第二百五十四話 朽木陥落 でござる
そして、それから二刻(約四時間)のち――。
朽木の町は、俺たちの軍門へと降った。
最後の決戦は、あっけないものだった。勝敗自体が決するのに半刻もかかっていないと思う。
町から一里も離れていない丘で真正面から両軍がぶつかったのだが、戦が始まるとすぐに勝敗の天秤が傾いたのだ。想定していた以上の早さだった。
こちらの部隊は大きく分けて、伝七郎千二百、信吾六百、源太五百、俺の指揮する三百――計二千六百、四隊だった。信吾、源太はそれぞれ玄武、青龍の部隊に足軽隊を加えた部隊であり、俺は朱雀隊を笹島に送っているので足軽隊のみである。
だから伝七郎の部隊を本陣とし、青龍隊を擁する源太を先鋒。信吾を二の手とした。俺は最初戦場に出ず、朽木と決戦場の間にある林に伏す事にした。
敵は、野部兼政とかいう南門で伝七郎に勝たされていた将を大将に立てて、およそ千五百ほどの数で出てきたそうだ。あとから敦信に聞いたところでは、これは町にいる金崎軍のほぼすべてとの事だった。
こうして改めて考えてみると、兵の質も数も完全にこちらが圧倒していた戦である。
しかし、敵は完全に伝七郎らを舐めていたらしく、今まで同様に正面から突っ込んできたそうだ。
それを聞いた俺が、思わず「……馬鹿じゃね?」と呟いたとて、一体誰が責める事が出来ようか。侍として、神聖なる戦に臨むにあたり心構えがうんぬんと講釈垂れる事も出来ようが、思わず漏れ出た言葉以上の感想は、俺には持てなかった。
当然と言えば当然の事ながら、奴らは伝七郎の顔を拝む事すらできなかったようだ。本隊の前に配された信吾に突撃するもガッツリと受け止められ、「あれ? いつもと違わね?」と気づいて動揺したところに、源太が何度も突っ込んでバラバラに切り刻まれたそうだ。
思い描いていた通りの展開となったのだ。
野部兼政とやらも、その頃にはまずいと気がついたらしいのだが、すでにどうにもならない状態となっていた。勝負は完全に決していたのだ。
油断大敵。
その事を、野部兼政は身を以て知った事だろう。ただ不運な事に、奴がそれを知ったのは、源太の配下に首を上げられる直前だったように思われる。
そこから先は、敵は蜘蛛の子が散るような状態になったようだ。俺が伏していた場所にも、いくらか逃げてきた。
そう。いくらかだったのだ。
これは、想定が外れたと認めざるを得ない。
信吾と源太によって予想以上に敵が崩れてしまったので、敵が想定していた逃走経路『だけ』を逃げてはこなかったのだ。敵軍は、決戦場だけで完全に壊走してしまったのである。
さすがに、ここまで一気に決着するとは思ってもいなかった。おかげで、伝七郎の本隊も、伏兵となっていた俺の部隊も、ほとんど仕事がなかったのだ。
その為、朽木に乗り込んでからの伝七郎の本隊と俺の部隊の兵たちの士気は無駄に上がっていた。
このままでは勝ち戦で功を立て損ねてしまうと、まあ、そういう訳である――――。
「探せぇっ! 川島朝矩が残っている筈だ!」
「「「「応っ!!」」」」
俺が張り上げる声に、兵たちが打ち破られた町の門から中へとなだれ込んでいく。今の今まで仕事がなかったものだから、勝ち戦の勢いに乗って、兵たちのテンションはアゲアゲだった。
パッと見た感じ、俺たちが閉じられた門をぶち破ろうとした段階で、町の住人たちはそれぞれの家に引き籠もったようだ。大通り裏通りに関係なく、人影はない。門付近にあった木材の加工場らしき場所にも、商店の建ち並ぶ町の中央部にも、そしてその裏にある長屋街にも、猫の子一匹いやしない。すべての建物の窓や戸は閉じられ、人々は中で息を潜めているようだ。
そして、普段は沢山いる筈の旅人の姿も、今は見えなかった。
朽木に攻撃を加えた始めた段階で、俺たちは朽木の町へ入る事は規制した。しかし出る方は、厳しく検めた上ではあるものの出してやっていたのだ。
正直、手間ではあったが、俺と伝七郎は世間に対する飴と鞭の飴として、敢えてこれを認めた。だから旅の商人たちは、この戦に巻き込まれずに、もう各々の旅路に戻っているのである。
