第二百六十四話 怨 でござる その一
半次から、田島の北で村が一つ賊に占拠されたと聞いて五日――。
金崎領侵攻に向けて、情報の精査、物資の調達、兵站の準備、兵の訓練と再編成などなど溢れかえる仕事にヒーヒー言っていたら、昼を少し回った頃、時間を作って欲しいと半次から申し出があった。
俺と伝七郎は、連れだって指定された部屋へと向かう。
半次には、その立場を超えて俺や伝七郎を呼び出す権限を与えてある。任せてある仕事が仕事なので、他者の耳への配慮が必要だからだ。
それ故に、必要だと思ったら誰だろうといつだろうと、遠慮なく呼びつけろと言ってあるのだ。半次に初めてそう言った時には、冗談だと勘違いされたが。
「お忙しいところをお呼び立てして、申し訳ございません」
呼び出された小部屋に行くと、すでに中で座って待っていた半次が、深く頭を下げて詫びてきた。
「いいさ。気にすんな。そうしろと言ったのは俺たちの方だ。仕事の内容上やむを得ないんだ。今までからすると奇妙な感覚を覚えるかもしれないが、頑張って慣れてくれ」
俺は手の平をひらひらとさせながらそう言って、部屋の中へと入っていく。伝七郎も俺の言葉に頷いた。
俺もこちらの世界の常識に驚き、あれよあれよという間に立場がごろっと変わってしまって、随分と戸惑った経験がある。それだけに、今の半次の戸惑いもよく分かる。
金崎家とうちとでは、たぶん百八十度身の振り方が違うだろう。いきなり、それに慣れろと言われも、なかなか難しいだろう事は想像に難くない。長い目で見ていくしかない。
「はっ。申し訳ございません。努力いたします」
半次はそう言って、もう一度頭を下げた。
やれやれだ。しかし、この半次を含め、神楽の連中は本当に真摯に仕事に励んでくれている。彼らを雇うのに要求額の倍払ったが、正直安い買い物だったと今は思っている。伝七郎の奴もちょっと前に、「私たちはツイていましたね」と言っていたので、きっと同意見だろう。
まだちょっとぎこちないくらい、彼らの傷にもなりはしない。慣れるまでに時間が必要だというならば、待てばいいだけだ。
「ん。それで、俺たちをこの部屋に呼んだって事は、何か分かったのか?」
頭を下げっぱなしの半次に、俺はそう声をかけ話を先に進める。
「はっ。賊に占領された村に関して続報が入りました」
半次はようやく頭を上げてくれたが、その顔は少し顰められていた。どうやら、そういう内容らしい。
俺と伝七郎はさっと部屋に入り、すぐに障子を閉めた。そして、胡座をかいて座っている半次の前に、それぞれが腰を下ろす。
「で、その様子だとあまり良い話ではなさそうだが」
先を促すと、半次は大きく頷いた。伝七郎の奴は、完全に聞く体勢に入っている。どうやら、今日の進行役は俺のようだ。
「はい。まず、例の村を襲った者たちは同影で間違いないとの事です。彼奴の顔を知る者を出したところ、確認が取れました」
「そうか……」
道永の奴、とうとう本物の賊にまで墜ちたか……。
「そして、生き残りですが……」
「……皆殺しだったか?」
難しい顔をしている半次を見て、こちらから尋ねる。俺同様に察したらしい伝七郎も、眉根に皺をつくっていた。
「……いえ。男は老人から子供まで皆殺しになったようですが、女は若い娘と子供が何人か捕らわれているようです。一部は配下の者どもに下げられて狂ってしまっているようですが、それ以外は一カ所に固められて幽閉されているとの事です」
配下の『餌』として与えられたか……胸くそ悪りぃな。それに、手を出す事なく幽閉だと? それって、やっぱり……。
「……恥知らずが。あの男は、まだそんな事をやっているのか」
横で伝七郎が低く呟く。
伝七郎も、半次の話を聞いて、すぐにその娘らは『資金源』だと察したようだ。水島で無茶をやっていた頃の奴に、頭の中で繋がったのだろう。すでに『品』の販路が確立できている事に気づけば、昔なじみの闇商人を介せば、資金化も容易だろうと。
呟いた伝七郎の方に視線を移して、半次は頷いた。
