幕 敦信(三) 孤軍奮闘
「よっしゃあ、敵が引き始めたっ! このまま押しまくれぇっ!!」
利宗の怒号が響く。
柵で仕切られて作られている仮設門へと続く道は、とても道幅が狭い。そして道中何カ所か、敵の勢いを殺す為に土を盛ってある。そこを越えようと止まったところを、矢で狙う為だ。
目の前の敵は、俺たちが打って出た為に矢に晒される事こそなくなったが、その盛った土の壁を越えたところで、利宗の部隊とぶつかっていた。土壁を越えてきたいくらかの敵兵に突進して押しつぶし、その後は土壁の上と下で長槍の突き合いになっている。
僅かな戦いの間に、敵味方共にいくらかの死傷者を出す事になった。
そして、更に戦況は動く。敵方はここを突き破る事に拘っていないのか、こちらの抵抗が激しいとみるや、すぐに引き始めたのだ。
「このまま、一気に押し戻すぞ!」
利宗が更なる檄を飛ばす。
いかん。それは駄目だ。
「伝令! 利宗に、壁の向こうには行くなと早急に伝えろ! あの壁を越えられなければ、それでいいんだ!」
「はっ」
俺の命を受け、伝令が全力で駆けていった。
危ない。おそらくは、あれはワザと引いたに違いない。神森武や佐々木伝七郎に率いられた軍が一筋縄で行く訳がないのだ。
こちらが調子に乗って追えば、手痛い反撃をもらった事だろう。あの状況で追えば、俺があの土壁を利用したのと同じ状況で、藤ヶ崎の奴らは戦えるようになるのだから。それが、敵方の狙いだった筈だ。
案の定、しばらくすると引く敵がその動きを止めた。そして、こちらの様子を窺うように、じっと待機している。
間違いない。奴らの狙いは、こちらを誘う事にあったのだ。
そっと冷や汗を拭う。冷静さを装うのにも苦労する。もし、あれを追っていたら……そう思うと、とりあえずの勝利にも喜べない。
気を抜いたらやられる。本当に怖い相手だ。
「すまねぇ、敦信様。つい、熱くなっちまって」
俺の命を聞いて兵ごと下がってきた利宗が、ポリポリと頭を掻きながら近づいてきた。
「気をつけろよ。今回の戦は、いつもの戦とは違うからな。敵はどんな手でも使ってくるぞ。気を抜くと、そこを突かれてあっという間にやられる」
「面目ねぇ」
「まあでも、無事で良かった。見てみろよ。あれ追っていたら、今頃好き放題にやられていたところだぞ」
そう言って、前方にある人の背丈ほどの土壁の向こうを指し示す。
そこには、止まってこちらの様子を窺っていた敵が静かに退却していく姿があった。
俺の指さす先を見た利宗は、
「かあ……、ホント面倒な相手だな。戦ってのは、もっとこう、ばんばんばぁあんとやるもんだろ。な? 大将」
と、心底嫌そうに顔をしかめながら俺に同意を求めてくる。
「いや、そんな事を言われてもな……まあ、言いたい事は分からなくもないが」
戦をやっている気がしない。戦は、もっと華々しい物だ――――そう言いたいのだろう。
言いたい事は分かる。確かに、武人としては利宗の言葉に同意したい気持ちもなくはない。ただ俺自身は、こんな戦もあるのかと少々の感動を覚えている。
こんな戦はした事がない。おかげで手探りの応対になっている。だが……悪くない。俺自身はそう思っていた。
「だろう?」
利宗は俺の言葉を都合良く解釈し、前半分をなかった事にした。
「分かった分かった。だが、今回は諦めろ。あんな奴らに真っ向勝負を挑んだら、ただでは済まん。ただでさえ今は、俺たちの方が圧倒的に不利なんだ。すっきりしなかろうが、性に合わなかろうが、あらゆる手を尽くすしかないんだ」
「そりゃあ分かってまさあ……」
口では分かったと言っているが、声音と顔ははっきりと『つまんねぇ』と言っていた。
そんな『らしい』利宗に苦笑しながら、俺は後退を命じる。取り敢えずではあるものの、勝利を手にした俺たちは門の中へと引き上げる事にした。
敵を追い払った事を朝矩様に報告し、
「みっともない勝利だな、敦信。もっと金崎家に相応しい勝ち方をせよと何度同じ事を言わせるのだ。兼政をみよ。見事な戦振りで、南門を守っておる。やはり、血は嘘をつかぬのう」
