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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第五章
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幕 敦信(二) 揺らぐ心

 気をつけろ――そう警告してきた紅葉の声音は、ひどく真剣なものだった。


 ごくり。


 自然と喉が鳴る。聞きたい。でも、聞きたくない。そんな感覚が湧き起こった。予感めいたものが耳を塞ごうとする。


 だが、今の紅葉の言葉。決して、無視できるものではなかった。単なる戯れ言であれば何も問題はない。だが、そうでなかったなら、どうなる。


 聞かねばならない。


 俺は小さく息を吸って吐き、騒ぐ胸を一度落ち着けてから、


「……それは、どういう意味だ?」


 そう簡潔に尋ねた。


 紅葉とて、危険を冒してここにやってきているのだ。俺に利するかどうかは別として、その言葉には必ず意味がある筈なのだ。


 布一枚向こうの紅葉は、今どんな顔をしているのだろう。


 今の俺には、こいつの声を聞く事は出来ても、その顔を見る事はできない。だから、その声音から心を察するしかない、のだが……。


「三森の里は、金崎惟春に襲われます」


「なっ!?」


 その紅葉の返答は、ずいぶんと淡々としたものだった。……内容は衝撃的なものだったが。


 一瞬絶句してしまった。だが、いつまでも惚けている訳にもいかない。


「馬鹿を申せ。なぜお館様が三森の里を襲う必要がある。やはり、神森武に俺の心を乱すよう言われてきたのかっ」


「……武様の命で参った訳ではないと申し上げた筈です」


「では、何故――――」


 最後まで言えなかった。紅葉が遮ってきたからだ。


「私の妹が、笹島に集まっている金崎の兵の目的を掴んできました」


 笹島に? なぜ、そんな所に兵が集まっている?


 そんな話は聞かされていなかった。


「…………」


「惟春は、貴方様を恐れています。貴方様ご自身の才能と、貴方様への民からの人望を、あの男は恐れているのです。あの男にとって、これだけでも貴方様を排除する理由としては十分でしょう。まして貴方様は、結果としてあの男に逆らいました。先の税の件の時に、貴方様の処遇はあの男の中で決定されたのです」


「税の件とはどういう事だ? お前は報告しないと言っていたではないか。俺を謀ったのか? あの言葉は嘘で、実は報告していたというのか?」


「いいえ。しかし……あの男の虚栄心、自尊心を侮ってはなりません。貴方様は、明らかにあの男よりも優れています。あの男にとって、それだけで貴方様は許されざる存在なのです。まして今回の場合は、本当に誤魔化していた……貴方様は、あの男に逆らった。あの男も、ある程度は調べ上げている筈です。おそらくは、私の他にも調べていた者がいるのでしょう。そして、証拠まではたどり着けなかったのでしょうが、ほぼ貴方様の不正――自分への反抗を確信するに至った……。あの男は、自分に逆らった者を許さない。まして、ただでさえ疎ましく思っている者が逆らったのです。これ幸いと動くに決まっているでしょう。あの男の行動に、何も不思議なところなどありません」


 お館様を愚弄するような事を言うな。


 そう言いたかった。お前の元・主でもあろうと。


 だが、俺には紅葉の言葉を否定できなかった。能力の優劣は置いておくとしても、あの方が俺へと向ける暗い思いは、俺も感じてはいたから。


「……その言葉が嘘ではないと、どうやって証明をする」


「証明などいたしません。私は、私に出来る事がしたかっただけです。私のこの話、お信じになるもならぬも貴方様のお好きにしていただいて結構です。ただ、もし動かれるならば早めの方がいいでしょう」


 布一枚向こうの紅葉には、身じろぎ一つする気配もない。ただ淡々と、本当に淡々と俺に語りかけてくるだけだった。


 この話……おそらくは真実なのだろう。


 なんの確証もない。だが、俺に語りかけてくる紅葉の声音が、かつて俺を、三森の里を庇ってくれた時のものと重なって仕方がなかった。


 だから、問う。


「どういう事だ?」


 我ながら筋の通らぬ話だった。口は紅葉を疑っている癖に、心は紅葉を変わらず信用していた。


「……私たち神楽が惟春を見切りました。田島の兵も大半が降っております。この状況に、惟春は激怒しています。彼の者に自らの器を疑う器量はございませぬ。故に、裏切る者に原因のすべてがあると考えております」


