第二百五十五話 武士(もののふ) でござる その一
川島朝矩。
金崎家の部将で、三森の里に兵を送ってきた金崎家家老・鏡島典親とも近しいと聞く。川島家は金崎家に仕えて長い家系らしく、それだけに朝矩の家中での序列はそこそこに高いとか。
ついこの間まで、敦信の『弱点』だった男だ。
こいつがいてくれて本当に良かったと、実は密かに思っている。もしこいつがいなかったら、俺は本気で敦信と命の取り合いをしなくてはならなかったのだ。
負けるのは論外だが、勝っても今ほどに幸せではなかっただろう。
この馬鹿がいたおかげで、俺は敦信を手に入れる事が出来た。金崎家が脳タリンなおかげで、神楽も三森の里も清信も手に入った。正直、ウハウハだ。……神楽の者たちや、敦信らのこれまでの苦労を思うと、あからさまに喜びを示す訳にはいかないが。
俺はそんな事を思いながら、目の前に座らされている男を見る。縄を掛けられた朝矩は上から押さえつけられるようにしながら胡座を掻かされていた。ブクブクと肥え太った体のせいで、甲冑がはち切れそうになっている。さながら、糸で縛られたハムのようだ……と思った。すごく不味そうだったが。
俺は、朽木の町に入ってすぐに敦信から聞いていた川島朝矩が使っているという邸に部隊を直行させた。伝七郎の本隊が町の中に展開していくのが見えたので、そちらは伝七郎に任せて大将首を上げに行ったのである。
そして、ほとんど抵抗らしい抵抗もさせないまま、邸を抑え川島朝矩の身柄を抑えるに至った。
事実上、野部兼政との決戦が最後の抵抗だったと思う。
町の門を打ち破った時も、また川島朝矩を捕縛した時も、すでにほとんど敵兵は残っていなかった。そもそもの兵の質も酷いのに、数も少ないとなれば、そりゃああっという間に片付きもする。あまりにも抵抗らしい抵抗もなく、あっさりと片付いてしまったので、思わず罠を疑ってしまった程だった。そんなものはなかったが。
「……ける殿、武殿」
川島朝矩が使っていた邸の一室。板張りの大広間の奥で、俺と伝七郎は並んで座っているのだが、横から伝七郎の溜息が混じりそうな声が聞こえてくる。
「……あー、もうちょっとだけな」
そう言いながら、横目で伝七郎を見る。そこには、その声色そのままの顔つきをした伝七郎の顔があった。
「儂は川島朝矩ぞ! これが水島家の、武人に対する扱いか。恥を知れ!」
伝七郎によって現実に引き戻された俺の耳に、意図的に聞き流していた『雑音』が再び『言葉』となって入ってくる。
この川島朝矩。なかなかにすごかった。
ふん縛られて俺たちの前に跪かされた時、否その前からだったか。兎に角、居丈高に上から目線で罵倒し続けてくる。伝七郎の奴も面食らっていた。
朝矩を引き立てている太助と吉次も、どうしたものかと二人顔を見合わせている。
そしてそんな二人を見て、脇に控えて座っている信吾と源太は溜息をついた。多分、太助と吉次はあとでお説教だろう。
一方、こいつらみたく元々水島家として戦っていた面々と比べて、半次、清信、敦信らは少々温度が違う目線を送っている。この面々には、俺と伝七郎と共に直接の罵声が浴びせられているから、それも当然なのかも知れないが、反応はそれぞれだった。半次や清信は冷めた目をして眺めていたし、敦信はやはり少々心苦しそうにしていた。
ただ一つ、皆黙ってその狂態を眺めているという事だけは共通していた。
おそらく、ここまで見苦しいのは、流石に珍しい見世物なのだろう。この世界における侍たちの標準がコレだとは思いたくない。
視線の温度も下がるというものである。
今も止まぬ罵声が部屋中に響いている。このまま、いつまでも喚かせておく訳にもいかなかった。鬱陶しいのも鬱陶しいが、盛大に時間を無駄にしているだけだからだ。
溜息を一つ吐いて気持ちを切り替えると、俺は騒ぎ続ける川島朝矩を無視して立ち上がる。横で伝七郎がこちらを振り向いたが、とりあえずそちらは後回しにした。そして川島朝矩に近づき、俺は黙ったまま奴を上から見下ろした。
「な、なんじゃ、若造。貴様ごときが、この儂を――――」
最後まで言わせない。俺は、跪かされている朝矩の額を思いっきり押し蹴って倒す。そして転がった朝矩が喚く前に、その顔を無遠慮に踏みつけた。
「むぎゃ! こ、この無礼……」
