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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第五章
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第二百七十話 あれ? ご褒美な夜じゃなかったんですか でござる

 この後、自室に籠もった。


 そして、気がつくと夜半近くになっていた。地図と軍部の資料に埋もれながら仕事をしていたら、そんな事になっていた。


 その間、鬼灯が何度も油皿の油を足しに来てくれたが、他に訪れる者はいなかった。余程の事がない限り今日は来るなと、俺が言ったからだ。


 だから、こんな時間になるまで俺を呼ぶ者はいなかった。


 ぐぅ……。


 腹が鳴る。


 そう言えば、朝飯を食って以来何も食っていない。水分ですら、夕方に菊と湯を飲んで以降とっていない。


 ぐぅぅぅう……。


 こりゃ、流石にあかんね。


 空腹を意識したら、いよいよ本格的に胃袋が喚きだした。


 厨房に何か残っているかもしれない。料理なんてある訳ないが、漬け物なんかでも十分だ。いや、もうこの際食えれば、生米でも文句は言わん。しっかり噛み潰して水で流し込めば、一夜の空腹を凌ぐ事ぐらいは出来るだろう。


 鳴き出した胃袋を宥めすかしながら、部屋を出て厨房に向かう。仙人じゃあるまいし、人間、食わねば生きていけないのだ。




 もうずいぶんと遅い。しかし、忙しそうに廊下を早足で歩く者たちと、もう五度もすれ違った。皆忙しそうにしながらも、俺の顔を見ると横にズレて、頭を下げてくる。


 どの者たちも、北征の準備で駆け回ってくれているのだ。館の外でも、なお準備が続いている事だろう。


「ご苦労様。すまないが、継直の首を取るまでの辛抱だ。何とか頑張ってくれ」


 一人一人に声をかけ労う。


 いくら俺たちが頑張ったって、所詮人間一人で出来る事などたかがしれている。俺たちが頑張るのは当然としても、彼らにも身を削ってもらわねばならない。そうでなければ、大願を達成する事など夢のまた夢だ。


 ただ、幸か不幸か俺たちは、旧・水島家の膿を出した後の組織である。本当の意味で俺たちと共に戦ってくれる者たちが沢山いる。この点が、旧・水島家とは大きく違う。『恵まれて』いる。


 現に、皆忙しいだろうに、言葉を交わした者たちは一人残らずよい顔をしていた。精気溢れる生き生きとした表情で、「必ずや姫様の元に、大和を再統一しましょう」と応えてくれた。


 統べる側の人間として、これほど心強い味方もいない。


 今の俺たちは十分な国力を持たず、ようやく勝ち取ったわずかな領土を餓狼どもに狙われているような状態である。しかし、少数とはいえ、彼らのような志ある者たちを有している。


『だから』、戦える。


 俺は、彼らのような人材を無駄にする事なく、味方を勝利へと導いていかなくてはならない。それこそが、俺の役目なのだから。


 交わした言葉に活力をもらいながら、厨房へと進んでいく。


 精神的な栄養はもらえたが、胃袋も物理的に満たさねば、これからまだまだ続く戦いを乗り切る事など出来はしない。


 油皿の光を頼りに、更に奥へと向かった。


 目の前の廊下の角を曲がると厨房だというところまで来ると、曲がり角の向こうが微かに明るくなっているのが見えた。


 こんな時間に?


 いくら食事番の者たちが朝早いと言っても、今の時間はみな夢の中の筈。


 カチリ――


 腰の物の鯉口を切る。


 いつでも腰の得物を抜ける様に身構えた。手に持った油皿を廊下の端に置き刀の握りに手をかけると、音を立てないように注意をしながら、摺り足で厨房の入り口へと近づいていく。


 すると、


 ふわり……


 微かな風に乗って、味噌の旨そうな匂いが流れてきた。


 へ?


 緊張して尖っていた精神が一気に緩む。そして、


 ぐぅぅぅううううっ!


