第二百四十八話 故其疾如風…… でござる
兵たちが待機している場所から少し離れて、俺は銀杏の話を聞く事にした。万が一の事があるから、兵たちの前で偵察を担当している者の話は聞けない。
溶けかけた誰にも踏み荒らされていない積雪に足跡を残しながら森の奥へと向かって少し進み、そこにあった倒木に腰掛けて俺は銀杏と向き直る。
すると銀杏は、
『武様の読み通りでした。清信様は金崎惟春のやり様に激怒。どうすべきかと思案していた所だったようですね。そこに鬼灯様が武様に使わされてやってきた為、我々がどれほど頼れるかを測ろうとしているようだとおっしゃっておりました』
と、そんな言葉から報告を始めた。
そりゃそうだろうとしか言いようがない。あんな真似をされれば、このままで良いとは誰だって思わないだろう。あんな真似をされるという事は、金崎家における三森の一族の行く末は暗いとしか言いようがないのだから。
そして、もし俺たちが頼れるならば、ここで乗り換えようという判断も一勢力の長として至極もっともなものである。と言うか、この期に及んでそういう判断が出来ないようでは長の資格はない。己が率いる者たちに対して無責任が過ぎる。
……惟春は、その辺りを今ひとつ理解していないようだが。
だが、そのおかげで、俺たちにとっては調略の機会を得た訳だから有り難い話だ。文句を言ったら罰が当たるだろう。
状況は、すべてお膳立てされていた。そしてそれは、三森の里の長である三森清信にとっても、また同様だったと言える。俺たちと三森清信。双方にとって好機だったのだ。
ただ清信には、一つだけ懸念材料があった筈だ。それは、俺たちに頼れるだけの底力があるかどうかだ。
そりゃあそうだろう。一族と抱えている民の命運を賭けようというのだ。聞き及んでいる噂話だけで判断など出来る訳がない。
だから清信は、当然の話として俺たちを探ろうとした。
鬼灯は『女』であるにもかかわらず、『使者』として丁寧にもてなされたらしい。
今回鬼灯はくノ一候の格好で三森を訪れた訳ではなく、俺の使者として行っている。とは言え、元同勢力の者たちだ。清信も鬼灯の正体には、すぐに感づいたようだ。
だから女である鬼灯の話にも真剣に耳を傾け、そして彼女に俺たちが三森の里の為に何が出来るのかを問うたのだ。
俺たちがどのように三森の里を迎えようとしているのかなども細かく探ってきたというから、清信の本気の度合いも窺い知れる。
多分、単純に自分たちの扱いについて知りたかっただけでなく、俺たちがこの先どう動こうとしているかを知りたかった筈だ。しかし、今率直に尋ねてもはぐらかされるのが分かっているから、自分たちをどう扱おうとしているかを細かく聞いて、その話の中から俺たちがどう金崎を攻略しようとしているかを見極めようとしたのだ。
さすがに三森敦信の父といったところか。少なくとも惟春のような阿呆とは格が違うし、年の功とでもいうべき、細かい芸に秀でている所も見て取れる。
鬼灯も清信の考えを察したとの事だった。それ故に帰還するのを止め、清信の心がこちらへと傾くように尽力すべきだと判断したという。鬼灯も、なんとか功を立てて紅葉を庇いたいと必死なのだろう。
そして里に残る事を決めた鬼灯は、鳥を使ってこちらに連絡を入れようとしたそうだ。
しかし、丁度そのタイミングで笹島の後発の軍が動いてしまった。
そのため鬼灯は、一羽しかいない鳥を使えなくなってしまったそうだ。本当に連絡が必要な時に鳥がいなくては、俺の計画ごと水泡に帰してしまう可能性が高くなるからだ。
結果彼女は、こちらに連絡をしないまま三森の里にとどまる事になってしまった。
しかし、その状況はすぐに動く。
