第二百六十五話 怨 でござる その二
「……何?」
「……なんですって?」
半次の言葉に、俺と伝七郎の言葉が重なった。思った以上に低い声が出た。そして、それは伝七郎も同様だったようだ。
思わず伝七郎と顔を見合わせる。そして、アイコンタクトを経て、俺が質問役になる事になった。
二人して心のままに尋ねたら収拾がつかなくなるからだ。
あまりに衝撃的な内容だっただけに、そうなるのが目に見えている。しかし、この話はそれでよしとしていい類いの話ではない。
咳払いを一つして、改めて尋ねる。
「本当に安住なのか?」
俺たち二人の反応は予想通りだったらしく、半次は俺たちの様子に驚いている様子はない。まっすぐに俺の目を見て、次に伝七郎の目も同じように見た。そして、
「はい。まず間違いないかと……こちらを」
と、言いながら、半次はぐちゃぐちゃになった一枚の紙キレを手渡してきた。それを俺が受け取ると、次に美和周辺と思われる地図を目の前に広げる。
手渡された紙の外観に目をやる。端の方が引きちぎれていた。
それだけではない。下の方は汚れた手で握ったかのような跡がある。いや、違う。これは……血だ。
乾いて茶色くなった血だった。
とりあえず、渡された紙の中身に目を通していく。伝七郎も俺に近づいてきて、肩越しに読み始めた。
……なんてこった。
読み進めていくと同時に、俺は道永を甘く見すぎていたと思い知らされた。奴が俺に向ける思いは、すでに怨念と呼べるほどに練り上げられている負の感情だった。
書状は、道永こと同影から、安住の武将の一人である榊定家に向けて書かれた物。おそらくは、榊から出された書状への返書だと思われる。
伝七郎も、視線が左に移動しきった今、その表情をひときわ厳しく変えていた。
「念の為に聞きますが、これを持っていた人物は?」
「死にました。その書状は、美和から北東へと延びるこの街道上で安住の手の者から手に入れたものです。手下の者たちが小川のほとりに追い詰めたところ、最後は書状を小川に投げ入れて自決しようとしたそうです。腕を切り落として、その書状を手に入れるだけで精一杯だったそうで、生きたまま身柄を確保する事はできなかったようです」
「そうですか……」
「ちぃ……」
俺たち二人の口から、同時に無念の声が漏れる。
「申し訳ございません」
半次は、静かに頭を下げた。
「いや、お前たちを責めている訳ではないよ。ただ……おしかった……とな。その者の身柄を押さえられれば、もっと色々と分かっただろうに」
「はい……我々も無念にございます」
「だよな。すまない。お前たちはよくやってくれた。この書状を手に入れただけでも十分な手柄だよ」
「もったいないお言葉でございます」
半次も本当に無念そうだった。
そりゃあ、そうだ。内容は、道永の安住への内通。安住を金崎領へと引き入れる手伝いを約束するもの。情報、工作を含め、その手伝いを道永は榊定家に約束している。また文面から、この書状以前にも色々とやりとりがあったのは容易に読み取れる。つまり、この書状を持っていた者を生かしたまま捕らえられていれば、道永と安住の謀のすべてとは言わないまでも、今よりもずっと詳細に知る事が出来た可能性はあったのだ。
「……それにしても、道永の武殿への恨みの深さは尋常ではありませんね。これではまるで、武殿の首が取れれば他はどうでも良いと言わんばかりだ」
俺が半次をねぎらっていると、険しい顔をしたままの伝七郎がポツリと呟いた。
「……まあ、あいつがここまで落ちぶれたのは、俺に負けたあの戦がきっかけである事は間違いないからなあ」
「その負け戦をする事になったのも、元はといえば己の不義がゆえ。武殿を恨むなど、逆恨みも甚だしい」
珍しく伝七郎が、傍目にもはっきりと分かるほどに怒りをあらわにしている。
「そりゃ、そうだがなあ……」
そんな伝七郎から、俺は再び、手元の書状へと目を移す。
「それにしても、内通する条件が『継直と結べ』とはね。こりゃあ、もうまともじゃあねぇな……」
