第二百五十七話 金崎領侵攻に向けて でござる その一
勝利の宴で、俺は改めて神楽の半次や敦信らを将に紹介した。半次に関しては今更なところもあったが、神楽の投降とともになし崩しで共に戦う事になってしまったので、一応ひとつの区切りにはなったと思う。
前夜は、久しぶりに皆でハメを外した。
伝七郎も顔を赤くするまで酒を呷ったし、俺もゲロを吐く寸前まで信吾と源太に呑まされた。……実際に吐く役割は、二水の悪ガキ三人衆がいたので、彼らが担う事となったが。
生け贄を捧げた事により、俺は無事地獄の一丁目を脱出する事に成功したのである。
しかし、敦信も同じくらい呑まされていたのにケロッとしていたな……もしかしなくても、俺って酒に弱いのかしら?
ちょっぴり悔しかった。
で、翌朝、きりりと身の引き締まる冷たい空気に包まれて何をしているかと言えば……。
「おうえ……うっぷ……」
「気持ち悪い……」
「……頭が……頭が……」
二日酔いに身もだえている太助らを眺めて楽しんでいる。
昨晩、太助と吉次は、信吾と源太に煽られてそれに乗ってしまっていた。だから、当然のように死にかけている。ただ、そこに八雲も加わっているのはちょっと意外だった。少なくとも、俺が離脱するまでは、あいつは一歩離れた場所で身の安全を確保していた筈だからだ。
死なば諸共とばかりに太助らに呑まされたか、それとも不良先輩二人に捕まってしまったのか……いずれにせよ、頭を抱えて座り込んでいる。ウンウンと唸っていた。
「おお、なんという事だ。我が家自慢の家臣団が、一夜にしてこの有り様よ」
対岸の火事である。気楽なものだった。
こちらにやってきてからずっと、あれは俺の役だったのだが、今回からお役御免である。こんなに嬉しい事はない。あいつら、マジでウワバミだからな……まともに付き合うと死ねる。
そして、太助らをこんなにした当事者たちは、いつも通りに何事もなかったかのようにピンシャンしていた。
「お早うございます、武殿」
「お早うございます」
この二人だって浴びるほど呑んでいる筈なのに……。
「あ、ああ、おはよ。お前らホント酒に強いのな」
「はっはっは。鍛えこんでおりますからな」
「経験の差ですな」
えっと……、お前ら俺と年変わらんよね?
この不良どもが……。
そう思わずにはいられなかった。まあ、もっとも、もうどうでもいいけどなっ。俺には関係ないし。
「昨晩は、いつの間にか武殿がいなくなっていて寂しゅうございました。また、改めて共に呑みましょうぞ」
やめろ、馬鹿。
ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら言う源太に、俺は無言でグーパンした。
「馬鹿なこと言ってないで、お前らキリキリ働けよ。お前らのせいで太助らが死んでいる。今日は使い物になりそうにない」
「むう。これは、今度からは体だけでなく臓腑も鍛えねば……」
ぼそりと呟かれた信吾の言葉に、太助ら三人は無言でぷるぷると首を横に振って俺に助けを求めてきた。もちろん無視したが。
「好きにしろ。とりあえず、その事は置いておいて、そろそろ真面目な話をするぞ」
「「はっ」」
信吾と源太は、それまでの緩い顔から将の顔へと一瞬で変わる。このあたりは、流石に一流なのだ。
「信吾は町の警邏を頼む。源太は町の周辺だ。道永の奴も、川島朝矩に叩き出されたという事しか分かっていない。現在のところ消息不明だ。どこに潜んでいるか分からんから、一応注意してくれ。奴が欲しているのは俺の首だろうが、お前らだって狙われていない訳ではないんだからな。十分注意して欲しい」
「「はっ」」
俺の指示に二人は即座に応えるが、信吾が顎に手を当てながら尋ね返してくる。
