表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第五章
371/454

第二百五十六話 武士(もののふ) でござる その二

「吐くでしょうか……」


 二人だけになると、この板張りの広間は少し寒々しい。人間がいなければ、何もない部屋だ。俺たちの二人他には、障子を透して入ってくる陽の光り以外何もない。伝七郎の呟くように口にした言葉も、やけに大きく聞こえる。


「二つ三つ(あざ)を作ってやれば、あっさり吐くだろ……多分。根性なさそうだし」


 顔をまっ赤にしてがなっていた朝矩の顔を思い出しながら、伝七郎に答えた。


 朝矩は刀の切っ先を突きつけられても喚いていたが、どう見てもよくいる頭の足りないタイプにしか見えなかった。屈辱に、血を頭へと上らせていただけにしか見えなかった。これが、刃の圧力に耐えてそうしていたなら大したものだが、とてもそうとは思えなかった。


 奴は俺たちを罵倒し続けていたが、さっさと殺せとは一度も言わなかった。死を覚悟していたようには見えなかった。


 おそらくは、自分の命が風前の灯火であるという事を理解出来ていなかった……いや、おそらくは未だに理解できていないのだと思う。下手をしなくとも、無事帰れる気でいるのだと思う。


 いい歳こいてはいるものの、おそらく心底甘いのだろう。某かの代償を家が出して無事帰還……そんなイメージでいるのではなかろうか。


 血統だけを背景に温く生きてきたせいで、口では武士だのなんだのと偉そうな事を言っているが、そこらの農民よりも世の中を知らないのだと思う。


 他人に上から厳しい事を言い、また処分も下してきただろう。


 朝矩の『血』は、奴にそうする事を強いただろうし、またそうする事も許した。だが奴は、自分がそうされる事態というものが理解できていないに違いない


 だから、その甘さを隠す素振りすらもなく、言動に出てしまっているのだ。


「それにしても、ここにきて道永とは……。信吾から話を聞いた時には驚きましたよ」


 俺の返事に伝七郎は少し考える仕草をみせたが、朝矩の事はとりあえず置いておく事にしたらしい。話題をするっと変えてきた。


「だよなあ。俺もお前からの書状を読んでびっくりしたよ。鬼灯――神楽の忍びの話だと、あの戦場から逃げて金崎領との国境にある里に潜伏していたところを拾ったらしいぞ」


「その忍びが拾ったのですか?」


 伝七郎は目を見開いた。この辺りは、今回の戦に直接的な影響がないので、やり取りしていた書状には書いていない。


「ああ。らしいぞ。彼女自身が出向いて、惟春に引き合わせたそうだ」


「それはまた……。何がどう繋がってくるのか分からないものですね」


 再度肯定すると、感慨深そうに伝七郎はそう言った。


「だな。彼女だけじゃない。今回の敦信だって、本来は命の取り合いをしないといけなかった相手だよ。そういや、まだ謝っていなかったな。神楽の件といい、三森の件といい、今回は事後承諾ばかりになってスマンかった。彼らとの縁を拾えたのは、お前がこれを許してくれたからに尽きる。感謝するよ」


「はは。まあ、あれですよ。そのおかげで私たちは得がたい人材を沢山手に入れる事ができた訳ですし、こうして順調に金崎領を呑む……いや、継直打倒に向けて歩を進める事が出来ている。私こそ、貴方にはどれほど感謝してもしきれません。有り難うございます」


 俺たちは二人して頭を下げ合った。顔を見合わせて、何をしているんだろうなと、互いに苦笑する。


 そろそろ先ほど連れていかれた朝矩への尋問が始まっているだろうが、俺と伝七郎は、そんな事などないかのような、つかの間のゆったりとした時間を楽しんだ。




 それから四半刻(※三十分)も経たずして、信吾が部屋へと戻ってきた。


 伝七郎と神楽や三森に関する意見を交わし、どういう方向で整理していこうかと大筋で決定した直後の事だった。


 朝矩は少々『体』に尋ねると、音速でゲロったそうだ。予想通りだったとはいえ、漏れ出る溜息を堪えるのは、とても大変だった。


 道永の奴は、配下共々、朝矩の手の者に襲われたそうだ。上が上なら下も下である。


 道永は敦信の指揮下にあった。だから危ない――と、これまた予想通りの理屈でやらかしたらしい。あまりにも単細胞すぎて、さすがに道永の奴が気の毒に思えてならない。


 敦信が造反して、しかも自分の配下の者たちは連戦連勝中。朝矩が判断を誤る条件は揃っていた。それは事実だろう。しかし、仮にも一軍を任せられた将の判断として、これではお粗末が過ぎる。


