片づけ、そして美和に到着できれば、もう確実に今回の危機を脱することが出来る。
俺は、伝七郎から兵を分けてもらい、取り残された安住の軍を源太・与平と連携をとりながら片づければいい。これは、さほど難しい仕事にはならないだろう。
今回安住は、金崎領へと侵攻するにあたり、好機を逃さずと街道を使って『速さ』を重視した行軍をしている。それが仇となるのだ。
ここまで成功させられたら、あとは源太と与平をそのまま大返しさせればいい。敦信がいる田島~東の砦間には与平を。爺さんの下へは源太を。
敦信の戦場では挟撃になるし、源太部隊の機動力ならば、爺さんが耐えている間に最南端の戦場にも到着できるだろう。
対佐方の二戦場とも、戦局は一気にこちらへと転ぶ。
とはいえ、口で言うほどに楽な策ではない。それは改めて考える必要もないほどに明白だ。
だが、今まで苦しい戦いを続けてきた俺たちならば、きっとできる。成し遂げられる。
だから俺は、俺たちを信じて、これをやってみせる――――。