 今までで一番でかい音で、腹の虫が鳴いた。


 厨房の中でカタンと音がする。入り口に近づいていくと、中では菊が、木製のオタマのようなものを手に、こちらを見ていた。


 一気に力が抜ける。


「こんな時間にどうしたんだよ」


 菊も、俺の顔を見て緊張を解いたようだ。ホッと小さく丸い吐息をつくと、


「どうしたって……。貴方こそ、こんな時間まで何も口にしないままで。お仕事が忙しいのは承知しておりますが、こんな事をしていてはお体を壊してしまいますよ?」


 と、眉をひそめて窘めるようにそう言った。そして、


「あと少しで汁が出来ます。部屋にお持ちしようと思っておりましたが、もし我慢できないようならば、そちらに握り飯が出来ておりますから」


 と、再び俺に背を向ける。


 見れば、厨房の台の上に皿が置いてあり、そこには大きめに握られた握り飯が三つのっていた。


 どうやら菊は、俺が飯を食わないまま仕事をしていたのを把握していたらしい。そして、あまりにも出てこない俺にしびれを切らして、飯を用意して部屋に押し掛けるつもりだったようだ。


 ……なんつー出来た女だ。


 我が恋人ながら、菩薩か何かかよと思わず感心してしまった。どうやら俺は、認識していた以上に勝ち組だったらしい。


 以前も、部屋までお握りを持ってきてくれた事があったがなあ……。こんな女を嫁にもらえる男は、勝ち組以外の何者でもないだろう。


 思わず、体中が感動にうち震える。しかし照れくさいので、必死にその心を隠す事に努めた。


「いやあ、何やら良い匂いがしたもんで」


「嘘をおっしゃい。奥にある貴方のお部屋まで届く訳がないでしょう。大方、お腹が空いて我慢できなくなったのではありませんか?」


 おおう……。


 菊は勝ち誇ったような微笑みを浮かべながら、ちらりと横目をくれてきた。


「え~、あ~、その、なんだ。あれだよ。今日は、そういう風向きだったんだよ。うん、ホントホント」


 無理矢理だな。


 そう思う。何でも言えばいいってもんじゃない。これで誤魔化せるのは千賀くらいだ。


 しかし、不意を突かれた。よもや、こんな何気ない嘘にカウンターが来るとは思ってもいなかった。


 完全に劣勢である。


 敵にはもちろんの事、庶人たちにも、とても見せられない姿だった。貴方たちが噂をする鳳雛は、実はこの程度の男なのですよ。HAHAHA……はあ。


 俺が言葉を探しておろおろしている間にも、菊は手際よく味噌汁を仕上げていく。


「……さてと、これでよし。さあ、お部屋に参りましょう」


 器に汁を移して、香の物を乗せた小皿と白湯の入った茶碗を盆に乗せると、菊は俺に向かって両手を差し出してきた。


 ??? なんだ?


 何をしているのか分からなくて、首を傾げて見せた。


 すると、


「握り飯がのったお皿をこちらにくださいな。もう、すべての用意できました。こんな場所ではなく、落ち着いて召し上がってください」


 と笑われる。


 あー、そういう事か。


 ホント、しっかりした奴だなあ。こりゃ、もう安心して駄目夫できそうだ。


 こんな女を嫁にもらえたならば、家のおおよその事は任せておけばいい。まず間違いなど起こらないだろう。


「何をぼうっとしているのです? さあ、汁が冷めてしまう前にお部屋に参りましょう」


 惚けていた俺に、菊が再度促してきた。


 あっと、いけね。


「あ、ああ。そうだね。うん。部屋に行こう」


 うん、俺よ。他に、もうちょっと気の利いたセリフはなかったのか?


