第二百五十話 三森清信 でござる
崖下まで降りてくると、もうすべてが終わっていた。
後ろからは、朱雀隊と三森の里の兵の混成部隊に。そして前は、俺が伏せていた部隊に。横に逃げようにも切り立つ崖と谷底しかない。
挟まれた敵足軽隊は、べっきりと心が折れたらしい。
朱雀隊と三森の里の部隊に陣を強襲され、ほうほうの体で逃げてきたものの、更なる挟撃を受けたのだ。ただの足軽たちでは無理もない。
この場ではほとんど抵抗らしい抵抗もする事なく、あっさりと降伏したようだ。
戦場だった場所がほとんど荒れていない。敵騎馬隊は雪玉と一緒に崖の下だった事もあり白いまま残っている。どろどろぐちゃぐちゃどころか、紅白にすらなっていないところからも、あきらかにほとんど戦闘が行われていない事が見て取れる。
これまで投降兵を吸収してきた事が、思わぬ形で功を奏したようだ。
金崎家への忠誠心など欠片もない足軽兵たちは、聞き及んだ噂を頼りに無駄な抵抗をせずに、さっさと投降する事を選んだようである。
音だけは崖を降りている最中も届いていたので、なんとなくはこの結果は分かっていた。
だから、味方も敵も想像以上に生き残っていた。嬉しい誤算という奴だ。
それにしても、である。
これ程に人心を掴めていないまま、よく国を保っていられる……。
目の前にいる味方の向こうで大人しくしている一団を見ながら、俺は変な意味で惟春に感心してしまった。調査で分かっていた事ではあるが、完全に恐怖政治一本で統治しているのだ。
しかしながら、当然こんなやり方ではすぐに限界を迎える。一旦劣勢に回ると、民にも兵にも粘りがなく脆い。
ぱっと見た感じでは、武装解除された投降兵の数は百人を少し切るぐらいといった所だろう。報告では敵の数は二百だったから、またほぼ半分降った計算になる。
この報告が惟春にもたらされたら、奴はまた怒り狂って、臣下や兵、民に当たり散らすだろう。それが、更に自分の首を絞めていく事も理解できずに。
もっとも、この戦の報告が行く頃には……。
俺がそんな事を考えていると、投降兵を囲んでいる一団から鬼灯と一人の老人がこちらに向かって歩いてきた。
「ご苦労だったな、鬼灯」
「お役に立てて、ようございました。それと、連絡が遅れて申し訳ございません」
鬼灯は俺の前までやってくると、膝を着き頭を垂れた。一緒にやってきた老人も、同様に膝を着いて頭を下げている。鬼灯を受け入れている所からも察する事ができるが、やはりほぼ腹を決めて出てきたようだ。あとは、最後の決定の前に俺を直接見定めるだけ……といったところか。
鬼灯の謝罪を受けながら目の端で、面を伏せたままの老人――三森清信であろう人物を観察し続けた。
「いや、良い判断だったと俺も思うよ」
「恐れ入ります」
そして、当たり障りのない鬼灯との会話で少しの時間を稼ぎ、満を持して話を彼の方へと持っていく。
「ん。それで、だ。そちらのご老人は?」
「はい。こちらのお方が三森清信殿にございます」
「やはり、そうか。清信殿、面を上げられよ」
「はっ。三森の里の長、清信にございます。お目通りの機会をいただけた事、恐悦至極に存じます」
言葉遣いはともかく、思いの他若々しいしゃべり方で言葉を返してくる。
三森清信――三森の里の長。ここ十年ほどの間、金崎家の臣下の末席に名を連ねていた武士だ。それ以前は独立していたようだが、金崎家の領土拡大政策の波に呑まれたのをきっかけに、金崎家の禄を食むようになったと聞いている。
頭頂を剃って髷を結っている。
うちではあまり見ないが、俺がこの世界に来るまで武士とはこうと思っていた――まさにそんな風体の人物だった。ただ、その髪の多くはすでに白く色が抜けており、顔に彫り込まれた無数の深い皺は、これまでの苦労を伺わせている。病の床に伏せていたと聞いている通り、お世辞にも良い顔色とは言えない。体も、やややせ細っていた。