勿論、今度も奴の言葉は無視する。腰の刀を抜いて逆手に持って、足の下で暴れる朝矩の喉に切っ先を突き当てた。
「喚くな。お前は、その若造に聞かれた事だけを答えればいいんだよ。何を勝手に口を開いている?」
そう言った上で、奴の顔の上に置いた足を少しひねった。踏みにじられた奴の顔面は歪に捻れた。
「ぷぺぺ、うぷ……」
まだ何やら音を発しているが、更に無視する。俺は、奴の顔を踏みつけていた足を奴の額の方へと微妙に移動させた。口をきけるようにしてやる為だった。そもそも、コレの顎を蹴り抜かなかったのは、その為なのだから。
「俺がお前に聞きたい事は一つだけだよ。道永……同影はどこだ?」
そう。此度の戦で、結局道永の姿は見つけられなかったのだ。信吾が出会っている以上、間違いなく奴はこの地にいた筈である。敦信も、自分が朽木を守っていた所までは、奴は間違いなくいたと証言している。
だが奴は、この朽木を巡る最後の戦いでは一度も姿を見せる事はなかった。
わざわざ探し出して殺すほど俺も水島も暇ではないが、機があれば将来に禍根を残さぬようにしておきたいところである。
「そんな者など知らぬわっ! それより貴様っ! 誰の顔を――――」
本当に知らないのか? いや、今の道永は賊のようだと言うし、こいつのこの性格ではいない事になってるって事もありうるか……。
そんな事を考えながら、俺は朝矩の喉元に突きつけていた刀を鞘に戻す。そして今度は、鞘ごと腰から刀を抜くと、その先を顔をまっ赤にしてがなり立ててこようとした朝矩の口の中に突っ込んだ。奴の言葉は、再び途中で遮られた。
「うが、ごおえ……」
そして嘔吐いているが、俺はそれも無視した。
「た、武殿?」
今までポカンとした顔で俺の振る舞いを見ていた伝七郎が、ハッとしたように声を掛けてきた。
「ん? ああ、大丈夫。乱心などしていないよ。冷静だ。この手の輩と話をするには、ちょっとしたコツってものがあってな。とりあえず、今は俺を信じて、そのまま見ていてくれ」
「は、はあ」
伝七郎は、生まれも育ちもよく、本人の性格も優等生だから、こういう『下品』な振る舞いにはあまり縁がないのだろう。俺も、こいつの前ではこの世界で言うところの外道な振る舞いこそ数々行ってきたが、この手の下品な真似をした事はまだ一度もない。
二水での話は報告してあるが、見ると聞くではまったく違うから、伝七郎が驚いたのも無理なかった。
ただ、今この部屋の中で微かにでも動揺をみせたのは、この伝七郎と吉次だけである。
源太や太助は二水の町で一度見ているし、信吾は村長の息子ではあるものの元が悪ガキだ。多分太助ら以上に、昔は『クソガキ』だったと思われる。まったく動じていなかった。
「ん~、やっぱりこのままじゃあラチがあかんよなあ……よし、決めた」
足下で嘔吐いている『豚』にチラと目をやり、顔を上げる。
「信吾、源太」
「「はっ」」
「連れて行って吐かせてくれ。方法は任せる。『なるべく』うっかりは起きないようにな。無理をする必要はないが、道永の奴は始末できるなら始末しておいた方が良いに決まっている。頼んだ」
俺は『最悪、殺しても構わない』と暗に伝えると、朝矩の顔の上から足を下ろす。そして、先ほどまで座っていた場所へと戻る。何事もなかったかのように。
「「はっ」」
返事をする二人。
源太はその時、微かに笑みを浮かべた。ほんの一瞬の事だったが、見間違いではなかった筈だ。おそらくは二水の時――俺に忠言した時の事でも思い出しているのだろう。
朝矩は、その後すぐに信吾と源太によって部屋を連れ出されて行った。太助と吉次も、それに付いていく。その他の面々も、一区切りがついて各々の仕事に戻っていった。彼らは元は金崎家の者たちである。何も口にせずに出てはいったが、思うところもあっただろう。
部屋には、俺と伝七郎の二人だけが残った。
奴は、連れ出されるその時まで、ずっと喚き続けていた。しかし、何を言っていたかは覚えていない。ずっと聞き流していたからだ。
奴が連れ出されていき、部屋の中にはようやく雑音がなくなる。キーンと音なき音が耳の奥で鳴っていた。
しばらくして、伝七郎が口を開く。
2016/2/15 うっかり消してしまっていた部分を追加
その他の面々も、一区切りがついて各々の仕事に戻っていった。彼らは元は金崎家の者たちである。何も口にせずに出てはいったが、思うところもあっただろう。