第二百四十七話 人 でござる
「武サマ、そろそろだぜ。どうすんだ?」
太助が右前方を指さし、馬上の俺を振り向き尋ねてきた。俺は、笹島から出た敵後発隊を破った後、そのまま三森の里に向けて街道を移動した。今は三森の里手前一里ちょっとといった所だろうか。
何がどうなったのかは知らないが、先の戦い以降、急に太助ら三人は俺を名前の方で呼び始めた。
俺は基本名前で呼ばれる人だし、むしろ今まで、こいつらだけが頑なに名字で呼んでいたのを不思議に思っていたくらいだ。だから、どうこう言うつもりはない。ないんだが、慣れていないせいかなんだか変な感覚だ。まあ、そのうち慣れるだろう。
そんな事を思いながら、太助が指さしている方向を見てみる。
そこには早くも薄暗くなりかけている冬の空に向かって、夕餉を焚く煙が幾筋も伸びていた。
なるほど……、もう隠す気はございませんってか。
本来、ここに送られた兵の役目を考えると、三森が金崎を裏切るまでは、その存在は悟られない方がいいに決まっている。それが、こうも堂々と夕餉の煙を立てている。すでに金崎側の方針は決まったと見て良いだろう。
三森清信と里の民は『人質』にされるらしい。
少なくとも、惟春と金崎家の重臣たちの意思は、それで統一されたという事だ。目の前の奴らは、この任に就くにあたり、そこまで命じられていた筈だ。ここにやってきてから本国の意向を伺ったにしては、方針の転換が早すぎる。
それに……。
煙の上がる敵陣営を、再び見つめ考える。
うん。やはり、こちらはこちらで、すでに某かあった筈だ。そう見るべきだろうな。
戦局が動いている。
もし両者の接触がないならば、宣戦布告まで身を隠しているに越した事はない。俺のように戦の作法を無視しない相手との戦でも、敵に準備をする時間を与えない方が良いに決まっている。あの作法は、すでに有形無実化しているのだから。『周りからの目』だけが大事なのであり、本来の崇高な精神などすでにどこかに行ってしまっている。
だから、奴らが身を晒している以上、状況は動いているとみるのが自然だ。笹島を出た先発隊も、何もせず後発の部隊を待っていただけという訳ではないらしい。
「さて、どうしようかね」
俺は夕暮れの空へと伸びる紫煙をみつめたまま、すっ惚ける。
おそらくすでに、三森の里は戦闘状態に入っている。
話に聞いている三森清信は、病床の身とはいえ、ああも威圧されて黙っているほど温い人物だとも思えない。謹厳実直なタイプではあるが、あの三森敦信の父らしい剛胆さも持った有能な武人だと鬼灯は言っていた。
そんな人物が、黙って滅ぼされるのを大人しく待つだろうか。そんな訳はないだろう。
人望もあるようだし、残っている民と一丸となって抵抗する体勢を整えているに決まっている。
それに鬼灯だ。
銀杏の話だと、鬼灯は鳥を持っているらしい。もし拘束されるような事態になっているならば、銀杏の言う通り、その直前に鳥を放つだろう。
手紙を持っていない鳥が神楽に着く筈だ。
そうなれば、鬼灯が殺されたか捕縛されたかを意味する。だが、そういった連絡は神楽から来ていない。だから今は、まだ連絡がなくとも鬼灯は健在である可能性のほうが圧倒的に高い。
となれば、鬼灯は自分の意思で三森に残っているとみて、ほぼ間違いない。
だが鳥に手紙を持たせて飛ばしていない以上、確実に目の前の脅威――笹島からの先発隊を排除する方法を見つけられていない……。
そんな所か。
しかし、もし鬼灯があの煙の下を探っていれば、今頃はもう、俺たちが笹島の後発隊を打ち破った事を知っている筈。俺たちがすぐ側まで来ている事を察しているだろう。
……で、あれば、だ。
俺は、戦況を分析するべく思考の海に沈んでいた。そして、ふと気がつくと太助や吉次、八雲らが俺の顔をまじまじと眺めているのに気づく。銀杏も、こちらを見上げていた。
馬上の俺は、知らないうちに四人の視線を釘付けにしていたのだ。
「お、おお? なんだよ、お前ら」
「い、いや……なあ? 吉次」
「お、おう。なんか、雰囲気あったな。いつもヘラヘラの武様らしくなかった」
「お前ら、俺を一体どういう目で見てるんだ?」
あまりに酷い。お前ら、一応俺の臣下だろ! 銀杏を見ろ、しまったとばかりに慌てて視線を逸らしているぞ。お前らには、可愛げってものが足りなさすぎる。……もっとも銀杏も、こんな事くらいでそんなにオタオタしなくても良いのよ?