「塩はどうなさいますか? 領内へと持ち込まれる筈だった塩ですが……以前武殿が言っていた通りに、この町で大量に止められているようですな。敦信殿が言っておりました。町の警邏がてら抑えましょうか?」
「ん~、いや。そちらは無視していいよ。今回は接収じゃなく、買い取る予定だからな。その点は、昨晩呑みながら伝七郎に確認した。あいつが直接やるってさ」
「そうですか。承知いたしました」
「あと、今日明日ではないが、近いうちに笹島へと向かうから各隊そのつもりで準備しておいて欲しい」
「予定では雪解けを待って、それから金崎領を本格的に併呑していくという計画だったと思いますが……もう侵攻を開始するのですか?」
今度は、源太が聞いてくる。
「本来はそのつもりだったのだがなあ。朽木が予定よりもかなり早く落ちて、ちょっと色々修正が必要になった。計画通りに進めて時間を無駄にするのは、如何にも惜しい」
「雪は大丈夫でしょうか」
今までも雪の中で戦ってきたとはいえ、この厳寒期の戦の大変さは、『大変』というたった一言で片付けるには大問題すぎるのだ。
「いや。進軍ではなく、準備に当てようと思う。本来の計画だと、朽木を落とせるのが雪解けの頃になる見込みだった。本格的な侵攻の準備に使える時間は、あって半月からひと月って計算だったんだ。下手をすれば、そのまま金崎領になだれ込む事にもなっていた筈だ。だが、幸運にも予想外に早くこの朽木を手に入れる事が出来、それどころか笹島までもが手に入った。これは大きいな」
「それほどまでに?」
源太が尋ねてくる。
「ああ。朽木が玄関なら、三森から笹島へと続く山道は廊下だよ。おまけに今の情勢だと、朽木を前線の拠点として、朽木、田島、神楽、三森から支援すれば、惟春も笹島に容易に手を出せない。それでも俺が金崎家の軍師なら、この状況を何とかするために全力で笹島を取り返しに行くがね……だがおそらく、惟春は動かないだろうな」
「動かないのですか?」
信吾がぴくりと右眉を動かした。
「動かんだろうな。今の奴の現有兵力でそれをやろうとすると、余所からは攻められてどこかしら領土を削り取られる事になるだろう。俺なら、それには目を瞑るってだけの話だ。そうしないと全領土を失う事になるからな。でも、奴にそんな判断が出来ると思うか?」
「それは……出来ないでしょうな」
少しだけ考えて、信吾は同意した。
「だろうよ。あいつがそんな身を切るような判断の出来る男なら、そもそも金崎家はこんな馬鹿げた状況にはなっていないよ。だから奴は、おそらくそういう風には動かない。失った兵力をなんとか補填しようとやっきになるだけだと思う。……もうすでに無茶をして兵を集めているのだから、成果が上がる事はないだろうがな」
肩をすくめて大げさに演技をしながら、信吾に答えてやった。でも、もし今の金崎家が、領土をカバーするだけの兵力および侵攻してくる俺たちに対抗しうるだけの兵力を揃えようとするなら、そうするしか手がないのだ。例えそれが、数だけで意味のない、形だけのものであったとしても。
そして、奴にとって本当に貴重な時間が、その作業を行う為に失われる。
要は、手持ちの領土のうち幾らかを捨てられるかどうかが、今の金崎家にとって大きな運命の分かれ道となっているのである。それに気づけるかどうかなのだ。
俺たちは、今回の朽木を巡る戦を完勝で終わらせた。その結果、ただ単に一勝した事以上の成果を得たのである。
逆に惟春は、完全に負の連鎖に絡め取られる事となった。
奴がこれを絶つのは容易な事ではないだろう。それこそ、生まれ変わるくらいの意識改革が必要である。
油断するつもりはないが、もし惟春がここから巻き返せるだけの将だったら、そもそも奴はこんな事態にはなっていない。だから事実上、今回の朽木を巡る戦で、金崎家はバッドエンドルートが確定したと言えるだろう。