などとお言葉をいただいて、北門へと戻る。
兼政殿か……。
朝矩様の子飼いの将で、確かにそれなりに血筋は良いが、どうひいき目に見ても優秀とは言えないお方だ。そんな兼政殿があの南門を堅守しているという。打って出ては、近づく敵を追い払い、連戦連勝だとか。
見事なものだ……と言いたいところだが、不安でならない。
そんな力など、兼政殿にもその配下の兵にもあるとは思えない。まして、南門に攻めかかってきているのは、伏龍・佐々木伝七郎である。犬上信吾は北門に回ってきているが、だからといって、そう簡単に勝てる相手ではない。
やはり、南門は勝たされている。間違いない。
だが……。
俺がそれを口にしても、朝矩様は歯牙にもかけぬだろう。朝矩様の勘気にふれる事になるだけだ。
もう、どうにもならない。
始めは分からなかった。なぜ、あの者たちがこんな事をしているのか。だから、気がついた時にはもう手遅れだった。おそらく、今の俺のこの状況こそが狙いだったのだ。
俺を孤立させようというのだろう。そして、それは見事に成功している。
ぞっとする。神や仏ならぬ人の身で、よくもまあここまで状況を操れるものだ。
今では、朽木の民の目も針のようになって俺に突き刺さってくる。門を完全に封鎖して戦っている俺は、門を出て戦う兼政殿と比べれば、さぞかし無能で最低な将として映っている事だろう。
神森武か、佐々木伝七郎か。
どちらが考えたにせよ、恐ろしい事だ。どこまで見通して仕掛けてきているのか、今以て皆目見当が付かない。ただただ世の中の広さを教えられる。
半ば絶望を覚えずにはいられない。
そして翌日、更なる絶望が俺に襲いかかった。
「な、なんだと!?」
日が天頂を過ぎた頃、敵が再びやってきたのを見て、度肝を抜かれた。敵軍勢の中に、あってはならないものが見えたのだ。
青地に白抜きの巴紋……我が三森家の旗。
父上だ。
「ちょ、ちょおお、大将。ありゃあ、ちょっとマズかないですか」
利宗が慌てて近くに寄ってくる。
不味いに決まっている。人質? いや、違う。普通に『従軍』している。隣の鳳凰紋の旗は神森武のもの。
金崎家を見限り、水島に寝返ったのか? もしそうなら、お館様に里をどうこうされる心配はなくなったが……。
しかし、これでは……。
一体どうしてです、父上。これでは俺たちは……。いや、仮にそれをどうにか出来ても、三森が割れる。
やはり、紅葉は嘘を言っていなかったのだ。彼女の言葉通りだったからこそ、父上は離反する道を選んだ。
利宗や利歳、そしてざわつきだす兵たちを見る。
俺はどうしたらいい。
父上とは戦えぬ。戦う理由がない。とは言え、このままお館様への忠を貫くならば、戦わぬという訳にはいかぬ。
口元を引きつらせながら、
「やべぇなあ」
と呟く利宗。三森からついてきてくれている里の兵たちの動揺も、刻一刻と大きくなってきている。どうにかしないと不味い。遠くで「落ち着けぇ!」と叫ぶ利歳の声も聞こえてくる。しかし、一向に収まる気配はない。ざわめきは大きくなる一方だ。
もう時間がない。どうするにせよ、今決断しないと最悪な結末が待っている。それだけは間違いない。
どうする。
喉がひりつき頭が痺れる。だが、そんな自分に無理矢理鞭を打ち、ひたすら考えを巡らせる。
だが、そんな俺が答えを出す前に、更に状況が動いた。
ここの所ずっと鳥居源太に攻め立てられてきたが、今日は神森武の軍が前に出てきていた。そして、その部隊はいつもと違い、静かにこの北門へと近づいてきたのである。
ここの所の攻撃ですっかり埋められてしまった堀の上を、悠々とやってくる。そして、百間(約百八十メートル)ほどまでに近づいてくると、その動きを止めた。
何だ? この上、何をしようというのだ。
目の前の利宗も、らしくないなんとも難しい顔をして、その様子に目を奪われている。
胸騒ぎが止まらない。
だが、敵がそんな俺の事など慮ってくれる筈もなかった。更なる一手を繰り出してきたのである。
敵方の軍勢の中から、騎馬武者がただ一騎、こちらに駆けてきた。
父上――三森清信その人だった。