昨日、笹島からの後発隊を俺が破ったからだ。それを知った清信は、その場で金崎惟春との決別を決意したそうだ。ほぼ予想通りの展開になったのだ。
そして、そこに銀杏が訪れた――――。
これが、鬼灯の側のおおよその経緯だ。俺は銀杏の話を聞き、計画の修正は必要なさそうだと確信した。
「ご苦労さん。それで、鬼灯はどうするって?」
「出来れば、このまま清信様を補佐したいそうです。三森の里の若者らは朽木に出払っていますので、将兵共に大きく足りていないとか。老人らが手に槍をとって、なんとか迎撃の準備をしているようですが、それにも限界はあるようです」
「そりゃあ、そうだろうなあ。あの笹島の部隊は、もう里にはチョッカイを出しているのか?」
「先遣隊はいきなり三森の里の側で陣を張ったらしいですね。そして、清信様らがそれに戸惑いながらも守りを固めて使者を出そうと決めた頃に、使いの者がやってきたそうですよ。『大人しく武装を解き、我々を迎え入れよ』と言ってきたそうです」
「って事は、事前の連絡もなかったって事か……。しかし惟春は、ホントに何を考えているんだ? こんな真似をするなら、事前に『朽木への援軍』を迎え入れよとでも連絡しておけば、ほとんど労する事なく三森の里を人質に取れただろうに」
俺はそう呟きながらも、考えもしなかったんだろうなとすでに結論を出していた。自分のする事には従うのが当たり前だと思っている惟春が、そんな思考をする訳がないからだ。ただ単純に兵を向かわせれば、それで十分と考えていた筈である。
そして、俺とまったく同じ結論に銀杏も達したらしい。
「金崎惟春ですから」
呆れた様子すらもなく、真顔で言った。
「そんな事を考える訳ないってか」
「はい」
仮にも元主だというのに手厳しい事だ。やはり神楽の一員としては、含むところが大いにあるらしい。
だが取り敢えずは、それは置いておく。
「ん~……。って事は、笹島からの後発隊を始末した今、先遣隊は次の手を失っているな。後発隊と合流しての力押ししか考えてなかっただろうからな。かと言って、今のままでは三森の里にも次の手は打てない。戦力に乏しすぎる。やはりこの戦も、俺たちが動くところから始まるか……」
俺は腕組みをし、少し考えを巡らせる。
多分、この戦は俺が想像した通りに終わる。そして、そこから始まる。金崎の崩壊が。金崎を崩壊させる為の策が回り始めるのだ。
この三森の里の戦は、その狼煙となるのである。
俺はしばらく黙ったまま熟考していた。銀杏も、それを邪魔する事なくただ俺の顔を見つめていた。
よしっ。決めた。
俺は銀杏に命じる。
「銀杏」
「はい」
「このまま俺のお庭番衆をすべて率いて、鬼灯の元へと戻れ。十名そこそこといえど、お前たちならば、戦力不足の三森の里を大いに助ける事ができるだろう」
「畏まりました」
「そして、いいか? 俺たちの動きをよく見ていろと鬼灯に伝えてくれ。俺たちは、隊を二分して片方を敵の真東に回す。そして明日の日の出前に、そのまま奇襲をかける。鬼灯には三森の里の者たちと協力して、その奇襲に合わせて真北から攻撃を開始しろと伝えて欲しい。最悪、三森の里の協力を得られなかった場合は、『北』から火を放てとも。雪で森の木々は燃やせないだろうが、そこは偽装で構わない」
「はい」
「いずれにせよ、敵は混乱して必ず『南』に逃げる。……奴らの陣から南には、『街道』があるからな。奴らは、そこを目指す。そしてあの街道が、奴らにとっての黄泉路となる」
今回の俺の策はタイミングとスピードが勝負だ。拾える命すべてを拾っている暇はない。
ここで命を落とす者らは運が悪かったのだ。諦めてもらうしかないだろう。
俺は一度だけ、胸の中で「すまない」と詫びた。