とりあえず俺は、馬鹿二つに対して異議を唱えようと決めるが、口を開こうとした所で横から敵方の援護射撃が入った。結果、俺は機先を制される。
「いやあ、ははは。まあ、それはそれとして、何をあんなに考えておられたのです?」
八雲だった。見事に勢いを殺される。ちょっと悔しかったが、タイミングを逸したので黙るしかなくなった。
全く……。
「ふん。まあ、いいや。そろそろ来るんじゃないかって考えていたんだよ」
「そろそろ来る?」
再び八雲が、興味津々とばかりに目を輝かせ始めた。
なんか最近の八雲は、自分の進む方向について心を決めた様に思える。一方、太助と吉次は、八雲が俺に食いついてきた時点で、二人で違う話を始めていた。こちらは、相変わらず頭を使うのが好きではないらしい。
俺は、そんな二人はとりあえず置いておいて、八雲に答えてやった。
「そう。貴重な鳥が飛ぶなら、そろそろだな……とな」
「はあ」
八雲は分かったような分からないような、曖昧な返事をした。
だが、それについては細かい説明を追加しない。そこを考えるのが、力となっていくからだ。俺の役目は、結果を見せてやる事だけだ。
「よし。俺たちもここらで待機するかな」
「こんな所で陣を張るのですか?」
八雲は驚き、聞き直してくる。
いま俺たちは街道にいる。こんな場所で待機と言われたら、そりゃあ驚くだろう。敵の目を避けてわざわざこんな道をやってきたのに、敵がやってくるという時に身も隠さずに待機するなどと言えば、そりゃあクエスチョンマークの二つ三つは頭上に踊る。
だが、それは誤解だ。
「まさか。皆には少し辛い思いをさせるが我慢してくれ。今回は陣を張らない。森の中に入って、雪で雪室をつくって風を防ぐぞ。――銀杏」
「はい」
それまで黙って話を聞いていた銀杏が、俺の呼びかけに答える。すでに、先ほどの動揺からは立ち直っているようだ。流石に忍びだけあって、感情の制御はうまい。性格の向き不向きという意味では、姉よりも妹の方に軍配が上がるようだ。
「今からすぐに三森の里に向かってくれ。おそらく鬼灯と接触できる筈だ。詳しい状況を聞いてきて欲しい」
「はい」
「よし。行け!」
「はっ!」
鬼灯は鬼灯で、俺への連絡を取るべく動いている筈だ。タイミング的に、貴重な鳥を飛ばすなら、ここしかないからな。そして内容は、三森の里の軍と連携して、あの金崎の陣を挟み撃ちにしてくれというものの筈。
だが今この状況ならば、俺から連絡を取れば、更に早く行動に移れる。
神楽経由で来る鬼灯の依頼を待っても多分大丈夫だろうが……。今の状況では早く動くに越した事はないだろう。ここで失う時間は俺たちに利する事はなく、敵に利するだけだ。
この戦……もうすでにほぼ勝ちは見えている。
だが、いつどこで何が起こるかは分からない。それが戦だ。
勝てる瞬間に全力で勝ちに行かなければならない。それが、戦に生き残る為の鉄則である。余裕かましてそっくり返るのは、勝った後で十分だ。
それに、今回のこの戦は惟春へのプレゼントの第一陣だ。こんな所で手こずる訳にはいかない。
あの馬鹿殿には、きっちりレクチャーをしてやる必要がある。
「……惟春。お前の業がお前を捌く時が近づいているぞ。俺の『連環の計』……お前らに破れるかな?」
幸い昨夜は吹雪く事もなく、割と穏やかな夜を過ごす事が出来た。
銀杏を鬼灯の元へと送り出した後、俺は兵たちに命じて森の中に少し分け入った。そこで一晩を過ごす事に決めたのだ。
冬の雪山である。本来これは、とても厳しい事の筈だった。
せめてもと、カマクラもどきの雪壁をこさえて、将兵共に冬の夜風に耐える準備を物理的にも精神的にもしていた程だ。しかし風もほぼなく、ただ氷点下の空気に耐えるだけで済んでしまった。これは本当に幸いだったと思う。ツイていたとしか言いようがないだろう。