 俺と伝七郎は、顔を見合わせた。伝七郎は、どういう顔をしていいか分からないといった、なんとも微妙な顔をしている。多分俺も、大差ない顔をしている事だろう。それ以外の反応など、しようがなかった。


 だが少なくとも、必要な情報を提供してくれた事には違いない。だから、その事を鑑みて奴をどうするかを決定する事にした。


 腹を切る機会を与えてやる事にしたのである。


 能力はともかく、自尊心は高そうだったので、正味これは情けのつもりだった。


 塩止めの発案者が道永である事も、許可をしたのが惟春であるのも知っている。だから朝矩あたりの罪は、せいぜいが上の指示で塩を止めていた程度という事になる。


 しかしながら、当然無罪放免とは行かず、ケジメをつけてもらう必要はあった。


 それに、敢えてそこに目を瞑る方向で整理するとしても、こいつを受け入れる訳にはいかない。ただ無能なだけの者ならば、能力相応の待遇で迎えてその血筋を利用する事も出来ようが、人の中身が腐ってしまっているだけに、どうしようもない。腐ったミカンが周りを腐らせてしまうように、腐った人間というものも周りを腐らせていく。


 それ故に、当初俺は、朝矩を始末する方向で整理をしようと考えていたのだ。それこそ、言いがかりに等しい理由をつけてでも。


 だが、これには伝七郎が待ったをかけてきた。いくらなんでも、罪人扱いは武士として酷だろうと。同じ士族生まれの者として、せめてもの情けだったのだと思う。


 そこで、せめて名誉ある死に方だけでもさせてやろうと、伝七郎と決めたのである。少なくとも俺たちの結論は、そこに着地した――筈だった。


 しかし朝矩は、腹を切る為に貸し与えた部屋から脱走を図ったのだ。


 介錯人も不要だというので、怪しいとは思った。そして奴は、そんな俺の予想を裏切らなかったのである。元より分かっていた事ではあるが、ふんぞり返りながら口にしていた武士の誇りなどというものは、最初から奴の中には存在していなかったのだ。




 しばらくして、俺と伝七郎がいた部屋に朝矩が帰ってきた……首だけになって。


 逃げ切れる訳がないのだ。今この町には、神楽の忍びの大半がいるのだから。


 血筋だけの朝矩に、その神楽忍軍の網をかいくぐる事など出来る訳がないのである。それ故に俺も、奴の「介錯人は不要」という怪しい言葉を聞き届けてやったのだ。


 奴は、紅葉に捕まったそうだ。


 紅葉は、失禁して気を失った朝矩に縄を掛け、引きずって信吾の元まで連れてきたらしい。突き出された朝矩は、ボロボロで見るも無惨な格好をしていたそうだ。改めて朝矩の首を見れば、確かに擦り傷や痣が増えているような気がしなくもない。


 朝矩を引きずってきた時の紅葉は、一緒にその場にいた鬼灯も引くような、ひどく冷酷な目をしていたそうだ。紅葉も、どうしても許せなかったのだろう。こんな男に……と思ったら、我慢が出来なかったのだと思う。


 とりあえず、ちゃんと生かしたまま連れ帰ってくれたので、今回は不問にしてやる事にした。敦信にも黙っていてやろうと思う。


 そして、朝矩は首を刎ねられた。


 水を掛けられ目を覚ましたところで、問答無用で刃が振り下ろされたのである。俺たちの元に確認に来た信吾に、そうしろと俺が命じたからだ。


「武士の誇りって、何なんでしょうね……」


 俺に命じられた信吾が部屋を出る時に、伝七郎はそう呟いた。その時の奴の横顔が、とても印象に残っている。まるで能面のような顔をしていた。沸き上がる感情が複雑すぎたのだと思う。見る角度で、そこに出ている感情が異なって見える程だった。


 だが、その中から敢えて一つの感情を選ぶとすれば、それは『哀しみ』だったと思う。


 伝七郎とて、朝矩が介錯人は不要と言った時点で、こうなる事は薄々察してはいたとは思う。だが、予想通りになってしまった現実に、哀しまずにはいられなかったのだろう。


 そのあと朝矩の首は、神楽の手によって惟春の元へと送られた。次はお前の番だという俺のメッセージ付きで。


 怒り狂った惟春がどう出てくるか見物である。


 あいつに多少なりとも将器というものがあるならば、ここは自制するところだ。どう出てくるか。結果が少し楽しみだった。


 俺たちはその晩、つかの間の休息として、この大事な勝利をいくらかの酒と肴でささやかに祝った。

2016/2/19 伝七郎の心理描写 微妙に修正と追記

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