 赤べこだっけ。首振りの牛人形みたく、首をコクコクやる自分にツッコまずにはいられなかった。このあたりが、多くの女にモテる奴とモテない奴の差なのだろう……。


 少しだけ凹んだ。




 それから俺は、菊と二人で俺の部屋に向かった。やはりその道中でも、まだ仕事をしている者たちに何度も出会う。


 上から下まで、今度の戦がどれほど重要なものなのかという事を理解できている証である。士気をとても高く保てている。


 有り難いことだった。


 十虎閉檻は絶対に成功させねばならない。失敗すれば、すべてが終わってしまう。そんな背水の陣に等しい戦いへと挑む俺たちにとって、これは何よりも心強い。


 部屋についた菊は、俺のために膳を整えてくれながら、


「皆、懸命に働いてくれています。姫様は幸せ者です。貴方や彼らのような臣下を持てて。……お館様も、このような臣下たちばかりであったならば、あんな事にはならなかったでしょうに……」


 と口にした。


 菊が千賀の両親の事を口にするのはとても珍しい。まだ千賀の耳に入れたくないと考えているらしい彼女は、千賀の両親の話題は避けている節があった。


 伝七郎や爺さんからも、千賀の両親が殺されたと聞いていた。だがどちらも、物証を直接見た訳ではなかった。


 だから俺も、神楽を手に入れて彼らに徹底的に調べさせた。万が一の可能性に縋ってみたのだ。


 しかし、二人の結論を覆す事は出来なかった。


 むしろ、裏付けをとった形になってしまったと思う。現状得ている神楽からの報告では、千賀の両親の生存は絶望的と考えざるを得ない。


 千賀の事を思うと胸が痛むが、もう希望は持てないと見るしかないだろう。


「……菊も、ずっと前から千賀のご両親はもう生きていないと思っているように見えたけど、何か見たのか?」


 俺はお握りを一つ手に取りながら、準備を終えて俺のすぐ横に座り直した菊に尋ねてみた。念の為だ。


「いえ。でも、富山の館にいた折りに、継直の兵たちが誇らしげにそう話しているのを聞きました……。それで、姫様を連れて館を出ようと決心したのです」


「……そっか」


「もしや、お館様や奥方様はまだ生きておられるのですか?」


 一瞬、菊の顔に希望が浮かぶ。


 あ、いかん。これは、きちんと言っておかねば。


「いや、俺も万が一がないかと思って神楽に調べさせたんだがね。駄目だった」


 俺は首を横に振る。この事で勘違いをさせる訳にはいかなかった。


「やはりそうですよね……」


 菊は肩を落としたが、元々諦めていた事だけに、それ以上に気を落とす事はなかった。


 ただ、今の菊の頭の中には、間違いなく千賀の顔が浮かんでいるだろう。伏目がちにしていた。


 そして、そんな菊を見る俺の顔も、たぶん残念な事になっていたに違いない。


 菊は俺の顔を見ると、ハッとしたように無理矢理なのが分かる笑顔を浮かべて見せた。


「……でも、姫様には貴方や伝七郎殿、父もいます。大丈夫……」


 その言葉は、菊自身に言い聞かせているようでもあった。


 頭を小さくふるりと振ると、菊は話題を変えてくる。


 じろり……。


 ん?


「それにしても、神楽に調べさせたって……。神楽というのは確か、藤ヶ崎の茶屋に潜んでいた間者たちだったと覚えていますが……」


 やぶにらみをしてくる菊。


 思わず、へ?  となった。


 ほんのついさっきまでとは、明らかに空気が違う。ふっきってくれたのはいいんだが、これは……。


 えー……っと……。


 その藤ヶ崎の茶屋に潜んでいた間者……つまり鬼灯らが今どうなっているのか。彼女らだけでなく、神楽が今後水島でどうなっていくようにしたか。


 ……やべ。そういや、まだ何も話をしていなかったな。


 菊の中での神楽は、『姫様の命まで狙った間者』の筈だ。


 だから、この遠征が終わったら、菊を嫁に迎える前にきっちり説明するつもりではあった。しかし、当然の事ながらまだその説明はしていない。そもそも今この時期に、菊がここにいる事など想定していなかったのだから。


 余計な事を言ってしまった。


 その事に気づく。しかし、もう後の祭りだった。

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