幕 敦信(三) 譎詐
ここ数日、急に藤ヶ崎の者らの攻撃が激しくなった。
南門は佐々木伝七郎と犬上信吾を中心に、終わりの見えない攻撃に晒されている。神森武がやった『間断なき攻撃』と同じものであった。
ただ、不思議な事に未だ門を破られていない。攻めては引き、引いては攻めるを繰り返されているだけで、朝矩様のところの将らだけでなんとか持ち堪えている。
しかし、それが不安を煽る。破られていないのが不安というのも変な話だが、すっきりとしない。
あの者らは、南門から打って出ては町に近づこうとする藤ヶ崎軍に突撃を繰り返している。そして、追い払っている。
なぜ追い払える?
あり得なかった。仮にも味方。馬鹿にしたくはないが、どう考えても佐々木伝七郎や犬上信吾とやり合える訳がないのだ。将の力量も足りなければ、兵の質でも負けている。
それがどうして……。
決まっている。勝たされているのだ。
それは何故……。
北門に押し寄せてくる鳥居源太の軍と戦っている最中だというのに、目の前の戦に集中できない。
またもや、ワーっと大きな声が上がった。鳥居源太の軍が態勢を整え直して、再び反撃に転じてきたようだ。
そろそろ昼だった。
夜明けから、ずっと同じ調子で攻めたててきている。神森武や佐々木伝七郎の『間断なき攻め』とも違う、苛烈な攻撃に延々と晒されていた。
隙あらば門を食い破らんばかりの勢いで突っ込んでくる。こちらは、南門のように『勝たせて』はくれない。その気配もない。のど笛をかみ切らんとばかりに飛びかかってくる。
ここのところ、ずっと同じ調子だった。おかげで、朝矩様の叱責も激しさを増している。
『やはり、お前が無能だから勝てぬのだ。あのような者らなど、我々の敵であろう筈がない』
そう、おっしゃっている。
本当にそうなのだろうか。俺は自惚れていたのだろうか。
いや、そうではない筈だ。
心揺さぶられるが、強く己を信じる。
それに神森武だ。
敵の攻撃が変わってから、ずっとあの者の姿が見えない。いや、それどころか朱雀隊の姿もずっと見ていない。あの部隊は、神森武直属の精鋭部隊の筈だ。
神森武一人ならともかく、あの赤備えどもの姿もまったく見えないというのはどういう事なのか。俺たちの休息を奪ったあの連日の攻撃の時には、最前線で指揮を執っている神森武の姿と共に休みなく見る事が出来たのに……。
「むぅ……」
思わずうなり声が漏れる。
こうして俺の不安を煽るのが、神森武の狙いなのかもしれない。
そう思えば、こんな心弱い事ではいけないとは思うのだが、それでも俺の頭の中では常に彼の者の幻がチラつき続ける。
初めて戦場で神森武を見た時は、上背こそそこそこあるものの、こんな線の細い将が本当にあの常勝の将なのかと思ったものだ。だが、それが俺の間違いである事は、すぐに思い知らされた。彼の者の目は千里の先を見通す。天を読み地を読み、人を――心を読んでくる。敵に回して、あれほど恐ろしい相手も他にいないだろう。
「……様っ。敦信様っ。ぼうっとしてる暇なんかねぇですって! 青龍隊がまた突っ込んできまさーっ!」
「兄者っ。鳥居源太だけじゃねぇぞっ! あっちからも来ている! あれは……犬上信吾の玄武隊か!? 野郎っ、いつの間に南から北に回ったんだ!!」
物を考える暇すらない……か。
利宗が叫び、利歳が吠える。確かに見覚えのある兵装の敵がこちらにやってくるのが見える。黒塗りの鎧で揃えた部隊だ。利歳の言う通り、犬上信吾の玄武隊だろう。朽木に近づく佐々木伝七郎の軍を奇襲し続けていた時に何度も戦ったのだから、見間違える訳がない。
犬上信吾まで、こちらに回ってきたか……。
それに、見れば玄武隊だけでなく、足軽の数も増えている。百人組の数が二つほど多い。
俺の担当がこの北門だけとなり、利宗、利歳の二人を同時に使えるようになったのは良いのだが、こうも激しく攻め立てられては前よりもずっと大変である。
そしてその事が、『南門は勝たされている』のではないかという思いを更に強くし、確信へと変えていった。
