第二百四十九話 楽して勝っても勝ちは勝ち でござる
命令を持たせた銀杏と俺のお庭番衆らを全員鬼灯の元へと送り出すと、俺は日没を待った。そして、行動を起こす。
朱雀隊すべてを重秀に率いさせ、笹島から出た先発隊が陣取っている場所の東に回り込ませた。敵の陣があるのは、街道から三森の里へと向かう枝道の脇。少し開けた場所があるらしい。
だから今回、朱雀隊は下馬させて歩兵として向かわせた。そんな場所に横撃をかけようと思ったら、森をかき分けながらの奇襲を選ばざるを得ない。もっとも、朱雀隊を含めた精兵部隊の者たちには、自身の専門の戦い方の他にも色々な状況に対応できる訓練が施してあるので、これでも十二分に戦果を上げてくれる筈である。
そして俺自身も、足軽隊二百を引き連れて、夜の闇に紛れながら移動を開始した。
街道沿いに切り立つ崖がある場所――俺はそこを敵の墓場に選んだ。三森・笹島間の街道と、俺たちが使った朽木からの獣道との合流点より、やや笹島に寄ったあたりに、それはある。
目的の場所へと着くと、俺はまず地形を確認した。
地図と神楽の情報を照らし合わせて選んだ場所なので、自分の目で確認する必要があったのだ。もっとも、夜の闇の中では確認すると言っても限度があったが。
しかし、概ねイメージ通りの場所で、ホッとする。
街道が山肌に沿って通っている場所であり、想像していたよりも崖の傾斜がややキツかなといった程度の差だった。道の両脇ともにほぼ『垂直』だった。片側は切り立つ岩肌が剥き出しの崖。そしてその反対側は、石を蹴り落とせば真下に落ちるといった状態だ。
それを確認した俺は、百人組二つにそれぞれ違う命令を出した。
ひと組には、俺について切り立った崖の上へと上がるように命じる。そしてもうひと組には、街道脇に上に白い布を被って伏せているように伝える。勿論、崖の上の俺たちからは少し横に外れた位置でだ。
「うー、寒っ。そろそろの筈なんだけどな……」
俺は、西の方角を眺める。まだ敵も味方も姿が見えない。
空を見上げた。
もう日が昇ってしばらく経つ。陽の位置的にそろそろ巳の刻ちかい筈……多分九時ぐらいだ。
重秀らは日の出と共に仕掛けている筈だから、敵の陣の位置と俺たちの位置を計算すると、『一発目』はそろそろやって来てもおかしくない。
それにしても、すかっと晴れ渡ったな。
雪雲はなくなり、すっきり晴れた戦日和だった。辺り一面真っ白ではあるものの、この辺りでの冬期の戦はガチで吹雪にあたる確率が高いという話だ。それを思えば、今日などは余裕で戦日和と言えるだろう。まあ、それだけに敵からも発見されやすくなっている訳だから、注意は必要だが。
「そうは言っても、まだ何にも見えね……いや、ちょっと待った」
俺のぼやきに、真横にいた太助が目を細めた。俺には、何にも見えないが、どうやら何かがこちらに向かってきているようだった。相変わらず、こちらの人間の身体能力はチート臭い。ついこないだまで一般人やってたこいつらですらこれだ。神楽の忍びたちなんかの視力は、エスキモーやアフリカあたりの原住民と勝負できそうな気がしてならない。
つか、こんな身体能力があっても生かせないんだから、常識って奴はなかなかに罪深いもんだ。おかげで、俺は楽させてもらっているが。
そんな事を思いながら、太助に尋ねる。
「来たか?」
「みたいだな」
太助はこちらを振り向くと、コクリと頷いた。
「下もすでに準備できていますし、こちらも問題ありません。」
八雲も、遠目をしていた視線を横にやりながら、そう報告してくる。八雲の視線の先には、直径二メートル大の巨大な雪玉がいくつも並び、その後ろには兵たちがスタンバっていた。
「よし。吉次、合図を送れ」
「はいっ」
吉次は、即座に小走りで駆けていく。そして地面に寝転がると、腕を伸ばして、崖下にいる足軽隊百に向かって赤い布を振った。
敵がやって来た――の合図である。
これで、とりあえずは三森の里を巡る戦いが決着する。とは言え、まだ初戦も初戦である。気を抜く訳にはいかない。
逃げてくる騎馬の一団に、崖上から次々と雪玉が落とされた。
