第二百四十四話 三森の里へ でござる
朽木の町の北は山岳地帯だ。千メートルから二千メートル級の山もいくつかあり、それらが連なり所々で連峰を形成している。この季節、尾根も真っ白に染まり、まさに巨大な白壁となって旅人の行く手を阻んでいる。
ただ、ところどころに、この『壁』の向こうへと続く谷道のようなものがある。山肌伝いに何度も大きく迂回しながらではあるものの、更に北へと進む事は可能なのだ。
三森の里は、この谷道の一つの先にある。
山間にあり、四方をぎっちりと山に囲まれている。人が暮らすには少々過酷な環境だ。しかし、山の幸には恵まれ、綺麗な水や肥えた土にも困る事はない。もっとも、水源の位置との関連や土地の形状から、耕作可能な土地は決して多くはないと聞いている。おそらくは、現状の土木技術では、という事だろう。
そんな場所ではあるが、三森の里の者たちはその土地をとても愛しているらしい。その土地で生まれ、子を育て、死んでいく事に不満を抱いてはいないようだ。三森の武士たちが、自分たちを『三森武士』と呼び誇っているところにも、その思いがよく出ていると言えるだろう。
しかし、この山里に何がある訳でもないので、南北に延びる街道の脇にある単なる山里の一つというのが、一般的な認識である。朽木から山々の北へ、もしくは北から朽木へと入るには、通常この三森の里がある街道が使われるからだ。街道の他にも山を越えられる道がない訳ではないが、それらは極めて細く悪路だという事もあり、行き交う人々も少ない。結果、安全上の問題がある為に旅人たちは避けがちなのだ。
そして俺たちは、この三森に向かう街道から枝道に入り、細く歩きにくい道を使って北上していた。数刻前から街道を離れて、北東に向けて黙々と進んでいる。
街道を逸れるとこうなるとは聞いていたのだが、本当にひどい道だった。細い上に道も暗く、これでは旅人たちも避ける筈である。こんな所を少人数で歩いていたら、それこそ襲って下さいと言っているようなものだ。
だが俺は、このルートを選んだ。
獣道に毛が生えたような道で、人が少ないのも好都合だった。こっそりと移動できる。それに何よりも、この道が繋がっている場所が良い。ちょうど三森を抜けて笹島へと向かう街道の中間あたりへと繋がっているのだ。街道から分れた道が、再び街道へと繋がっているのである。
そう。三森を襲うべくやってきている笹島の兵の、ちょうど真後ろに出る事になるのだ。
「ぶえっきしっ。うぅ、さぶっ。それにしても、すごい道だな」
「神森サマ……緊張感なさすぎだろ」
太助が俺の馬の轡を引きながら、呆れたような……否、明確に呆れた視線をこちらに寄越した。
「うるさい黙れ。寒いものは寒いのだ」
「そりゃあ、馬上のあんたはそうだろうけどさ。こんな雪深い中移動するなんて、歩いているこっちは、それどころじゃないよ。おまけに、またこんな白い着物着せてさ。……笹島から三森に移動してくる敵部隊をぶっ叩こうなんて、何考えてんだよ。俺らがこっちに来てしまったら、源太さん大変じゃないか」
街道上でも膝丈よりはるかに高い積雪に苦労しながら歩いている太助は、はあはあと荒い息を吐き、あまつさえ汗など流している。確かに、馬上の人である俺が寒いなどとほざけば、ふざけんなと言いたくなるのも分かる。
朱雀隊は基本的に騎馬の部隊だが、俺の警護である太助らや何人かの護衛たちは迅速な対応が出来るように、こういった通常速度の移動の時は共の者や陣夫たち同様に徒歩だったりする。彼らの馬は、後ろで陣夫らに引かれているのだ。
「まあなあ。だから、なんとか今回の作戦を成功させてだな。その功労に報いてやらねばならんのよ。俺だって、忘れちゃいないよ」
北門の戦をすべて源太に任せてきた。これは、もし三森敦信が先の戦のように北門に現れたら、その相手をしなくてはならないという事を意味する。
信吾やじいさんも、奴とはガチで戦っているが、揃って『本物』だと言った相手だ。そして、実際俺たちを相手にあれだけ戦えている。二人の評価は妥当なものだった。