仮にも金崎家の末席に身を置く者が、自国を安住に売る条件として提示したものが、『安住と継直との同盟』である。自分が捨てた国との同盟だ。
普通に考えて、こんなのはありえない。
「ええ……。それにこれって、どう見ても道永自身もどうでもいいという事ですよね?」
伝七郎が、念の為にといった様子で尋ねてくる。
俺は、それに一つ頷いた。
「そういう事になるなあ。俺たちに居場所を教えるかのように、道永が襲った村を占拠し続けているってのと合わせると尚更にな。俺たちが美和に向かって侵攻を始めてから村を襲ったというならまだ兎も角、今この時期にやったとなると、そう考えざるをえんだろう」
俺たちと自分では、現在保有している戦力が違いすぎる。でも、なんとかして俺を殺したい。
では、どうするか。
奴は、金崎家や部下たちは勿論の事、己の命も捨てたのではないか。道永は、俺たちに時間を使わせたいのだ。そして、自分が殺されても、その後に俺たちを……俺を殺せる環境を整えたいのだ。
自分の手持ちの兵では、もうどうやっても俺を殺せない。だから、継直に殺させるつもりなのだろう。
道永の奴が、今更継直に忠義を尽くす訳がない。そんな意図は微塵もない筈だ。それにも関わらず、継直が有利になるように手を尽くしている。あまりにも不自然だ。
道永の狙いは別にあると考えるべきだ。伝七郎の言う通り、俺が思っている以上に恨まれていたと考える方がずっと理屈が通る。
その思いの強さは、俺たちの想像を遙かに超えているのだろう。
奴が俺へと向ける憎悪は、もうすでに怨念だ。
「ですよね……。時間稼ぎをしているように思えます。しかも、その為ならば己が命も惜しくはないとばかりに……」
「そんな感じだな」
「……やはり、もう少しそちらに兵を割いた方がいいのでは?」
「それは、奴の思うつぼだよ。つか、お前も忘れんなよ。俺たちの最終目標は継直の首だ。継直との決戦に少しでも有利な状況で臨めるよう、あらゆるものを整えていかねばならない。今、全力で狂人の遊び相手なんかしていい訳がないだろう……お前の言いたい事は分かるんだけどな」
「私とて忘れている訳ではありませんが……本当に大丈夫ですか?」
伝七郎の奴は、心底心配だと言わんばかりに何度も確認してくる。
これだけ心配してくれるのは、有り難い事だった。しかし、ここは甘える訳にはいかなかった。俺の勝負感も言っているのだ。安全を増すならば、『俺』ではなく『北征計画の』の安全性を増すべきだと。
速度を出すには数がいる。ここで北征の兵の数を減らすのは、どう考えても下策だった。
「ああ、大丈夫だ。朱雀隊と三森の兵だけでも十分相手の数を上回っている。確かに、道永だってむざむざ殺されるつもりはないだろう。お前が思っている通りに、なにがしかの罠は当然あると思う。だが奴の最大の罠は、俺たちが奴の相手をする事なんだ。と言っても、それを承知で行かざるをえないんだが。ならば、最小の投資で最大の利益を上げる方向で行くだけさ」
俺は、心配してくれる伝七郎に、そう説明する。
「そうですか……分かりました。もうこれ以上は言いません。よろしくお願いします」
「おう、頼まれた」
俺は、ニカッと笑って見せる。すると伝七郎は、渋々といった感じではあるものの、ようやく納得して首を縦に振ってくれた。
そんな俺たちの話を、半次はずっと黙って聞いていた。そして、
「では、武様。長にもそのように伝え、武様を支援できる体勢を整えるように神楽を準備してもらいます」
「ん、頼んだ。とりあえずは……そうだな。十名ほどだけを至急送ってくれと、蒼月に伝えてくれ。鬼灯らもいるから、合わせて二十いれば、当面は何とかなるだろう。それ以上に必要ならば、改めて正式に依頼をするよ」
「承知いたしました。此度も、必ずやご期待に応えてみせます」
「信頼しているよ」
「頼みます」
俺と伝七郎がそう答えると、半次は深く頭を一つ下げて、部屋を出て行った。その背中は気力に満ちていて、本当に頼もしかった。