それだけではない。新たな疑問も出てくる。
多少無理をする覚悟があれば、いつでも落とせるくせに、なぜそうしないのか……。
それが分からなかった。今の状況だと、奴らにとっては巧遅よりも拙速こそが重要な筈である。
お館様は、ただ単純に奴らが不相応な野心を覚えたと考えておられるようだ。しかし、おそらくそうではないだろう。あの者らにとって不倶戴天の敵である、水島継直の動きに呼応してのものである筈なのだ。
水島継直が方針を変えて大和平定の前に領土拡大に向かったから、それに対抗する形で藤ヶ崎の者たちはこの金崎領に目を向けてきた――そう考える方が、より自然である。
何せ、俺たちは藤ヶ崎攻略を失敗した直後なのだ。しかも、奴らにはほとんど被害を与える事が出来ず、一方的に打ちのめされて押し戻されている。
奴らに狙われる理由は、色々な意味で十分にある。
だが、もしそうだとすると、あの者たちは水島継直が態勢を整え終わるまでに、この金崎領を吸収し終わらなければならないだろう。さもなければ、本来の敵に目標を変えた水島継直と、反撃に移ったお館様によって、逆にやられてしまう事になる。
だから、『早さ』こそが至上である筈なのだ。
なのに……。分からない。
「……だから、敦信様っ! 考え事は後にして下せぇっ! 奴ら、今回は本気だ。勢いが強すぎる!」
思考の海に沈もうとする俺を、利宗の叫びが再び呼び戻す。
見れば、厚めの木の板を急造の盾として使った玄武隊が、こちらの弓隊の斉射を受け止めながら堀を埋めていた。それを阻止せんと出したこちらの槍隊も、青龍隊に阻まれて玄武隊の元にはたどり着けていない。
そして、玄武隊に気をとられている隙に敵の足軽隊が、弓の斉射を目的として用意した罠のない経路を通って、怒濤の勢いで押し寄せてきている。
このままでは、もう間もなく最後の柵までたどり着いてしまうだろう。利宗らの言う通り、確かに非常にまずい状況だった。
ちいっ、仕方がない。
「やむを得ん。こちらも打って出るぞ。利歳っ」
「おうさ」
「お前は、ここの指揮を執ってくれ。ここを空ける訳にはいかんからな。打ち破らなくてもいい。なんとか少しの間、犬上信吾と鳥居源太をあの場所に釘付けにしておいてくれっ」
「う~、難しいがやるしかないか。任せてくれ、敦信様」
「おう、頼んだ。――利宗っ」
「おうっ」
「お前は俺と一緒に来てくれ。外を回ってこちらに近づいてくる敵の足軽隊を、俺と一緒に殲滅するぞ」
「うへ、正面から突っ込む気ですかい」
「その通りだ。だが、あそこには犬上信吾も鳥居源太もいない。俺たち三森武士の敵ではないっ!」
「それもそっか」
俺の咆哮に、利宗はニヤリと笑った。どうやら口ではあんな事を言いながらも、本心は乗り気のようだ。
「なんだ。楽しそうじゃないか」
俺がそう言うと、利宗は更に笑みを強くした。
「敦信様も懐かしい顔をしていまさぁ。戦ごっこをしていた頃を思い出しやす。最近の敦信様は良い子でしたからなぁ。でも、俺っちらの大将は、やっぱこうでなきゃあいけねぇ」
「ちげーねぇ」
カカカと笑う兄・利宗に、利歳も膝を叩きながら同意する。
そうか。俺は今、そんなに楽しそうなのか。
自分では分からなかった。敵の圧力に心底苦しくて堪らない。それは間違いない。だが俺は、そんな状況を楽しんでもいるらしい。
そうか……そうか。
「ふん、言ってろ。よし。では向かうぞ、利宗。利歳も、ここをよろしく頼む」
「「おうっ!!」」
愛用の朱槍を手に門へと向かう俺の後ろに、利宗が続いた。そして、叫ぶ。
「野郎共、出るぞっ! 三森武士の戦だっ!! 下手打った野郎は、後でしばき倒す!! 気合い入れて行けよっ!!」
「「「「「おおっ!!」」」」
利宗の部隊と俺の部隊の者が、雄叫びを上げた。そして、本来の朽木の町の門の前に築いた仮設門の扉が開かれる。
「出るぞ!」
俺の合図で、俺直属の部隊と利歳の部隊の兵たちが、押し寄せてきている敵足軽隊に向かって突進していった。