そんな敵の相手を、源太にぶん投げてきたのだ。いくら北側の半分だけといっても、決して楽な仕事ではない。
そして、それが分かっているから、俺とて見た目ほどに心の余裕がある訳ではない。『ぶって』いるだけだ。これでも努力しているのである。
まあ、伝七郎と連絡を取ったおり、こちらの事は任せてくれと返事がきたので、どう転ぼうとも最悪の事態にはならないとは思っているが。
紅葉の件を受けて、俺が新たな作戦を記した書状を伝七郎に出そうと準備している最中に、奴から書状が送られてきた。
それは――三森の里を攻めて三森敦信を引きずり出してはどうかなどという、奴にしては荒っぽい提案だった。もうすでに、敦信に何度か煮え湯を飲まされた伝七郎は、それだけ三森敦信の力を認め警戒していたのだ。
伝七郎の提案は一つの方法には違いなかった。正直、俺もちらっと考えた事だ。だが俺は、それに対して待ったをかけた。そして、今決行しているこの作戦を代案として、伝七郎に送ったのである。
もし、神楽の手による的確な状況把握ができていなければ、俺も伝七郎に賛成したと思う。だが、神楽が仕入れてきてくれた情報が、それ以外の道を俺に教えてくれた。だから、なんとかこちらの方法で話を進めたかったのだ。作戦が成功した時に得られるものが違いすぎる。
そして、伝七郎は了承してくれた。その返事を受けて、今に至っているのである。
「ホントかよ」
のんびりと答える俺の様子に、太助は疑わしげな視線を向けてきたが、すっとぼけて俺は無視をした。そして、いつもは鬼灯の定位置を歩く少女へと目を移す。
「銀杏」
馬を挟んで丁度反対側――俺の脇を歩く銀杏が俺の呼びかけに答えて、馬上の俺を見上げてくる。
「はい」
普段は枯れ茶色の忍び装束を纏っているが、今日は彼女も真っ白な忍び装束だ。雪景色に同化するなら、やはり白に限る。覆面に隠した口元をくいっと下げて、俺の顔をまっすぐに見つめてくる。
本来は可愛らしい顔も、今はやや陰りがある。顔半分を隠していても目に悲壮感が滲んでおり、見る者に痛々しさを感じさせる。姉が牢に入れられたとあっては、そりゃあ元気に笑ってなどいられないだろう。まして、自分がもたらした情報が元で、そんな事になってしまったのだから。
銀杏も必死なのだ。なんとか俺の勘気を解こうと。
実際には、俺は怒っていない。だが、怒っている事になっている。だから俺は、そんな銀杏の様子に気づかぬフリを通さなくてはならなかった。
「継直領から戻ってきた時に聞いた話は、『三森敦信』が妙な動きをすれば、即座に兵力がいない三森の里を攻める――であってるよな?」
「はい。金崎家家老・鏡島典親の手の者がきているようです。何人かの兵たちが、酒場で酒を飲みながら三森敦信を笑って酒の肴にしているのも聞きました。妙な動きをするか、不甲斐ない戦いをすれば……だと思いますが、いずれにせよ、笹島の兵は我々を後背から襲う為のものではなく、味方を脅す為のもののようです。……おそらく今頃は、すでに三森敦信にも伝えられているのではないかと」
「俺たち相手に苦戦しているし、その戦い方も見栄えの悪いものだから?」
「はい」
銀杏は、その幼い顔からは想像もつかないような言葉を紡ぐ。鬼灯が、「あの娘の才能は本当にすごい」と言っていたが、何となく分かる気がした。
「まあ、それでなくとも、今の三森敦信を認める器量は金崎惟春……いや、金崎家にはない。かと言って、三森敦信もあの戦い方をしてぎりぎり俺たちを凌いでいる訳だから、止める事も出来ない」
「はい」
「となれば、思う通りにならずに癇癪をおこした惟春が、軽挙妄動に走るのは時間の問題か……」
「そう思います」
いっぱしのくノ一の顔をして、銀杏は肯定する。
「手間かけさせやがって。でも、おかげでつけいる隙があるのだから文句を言ったら罰が当たるかな?」
そんな話をしながら、雪の積もった山道を俺たちは進んでいった。あと少しで、三森と笹島を繋ぐ街道に出る筈だ。呑気な雑談を楽しめるのは、おそらくそこまでになるだろう。
俺は、それまで丸めていた背筋をぐっと伸ばして、薄暗い道の先をぐっと見据えた。