ただ、肉体には老いや病の気配を感じさせるが、その眼光の鋭さは、流石は三森敦信の父と言えるだけのものを持っている。
「うむ。こちらも会えて嬉しい。継直や惟春と刃を交えても、なかなか真の武士には出会えぬからな。ついこの間、ようやく一人目に出会えたばかりだ。清信殿で二人目になるな。貴殿の息子は本物だよ」
「勿体ないお言葉にございます」
俺の軽いジャブも、するりと躱してくる。うん、本当にあの息子の父だ。この三森の親子といい、神楽といい、こんな配下らがいて惟春は何をやっていたんだろうな。
「さて、清信殿」
「はっ」
「本来ならば、ここからお互いに腹の探り合いを始めるところだが、俺らにとっても貴殿にとっても、それは得にはならん。こちらも正直急いでいるし、貴殿とて、急がねば息子の命が危うい状況だ。ここで俺らが無駄な時間を過ごして得をするのは、継直と惟春になるな」
「……左様にございますな」
清信は百戦錬磨の武士らしく、顔色をまったく変える事なく同意してきた。ただ、若干返事が遅れたところに親心も感じる。清信と敦信の親子関係は、聞いた話の通りに良好のようだった。
それが確認できたので、俺は単刀直入に尋ねる。
「清信殿。だから、探り合いはなしだ。率直に問う。三森の里は俺たちに降るか降らぬか……それを聞きたい」
「随分といきなりですな」
「無駄を楽しむ余裕は、今はないんでね。俺は三森の里も欲しいが、貴殿の息子も欲しいんだ」
「敦信も?」
「如何にも。何も不思議ではあるまい。うちにも佐々木伝七郎という俊英がいるが、貴殿の息子も間違いなく麒麟児だぞ。適う事ならば、欲しいに決まっている。もっとも今は、武士の誇りにかけて俺たちを止めようと頑張ってくれているがな。おかげで苦労をしているよ」
自分より年上らしい敦信の事で、その父・清信にこんな科白を言い、ハハハと笑ってみせる。
少し前までは違和感を覚えて仕方がなかったが、ようやくこれにも慣れてきた。立場が血肉になってきたかな……と実感する。
清信は困ったような顔をして、
「それは、その、申し訳ございません」
と、言葉を迷わせながら謝罪してきた。
しかし俺は、彼を責める為にこんな事を言った訳ではない。ここは誤解して欲しくなかった。だから、すぐに修正をする。
「いや。俺は貴殿を責めたくて、こんな事を言ったのではないんだ。ここは誤解して欲しくない。俺は、ここまでされてもなお忠を尽くそうと奮闘している三森敦信という武士に興味が湧いている。彼の者の有能さはすでにこの身で味わっているが、そこに主に対する献身的な心まであるとなれば、興味を持たずにはいられないな。誤解を恐れずに言うならば、いま俺は、彼に好意を抱いてすらいるよ。……金崎惟春は少々違う見方をしているようだがね。だから俺は、決して貴殿を責めているのではない」
「……なんたる過ぎたるお言葉か。まことに感謝いたします」
膝を着いたまま俺の顔をじっと見上げていた清信は、言葉を詰まらせて深く頭を下げてきた。
そんな清信に見ながら、俺はいきなり切り出す。
「本来は、まだこの地にやってくるつもりはなかった。この辺りはすでに鬼灯からも聞いているとは思うが、朽木を落とし、それから三森、笹島と進撃する予定だった」
清信は、再び顔を上げた。そして、俺の顔を見る。その目は、先ほどまで以上に真剣みを帯びていた。
「だが、偶然にも笹島に集まる金崎軍を察知し、そして更なる偶然――いや、必然だったかもな。うん、兎に角、ちょっとした問題が起って、三森敦信の現状と、抱えている問題を知った」
「…………」
「俺は、ありえないと思ったよ。阿呆かとね。だから俺は、先にここへとやってきたんだ」
ここで言葉を切り、俺は腹に力を溜めて告げる。
「三森清信。改めて問おう。我らに降るか、それとも金崎惟春と共に滅びる道を選ぶか」