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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第一章
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幕 道永(二) 忘れえぬ敗戦 その一

 こつり、こつり、こつり──。


 きし、きし、きし、きし──。


 組んだ腕の先で、私の指が鎧を叩く音がやけに大きく響く。


 先程から揺すり続ける左足も止まらない。それに合わせるように私の座る床几(しょうぎ)が軋み、その音が更に私を苛立たせた。


 明日にはあの青瓢箪を始末してくれる。そして、姫の首を挙げてやる。


 これ程被害を出してしまっては兵を損じた責任をとらされよう。姫の首を獲っても、かなりの功績の相殺は免れ得まい。


 継直はそういう所に抜け目がない。確実に不手際を突いてくるだろうな。


 盛吉の阿呆がもう少し使える奴だったならばと思わずにはおれんが、事ここに至っては是非もなし。


 ちっ。忌々しい。今回の功を継直陣営における出世の糸口にしようという計画は確実にご破算だ。それもこれもあの青瓢箪のせいよ。


「ご報告します。偵察が戻りました」


「よし。通せ」


「はっ」


 あの盛吉が寡勢の軍に敗れるなど、未だに信じられん。あれが敗れるなら、それなりの相手であり、数であると思っていた。だが、そんなものを姫、いや、あの若造が用立てられる訳がない。


 必ず何かがある筈。それを探る為に偵察を放った。


 なにがしか掴んできている事を期待したいが、どいつもこいつも使えぬ屑ばかりで望み薄ではある。


「ご報告します。敵は谷を進んだ先、南東に二里の位置に陣を張っている模様。正確な数は不明。陣の大きさから見ての推定では百人前後かと。また、谷の出口近くに落とし穴があります。大きさは谷の道一杯の広さで奥行は二間ほど、深さは人の背丈くらいかと思われます」


 放った偵察が陣幕の中に入ってきて、直立したまま報告する。


 ほう、敵の数を確認してきたとはなかなか気が利くではないか。つまり、寡勢である事はほぼ間違いないという事か。


 時に、こいつはなぜこうも泥だらけなんだ?


 陣幕の中は薄暗いが、目を凝らさずとも分かる程に、目の前の男は全身泥まみれだった。よく見れば、腕や足に擦り傷が結構あり血が滲んでいる。


 使えぬ者が使えぬなりには、仕事をしてきたという事か。


「そうか。下がれ」


「はっ」


 私がその泥まみれの姿に眉根を寄せていたのに気が付いたのだろう。その兵はばつの悪そうな顔をしていたが、私の言葉に安堵したのか、そそくさと下がっていった。


 僅かに疑問が頭に浮かびはしたが、どうでもよい事だ。一々兵の姿の事など気にしてられる程、暇ではない。


 それにしても罠とはな。あの青二才め。多少はできる者かと思っていたが、完全なる私の見立て違いだった。戦の作法も解せぬ愚物だったかよ。武士(もののふ)の誇りも解さぬ程とは……。多少でも奴を評価していた己に腹が煮え立つわ。


 この陣から奴らの陣まで約二里。明朝陣を畳めば、いつでも我が槍の切っ先は奴の喉元に届くだろう。谷の入り口にあるこの陣からならば、南東に延びる峡谷を走り抜ければ、すぐそこだ。


 いや、足軽どもがいるから二刻はかかるか。まあ、走らせてもよいし、最悪百やそこらの足軽なぞ我が騎馬隊だけでも突き破ってくれるっ。


 屑どもが手を焼かせおって。迅速に蹴散らしてくれるわ。


 明日が楽しみだ。




「よし。貴様ら、出陣するぞ」


 明朝、日の出とともに陣を畳み、ほら貝を吹かせる。


 私が直接率いる騎馬隊二十を先頭に、その後ろを足軽二百が続く。


 昨夜はやや頭に血が上っていたが、仮にも奴らは盛吉を撃退しているのだ。これ以上の失態を重ねる訳にもいかない。そんな事になったら継直にこの首を獲られかねんからな。


 逸る心に任せて足軽を走らせ、いざ戦場に着いた時に使い物にならないなどと言う事にでもなったら笑い話にもならん。


 特別遅くも早くもない行軍速度で、狭い道を騎馬は二騎、歩兵は三人が並ばせて進む。この程度ならば、接敵しても即戦闘可能であろう。


 しかし、この塩梅だと、奴らと当たるまで二、三刻はかかるか。合戦は昼前ぐらいといった所か。


 谷を並足で進んでいく。


 両側に切立つ崖はそこそこに高い。また、崖の前が藪になっており、通れる道幅は一間あるかどうかか。人が一人寝ころんだら、上も下もほとんど隙間があるまい。


 谷を吹き抜ける風が心地よい。戦意に燃えるこの身の熱をほどよく奪ってくれる。


 そんな風に吹かれながら道を進んでいくと、遠目に大きく穴が開いているのが見える。


 あれか? ふん、笑止。あのようなもので、この私の部隊の相手をしようとはな。盛吉なんぞと一緒にされるのは甚だ心外だな。


 私は盛吉の奴も買い被っていたのだろう。あのようなもので私を倒そうとする、倒せると思うような恥知らずに敗れるなど、奴らが強かったと言うより、盛吉にも責任があったのではないのか?