それだけに、うちの軍の兵たちを邪魔するものは何もなかった。兵たちも、功を上げ損ねると若干焦っている様子こそ見えるものの、きっちりと各々の役目に集中してくれている。
役目を放って略奪に精を出すような事も、当然無かった。日頃から軍規を徹底してきた成果だと、ちょっと誇らしく思えた。
とは言え、これは俺の改革の成果でもあり、そうでないとも言える。これは、正直この世界の戦の慣習に感謝した部分でもあるのだ。
俺が調べた昔の軍ってのは、洋の東西を問わずに基本酷いものだった。兵の報酬として、強姦強奪が認められていたのではと思えるケースさえ普通にある。略奪は前線兵士の報酬といった認識が、割と当たり前だったように見受けられる。
しかしこの世界では、建前とはいえ戦が神聖視されている為、それがなかった。
むこうの世界よりも、その点はずっと『綺麗』だったのだ。
確かに、個人レベルではそういう『事故』も起る。だが軍としては、どこも認めていないらしい。少なくとも『戦』中は。だから、兵には別途報酬が用意されるのである。それが普通だそうだ。伝七郎や爺さんが言っていたのだから、まずその通りなのだろう。
おかげで、五事七計(※孫子の兵法)に学ぼうとした新米軍師にとっては、覚悟したよりもずっと簡単に済んだのである。あくまでも覚悟したよりは、だったが。
そんな俺自慢の兵たちは、敦信より聞いた川島朝矩がいるという館に向かって真っ直ぐに走って行っている。伝七郎率いる本隊の者たちは、その数を生かして町の中に展開しているようだ。伝七郎の奴も、今度は逃がさないつもりなのだろう。
「源太は北門に残れ! 信吾は南門へと急げ! 絶対に逃がすなよ!」
「「はっ!」」
先の戦ですでに功を上げた二人には、万に一つも川島朝矩を取り逃がさないように門へと向かわせ待機を命じる。当たり前だが、この二人の功を妬んだのではない。『将』の下に配されている『兵』への配慮だ。
この戦で、俺や伝七郎が無理矢理功を上げる必要はないが、その下の兵たちは少しでも功を上げて論功行賞のおこぼれに期待したいのだ。だから『将』である以上、俺たちもまったく功を上げない訳にはいかないのである。そんな事をしたら、『兵』が不満を持って、それが積み重なると『軍』としてよくない事になる。機会だけは、可能な限り均等に与えなければならないのだ。
俺は幾ばくかの兵に守られながら、ゆっくりと川島朝矩がいると聞いた館へと向かう。兵たちの大半は、すでに館に向かって全力疾走していったので、もうここにはいない。
「随分とあっけないものだな」
太助がぽつりと呟いた。吉次や八雲も口にこそ出していないが、少し感慨深そうに住人たちが誰も外にいない大通りをあちこち見回している。こいつらは、ついこの間まで家の中に隠れている方の人間だった訳だから、それも仕方がない事なのかも知れない。俺だって、この世界にきたばかりの頃は何を見ても思う事ばかりだった。それまでの生活とは違うものばかりだったから。
そんな太助に、俺は思って欲しくない事があった。だから、その事を告げるべく太助に声を掛ける。
「そんなものだよ、太助。でも、これをどう見るかでお前の将来は変わるぞ?」
「??? どういう意味だ?」
「敵弱すぎ。雑魚過ぎると見るか、条件が整うとこんなに簡単に落ちるからこそ油断してはならないと見るかで、お前の将としての器が決まるという事だよ」
「……なるほど」
太助は神妙な顔をして俺の話を聞いている。最近のこいつは、驚くほど素直に俺の話を聞く事がある。
「金崎の兵の質は、確かにうちよりは悪いだろうな。だけど、逆に俺たちが隙を突かれる格好での戦となったら、こうはいかない。強い筈の俺たちの兵の方が総崩れになる事だって、十分にあり得るんだ。だから将ならば、これを見てただ喜んでいてはいけないんだよ」
今回は、俺も一切巫山戯る事なく真面目に応えた。少々説教臭くなってしまったが、本当に大事な事だからやむを得なかった。
その後も俺は、太助ら三人を含めた護衛の兵たちとともに町を見回しながら、大通りを奥へ奥へと進んでいく。
そして俺が件の館へと到着した時には、すでに川島朝矩の身柄は確保されていた。朽木の門を破って、わずか四半刻(※三十分)後の事だった。