第二百七十三話 菊と鬼灯 でござる その二
「「「あっ、兄ちゃんだ」」」
「だ~か~ら~、このクソガキどもがっ! 見つけるなり突進してくるんじゃねぇって言ってんだろうがっ!」
「にいちゃ、にいちゃ、ね、かたぐるま、かたぐるましてぇ」
ミニマムレディーが、嬉しそうに俺の足をぱしぱしと叩く。
相変わらず、聞いちゃいねぇ。
おかげで、今日も元気にがきんちょアーマーを装着する事となった。
先日宣言した通り、俺は菊を連れて神楽へと出発した。
菊のお供で来た者から一人、藤ヶ崎へ帰りが遅くなると連絡に走ってもらい、半ば強引に菊を連れて出てきたのだ。
馬に乗れるようになった俺の後ろに横乗りした菊は、それなりに機嫌よく付いてきてくれた。しかし道中、「私に何を見せたいのです?」と何度も聞いてきた。
その問いかけに対し、一貫して「村に着けば分かるよ」と答え続けた。菊は困惑していたが、俺はそれを良しとした。
信じていたから。
彼女ならば、必ず分かる。俺の愛する女は、誰よりも人の情が深いから。だから、百の言葉を費やすよりも、ただ一見させた方がいい。
そう思ったのだ。
そして、その思惑は当たった。
子供らと戯れながらちらりと盗み見をした菊の顔は、相も変わらずに美しい。しかし、なんとも複雑そうな表情を浮かべている。
その側には鬼灯と銀杏もいる。神楽は、この二人だけを連れてきた。
鬼灯はもう慣れたもので、がきんちょアーマーを着込んだ俺を見ても慌てている様子はない。しかし銀杏の方は、これを見たのは初めてだったようで、目をまん丸くしている。他にも護衛で三十名ほどに同道してもらっているが、このメンツももう見慣れた光景だと言わんばかりの態度で華麗に無視していた。
護衛としてどうなんだろうと思わなくもない。でも、おそらくは気にしたら負けなのだろう。
「ねぇ、ねぇ、にいちゃ。かたぐるま~」
足にまとわりついていた幼女が我慢をきらして、必死の催促をしてくる。
パンパン。
痛てて。
俺の股間で良い音が鳴った。小さい手が俺の股間をしばき倒していた。
ヘイ、レディー。俺の相棒に無体を働くな。
「お~、すげー。今日は、鬼灯姉ちゃんの他にも、すんごい綺麗な姉ちゃん連れてるぞ」
「兄ちゃん、遊び人なのか?」
少し年長の坊主が、菊を指さして、そんな事を宣った途端、他のガキどももざわつき出す。
こいつら、俺をいったいなんだと思っていやがんだ。
一応俺は、世間では鳳雛と呼ばれている水島家の重臣なんですけど……。
自分の顔がひきつっているのを感じる。
毎日、来る日も来る日も仕事が忙しくて死にそうになっている遊び人などいてたまるかっつーの。てか、むしろ俺的には、その遊び人をやろうと思ってたのに出来なかったんだってばよ……今となっては大きな声じゃ言えないけどさ。
おかげで、毎日がこの有様さ。あはは……はあ。
目から湧き出るものがあった。
「兄ちゃん、何泣いてるの?」
「泣いてない!」
我ながら大人げない。しかし、尋ねてくるガキンチョを威嚇せずにはいられなかった。
ただ、例によって、俺が泣こうが喚こうが、このボーイズアンドガールズは気にしない。今は、菊への興味をさらに膨らませているようだ。
「うわ、ほんとすげー」
「きれー。お姫様みたい」
……彼女はホントにお姫様なんだよっ。
でもまあ、ここまではよし。
菊が綺麗と言われると俺も嬉しいし、やっぱり鼻も高い。なんたって、お・れ・の恋人だからなっ!
しかし童っちゅうのは、ホント遠慮がなくて困る。
すぐに俺の方を向いて、
「兄ちゃん、あれは無理だぞ」
「おいらの兄ちゃんは、母ちゃんに『現実を見なさい』って言われてたぞ」
「お姉ちゃんにしときなよ。お姉ちゃんもすんごく綺麗だし、それにまんざらでもさそうだし」
年上組の生意気な小僧どもとおしゃまな小娘が、可哀相な者を見るような目をして、そうおっしゃりやがりました。
分かった。お前ら、そこに直れ。小一時間、説教をしてくれる。
反射的にそんな言葉が脳裏をよぎる。しかし、俺はそれを口にできなかった。
俺のデリケートゾーンに暴行を働いた最年少の幼女が、とても綺麗な、汚れのない眼で尋ねてきたせいだ。
「……うわき?」
涙を堪えるのが大変だった。
違うから。お前はお前で、いつもなんか違うから。つか、なんでそんな言葉を知ってるんだよ。碌に言葉を知らんくせにっ。
くっ、とりあえずこの娘は置いとこう。今は、他のクソガキどもだ。こいつらをどうにかしてくれないと、俺の気が済まん。
俺は、心の健康の為に吠えた。
「バーローバーローバーロー。ガキども、よく聞け。彼女は、俺の嫁さんになる人だ。つまり、お・れ・の恋人だ。無理とは何だ、無理とは。失敬な。どうだ、恐れ入ったか」
むふー。
一気にまくし立てる。
こういう失礼なガキどもは、きっちり論破して真実を教えてやらないといけない。ガキども、俺を舐めんなよ。
しかし、ガキどもは強かった。
「え~」
「兄ちゃん、だめだよ。母ちゃんが、うそは仕事でつくものだって言ってたぞ。普段はついちゃダメなんだぞ」
「お兄ちゃん、そういう嘘はかっこわるいと思うの」
今度こそ、俺の頬を熱いものが流れた。
あかん。菊、助けて。
振り向く。
あ、これは駄目かもしれんね。
まだこちらに戻ってきていなかった。呆けたように、こちらを眺めているだけだった。
くっ、ならば。
もう一人の、助けてくれそうな人物の方をみる。しかし、こちらも駄目だった。
鬼灯は、こちらを見ていなかった。何故か、まったく明後日の方向を向いたままだった。銀杏は、そんな鬼灯とこちらを交互に見て、どうしたものだろうとばかりの様子である。
援軍は期待できないと結論するしかない。
くっ、ならばやむをえん。
俺はガキどもを纏ったまま、無言で踵を返す。
「おー、兄ちゃんすげぇな。なんか力ついてきた?」
黙れ小僧。
右腕にぶら下がるハナタレ小僧を無視して突き進む。歩みを止めない。
「きゃー」
ずりずりずり。
ミニマムレディーは、俺の足に掴まったまま引きずられて楽しそうだった。
まあ、総じてどのガキどもも、俺の行動を楽しんでいるようだった。だが俺は、このガキどもを楽しませる為に、こんな事をしている訳ではない。
この神森武の尊厳を保つ――目的は、ただそれのみ。
「???」
俺の視線の先には、さらに戸惑いの様相を深めた菊の顔がある。
つやつやの長い黒髪。整いすぎているくらいに整った眉。今は少々困惑して見開かれている切れ長の瞳。そして、桜色の唇……。
うん。今日も綺麗だね。そして、可愛いよ。
でも、今の俺には使命がある。美人な恋人に見惚れている訳にはいかないのだ。ごめんよ、菊。
ポカンとしている菊の前にいくと、彼女の目を見つめる。
刮目して見るがいい、クソガキども。これが世に鳳雛と呼ばれし我の実力よ。
がばり。
そして俺は、無言で菊を抱きしめた。