 盛吉の奴を直接討ち取ったと言う、光とともに現れた何者かというのが気にはなる。しかし、伝七郎の軍自体がそこまでべらぼうに強いとは、やはりどうにも考え難い。そんな強兵は水島にはいなかったはずだ。兵の強さ自体で言えば、間違いなくこちらの方が上の筈。


「騎馬隊速度を落とし、停止せよ」


 手に持つ槍を高々と上げながら、隊全体にそう指示を飛ばす。隊はゆっくりと速度を落とし、程なく停止した。


「ふんっ。笑止。姑息な落とし穴などにかかる俺ではない。いるのだろう? 出てこいっ」


 奴らが罠を使ったという事は、当然罠にかけた獲物を捕りに来る猟師がいる。その猟師らに盛吉とその部隊は壊滅させられたのだろう。ならば、当然この近くに奴らがいる筈だ。


 その時、崖の上にて発したと思われる声が谷に響いた。


「今だっ! 着火っ。転がせっ!!」


 その声と共に太鼓の音が鳴り響いた。そして、巨大な枯草の球が、いや炎の球が眼前に転がり落ちてくる。最初枯草の玉だと思った物には火が着けられていた。それにあの火のまわり具合は、おそらくは油。油が掛けられている筈。


 そんな馬鹿な?!


 隊の後方からもどよめきが聞こえる。おそらく後ろも同様の有様となっているのだろう。


 思わず愕然となった。口が開きっぱなしになっているのが自分でも分かる。


 私は今日戦をしに来たのではなかったのか? なのにこれはなんだ?


「やあ。ご機嫌はいかが? 幼女の尻を追い回すロリペドなおっさん。なかなかいい顔しているじゃないか? 気に入ってもらえたかい?」


 崖の上から聞き覚えのない声が掛けられる。間違いなく伝七郎ではない。それに意味の解らぬ言葉が混じっている。


 何者だっ? 例の光とともに現れたとかいう奴かっ。


「おいおい。おもてなしに感動してくれたのは、うれしいがね? 出てこいと言ったくせに、出てきてやったら口も開かずにだんまりとか、人としてどうなのよ?」


 とんと見た事のない黒装束に白の羽織を纏う男が、やたらと長い鉢巻をたなびかせながら、こちらを見下ろしている。


 その怪しい男の斜め後ろには、伝七郎の奴もいた。


「!? き、貴様、何者だ? それに横にいるのは伝七郎か? 青二才とは言え、戦の作法も知らぬのかっ。このような卑怯な振る舞い……恥を知れっ!」


 握りしめる槍の柄がぎしりぎしりと音を立てる。


 奴らに武士の言葉は届かぬのか、反応する様子もなく共にしれっとした顔をしている。その表情が更に私を苛立たせた。


 そんな私に対し、見下すような一瞥をくれると、その知らぬ男は仰々しく礼を一つし伝七郎に場所を譲った。


 小僧がぁあっ。貴様ごときがこの私を見下すのかっ。


 そして、前に出た伝七郎も、まるで道端に落ちている牛の糞でも見るような目で、こちらを見下ろしている。


 若造どもがどいつもこいつもっ。糞生意気な目でこの私を見下ろすかっ。武士(もののふ)の誇りも戦の作法も解せぬ愚物どもが、この八島道永を見下すかあっ。


「いやあ。道永殿。久方ぶりですな。お元気にしておられましたか? ええ、私はまだまだ小僧なので、道永殿ほど作法に通じてはおらんのですよ。まあ、若気の至りとでも思って、ご年配の道永殿には大目に見ていただきたいものですね。それに……貴方に恥を語られるとは思ってもみませんでしたよ?」


 私を小馬鹿にするように、両掌を天に向けて、俯き加減に首を振っている。


 お、おのれぇ。伝七郎ぉぅっ。糞餓鬼がこの私に対して良い度胸だ。その首引き千切ってくれるっ。


「…………お館様を裏切り、その娘の命を狙う元水島の臣下が、私に恥を語るつもりかっ。貴様こそ恥という言葉の意味を学び直すがよいっ。この痴れ者がっ」


 奴はそれまでの小馬鹿にするような態度から一変し、激し声高く吠えたてた。


 だから、どうしたっ。私は武人だ。武の誇りだけがあればよい。損得に恥も糞もあるものかっ。そして、勘定ができない者を阿呆と呼ぶのだ。


 そんな事より、若造ごときがこの私を舐めるなど、そちらの方がよほど許されざる事ぞっ。


「小僧がっ。調子に乗って……」


 これ以上小僧どもに好き勝手言わせるのも気に食わぬ。


 反駁を加えてやろうと口を開いたその刹那の事。今度は崖の縁に集まった敵兵が一抱えにできそうな大きな石を上から投げ落としてきた。

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