「おそらくは。今の奴らにとって、食料は一食でも貴重です。それでもわざわざ生かして幽閉しているという事は、十中八九金に換える為だと思われます」
「だろうなあ」
不愉快だろうとなかろうと、冷静に考えればその可能性が高い事は否定できない。俺が頷くと、伝七郎も顔をしかめながら静かに頷き返していた。
それにしても……生き残りあり……か。
まだ生き残っている者がいる。それは、人として嬉しく思う。
だが施政者としては、正直手放しで喜べない。
人として失格だとは思うが、施政者として判断するならば、この話を聞かなかった事にするのも判断として間違っていない。もしかすると、そう判断する者の方が多いかもしれない。
なぜなら、彼女らを助けようとすると、問題の解決にかかる労力が桁違いに増えるからだ。今は時期が時期。道永ごときに、俺たちは時間も労力も使えないのである。
もし『彼女らの命を無視する』ならば、たかが数十の賊を力でねじ伏せる事は、俺たちにとって大して難しくないのだ。
チラリ……と伝七郎を横目で見る。
すると、伝七郎と視線がぶつかった。奴も、同じ事を考え、俺の様子を窺っていたらしい。
二人揃って、大きなため息をつく事になった。
そんな俺たちを見ても、半次は自らの意見を何も言う事なく、ただ静かに見ている。半次も、この問題を解決するに当たって正解が存在しない事を分かっているのだろう。
「……助けない訳にはいかないよな」
俺は伝七郎に確認するように尋ねる。
「はい……」
苦渋の選択といった感じで、伝七郎は難しい顔をしたまま頷く。
「ん、分かった。こちらは俺がやろう。あいつが所望しているのは、この俺の首だ。俺が出て行かなければ、また変な事を始めるかもしれない……ここらで決着をつけてくる」
「分かりました。でも、気をつけてくださいね。認めたくはありませんが、道永は決して楽な相手ではありません。まして今のあ奴は、何をしでかすか分かりませんし」
失う物はもう何もないって感じだもんな、確かに。
「了解。じゃあ、すまんがお前が北征の指揮を執ってくれ。俺もすぐ片づけて、そっちに向かうから」
「承知しました」
「ん。えーと……そうだな」
現在持っている情報を元に、手持ちの将兵の割り振りを高速で計算する。
「現在笹島にいる俺の朱雀隊は、すぐにこちらに戻す。そんでお前は、敦信と三森の兵だけを置いて笹島に行ってくれ」
こちらは、敦信と重秀、それに太助ら三人がいれば、将の数は十分だろう。
「神楽を全部連れて行ってしまっていいのですか?」
伝七郎が尋ねると、半次も静かにこちらに視線を向けてきた。
そんな二人に、俺は頷いてみせる。
「ああ、構わない。というか、そっちも決して楽じゃないからな。真っ正面から命の削り合いをする訳にいかないんだから、神楽の力は絶対にいる。だから神楽は、そちらで使ってくれ。半次、頼んだぞ」
「はっ、お任せを」
「武殿がそう言われるのであれば、そうさせてもらいますが……本当によいのですか?」
「ああ。こちらにだって、鬼灯たちがいるし、それに問題の場所は田島の北。神楽の里から遠くない。また蒼月にでも泣きつくさ」
「なるほど……」
俺のこの言葉に、ようやく伝七郎も納得してくれる。
「では、里の方にもそのように連絡しておきます」
「すまんな、半次。頼んだ。……が、話はこれだけじゃあないよな。これだけなら、わざわざ俺たちだけを、この部屋に呼ぶ訳がない。まだ、面倒な話が残っているのか?」
「申し訳ございません」
「半次が悪い訳ではないだろう……って、俺の言い方が悪かったな。すまん」
本当に申し訳なさそうに半次が頭を下げるので、俺も思わず身を正してしまう。このところ皆が忙しいのだ。俺だけではない。この半次だって、疲れているのである。
そんな俺を見て伝七郎の奴は、ようやく少しだけ笑みを浮かべた。
そして、真顔に戻った伝七郎とともに、俺たちは半次に向き直り、話の先を促す。すると半次は、今日俺たちをこの部屋に呼んだ理由の方を説明し始めた。
「同影ですが……安住に通じているかもしれません」