今はまだ夜明け前で底冷えが激しいが、兵たちは毛皮の防寒着を着込んで体を休めている。多少でも体力の回復ができているようだ。
火を焚く訳にはいかなかったから、その点は本当に辛かったと思う。こんな事は、そう何日も続けられるものではないが、目の前にいる笹島の兵二百を片付けるまでの辛抱だと我慢してもらうしかない。
だが、鬼灯がいるだろう三森の里も目と鼻の先だし、おそらく今日中には片付くだろう。
こんな状況ではあるが、ここしばらくの間では一番心に余裕がある夜だったかもしれない。おかげで、こんな綺麗な星空を見上げる気にもなっている。
森の天井にぽっかりと空いた穴の向こうには、満天の星空が広がっていた。
空は真っ黒で、まだまったく白んでいない。そこにまたたく無数の星々に目を奪われ、心奪われた。昨日までは雪が散らついていたのにな。今は雲一つなくなっている。
さあて、どうするかね。
煌めく星々を眺めながら、朽木の陣に置いてきた紅葉の事が頭をよぎる。
女の一途な想いってすごいよな……。
菊や茜にも似たような所があるが、紅葉のそれも負けていない。多分、余程に三森敦信に惚れているのだろう。だが鬼灯によれば、恋仲ではない筈だという。
『紅葉はくの一ですから……』
少し寂しそうな顔で、鬼灯はその理由を簡潔に説明した。
これは多分、二つの意味があるだろう。
一つは、女の幸せとくノ一という立場は両立しないという意味。もう一つは、くノ一……つまり忍びと、三森を治める豪族の嫡男では身分が違いすぎるという意味。
俺は鬼灯の口よりその言葉を聞いた時、そんな事関係ないと言ってやりたかった。だが、言えなかった。俺の感覚では関係なくとも、こちらでは当たり前の事だと、頭では理解できたからだ。感情が鬼灯の言葉を否定したがったが、理性は納得し肯定したのである。
だから俺は、その場では黙って鬼灯の話に頷く事しかできなかった。
とは言え、どうなのだろうな……。
本当に、この世界では越えられない壁なのだろうか?
俺自身は平気で越えられる自信があるが、それは俺がこの世界で生まれ育っていないからなのか?
否。断じて否だろう。
この世界の常識的な判断は、鬼灯が説明したそれだ。それは間違いない。だが、この場合の常識というのは、大本をたどれば世間体が作ったものの筈だ。
だったら、この世界的のルールに則って、反対の常識をぶつけてやったらどうなる?
――――当たり前に強い方が勝つ。
俺は、紅葉を牢へと送った時に、この状況と戦況――そのすべてを巻き込み大連環させた策を展開すると決めた。いくつもの策を連ねて鎖と化し、その戦略の鎖で金崎家を締め上げると決めたのだ。
紅葉にも、その『環』の一つとなってもらうつもりである。彼女は、『降らせた』敦信を『落とす』為の切り札となるだろう。
あの悩んでいた紅葉の姿……。
自分には釣り合わぬと諦めつつも、それでも惚れた気持ちまでは捨て切れない。
そうとしか見えなかった。
そうでなければ、命の危険を冒してまで、どうして敦信に会いに行く? 行く訳がないじゃないか。
敦信も同様だ。
奴が非常に強い武人であるという事は疑いようがない。だが、紅葉の話では天幕の内と外だろうと『会って』きたという。
敵の忍びが入ってきたのに、会っていて大人しく帰す? ありえないな。恋心か好意かは知らないが、少なくとも敦信側にも紅葉に対して某かの感情はある筈だ。
どっちもどっちだった。俺も他人の事をとやかく言えるほど器用ではないが、それでもこいつらよりは大分マシだろう。
だが、それだけに話はある意味簡単だ。
状況を整えてやればいい。あとは、なるようになる。
夜明け前の星空を眺めながら、俺は策に綻びがないかを一つ一つ吟味していった。そして、日が昇ってしばらくした頃の事――――三森の里に使いにやっていた銀杏が、俺たちの元へと戻ってきた。