どうせ、いつものパターンで騎馬が先に撤退してくるのは分かっていた。こちらの戦のやり方がやり方なので、どうしてもそうなりがちなのだ。
今日もその通りになった。それだけの事である。
そして……、こちらもいつも通りに落石計で最初のジャブを決める事を選んだ。ただ今日は、岩ではなく大量にある雪で雪玉をつくって落とした。
俺たちがいる場所から巨大な雪玉を転がせば、そのまま敵を巻き込みながら更に下へと転がり落ちて行く。わざわざ大変な思いをして大量の岩を投げ落とさなくても、逃げてくる騎馬兵の数十くらいは雪玉で十分に掃除できるのだ。
敵の騎馬兵は、イメージした通りに雪玉と一緒になって崖の下へと落ちていった。あの者たちは、まず助からない。
俺は崖から落ちた者の冥福を祈りながら、次の獲物を待つ。残された足軽が、重秀や三森清信らに押されてそのうちやってくる筈だからだ。
「武様っ。伏せていた兵が敵の前を塞ぎましたよ。横は崖、後ろは……あれは朱雀隊と、見知らぬ隊がいますね。多分、三森の兵でしょう。包囲完了です」
八雲が崖下の状況を見ながら、報告してくる。
敵の騎馬隊を始末した後、ほどなくして重秀らに追われて逃げてきた敵足軽隊に、今度は挟撃をかけたのだ。後ろから追わせて、伏兵からの横撃でさっきの騎馬隊同様に崖下に落としてもよかったのだが、俺はこちらを選んだ。
挟撃を選べば、敵が反抗した場合にこちらのダメージが大きくなるが、地形的に敵を取り逃す可能性は少ない。横撃を選べば、挟撃よりは敵からのダメージは少なくて済むと予想できるが、いくらかは取り逃す。
とは言え、『俺たち』から見ると、どちらでもあまり差はない。金崎の兵の根性では、おそらくそうなる筈だ。
しかし、『もう一つの作戦』への影響を考えると、ここは確実に取り逃しを防いでおきたかった。その作戦が『成功』していた場合に、その情報が流れる速度に差が生まれるからだ。
……と、動きは少なくとも、俺としては結構気を抜けない戦いだったのだが、横では太助と吉次がすっかり緊張を解いて雑談などしていた。
「うーん、なんかすっきりせんなあ」
「何がだよ、太助」
「俺たち、もしかして雪玉作って落としただけか?」
「何言ってんだ。楽に敵を倒せるなら、これ以上に結構な事はないじゃないか。無駄に命を賭けて死に急ぎたくねぇぞ」
こちらの世界の武士連中が聞いたら顔をまっ赤にしそうな言葉を、吉次が口にしている。
いや、まあ、俺もそれには全面的に同意するけどさ。『無駄』とはっきり言うのは可哀想だから、止めて差し上げろ。金崎家のあのお方辺りが聞いたら……血管ブチ切れるかもしれんぞ。……奴が張ってるのは、臣下の命だけどねっ。
心の中で突っ込みを入れる。
如何せん、こいつらは元々町人Aである。士道などシラネ、なのだ。
しかしながら、今では俺の臣下である訳で。つまりは、一応武士の端くれだったりする。言っている事はその通りだと思っても、俺としては多少その辺りの事も考えて欲しいと思わなくもない。一応、我が『神森家』も武家という事になっておりますので。
「まあ、そうだけどさ」
下は……やっぱり静かだな。今までと同じか。
吉次の言葉にすっきりしない返事をする太助に、下の様子を見ながら雑談は終了と合図を出す。
「お前ら馬鹿言ってないで下に降りるぞ。あの足軽たちの武装を解除しないといけないし、それにもう一仕事あるしな」
「三森清信ですか?」
気の抜けきった二人の代わりに八雲が反応した。
「ああ、あの足軽らもそうだが、その前に『三森』を受け入れないとな」
俺はぽかんとした太助、吉次の二人を置いたまま、崖下に降りる道に向かって歩き始める。八雲がスッと斜め後ろに付いた。
「あ、ちょ、待ってくれよ。おい、吉次。あちらの槍隊の人たちに降りると伝えてきてくれ。って、おい。待てって、武サマ! 八雲っ!」
そんな俺たちに向かって太助は叫びながら、慌てて後を追ってきた。護衛としては、先に行ってるよを認める訳にはいかないようだ。
ただそれでも、雪玉を落としていた部隊の事にまで気が回っているのが大変グッドである。
ちゃんとやれるようになってきたじゃないか。
己の顔が、自然と笑みを作っているのが分かった。俺は満足しながら、足を止める事なく崖下へと向かった。