「…………」


「今、貴方様は佐々木様、武様を相手に健闘しておりますが、惟春の目にはそうは映っていないでしょう。『下等な者』を相手に苦戦をしている……ふりをしているのではないのか。自分を謀る機を見ているのではないのか。そう疑っています」


 確かに、お館さまはあの者らを認めてはいないが……。


「それは、単なるお主の見立てだろう」


「そうですね。ですがそれならば、惟春がいま笹島に兵を集めている訳を、貴方様はどう考えますか? 笹島から三森の里方面に、物見の兵も出ているそうですよ」


「むぅ……」


「貴方様がこれ以上武様らに押されたり、或いはこちらに通ずるような動きを見せたりすれば、笹島の兵は動き始めるでしょう。あの兵は、その為のものと見るのが一番妥当だと思いますが」


「……だから、気をつけろ……か」


「はい」


 紅葉は、相も変わらず淡々と言葉を返してくる。一方の俺は、情けない事に内心狼狽えていた。なんとか口調を取り繕うだけで精一杯だった。


 正直、お館様ならばやりかねなかったからだ。


 三森は、金崎家では軽んじられている。そして、俺個人に至っては、お館様に憎まれている節さえある。


 ただ……それでも金崎家と我が三森とは主従なのだ。武士の本分として、尽くさねばならない。


 だが、もしお館様が三森家のお取り潰しをお考えならば、これは大人しく従う訳にもいかない。


 そんな事になったならば御先祖様に申し訳がないし、なにより、我が家に仕えてくれている者たちや、下手をすれば兵として支えてくれている里の者たちにまで影響が及びかねない。


 事は三森家だけの話で済まず、里も一緒に潰されてしまう事も大いにあり得るだろう。


 ただ……紅葉はくノ一だ。これが神森武の揺さぶりだったならば、ここで俺がお館様に掌を返せば、彼奴の思惑通りとなってしまう……。


 色々な、本当に色々な物が脳裏を駆け巡る。その度に心の礎石が削られていくような気がしてならない。


 俺は、武士としての誇りをかき集めて、最後の抵抗をする。


「……ならば、尚の事、俺はお前たちとは全力で戦わないとなるまいな。忠告感謝する」


 正直、強がりも良いところだった。我ながら、情けなくて仕方がない。もし、この心が揺らいでいなければ、もっと他に気の利いた返しが出来ただろうに。


 紅葉とて、それが分かった筈だ。それでも今の俺には、こう返すだけで精一杯だった。


 俺の言葉を聞いた紅葉は、またもしばらく沈黙した。そして、


『そうして下さい』


 と一言を告げてその場を離れた。気配が消えたのだ。




 ふぅ――――。


 思わず溜息が漏れた。この寒さの中、手の平に汗を掻いている。冷静であろうと己を律していたが、想像以上に俺は揺らいでいたらしい。


 あいつがやってきた本当の目的は分からない。神森武の謀かもしれない。……だが、おそらくはあいつのあの言葉は真実なのだろう。


 あいつを信じたい――そんな思いが俺の中にある事も事実だ。だが、それ以上に、妙に腑に落ちるものがあった。


 紅葉の言葉通りだとすると、朝矩様のあの言葉の意味が理解できる。



『ふん。お前ごときは余計な事を考えず、真面目に己の役目を果たせば、それでいいのだ。分を弁え、お館様の御為に働け。そうすれば、何も起こらぬ』


『お主が不甲斐ないと、病床の清信に頑張ってもらわないとならぬのう』



 朝矩様は、そうおっしゃっておられた。


 俺が役目を果たせば何も起きない――――。


 紅葉の言葉通りならば、この言葉の意味も通る。そして、朝矩様の言葉を実行する為には、確かに兵も必要だろう。


 やはり、事実か……。


 冷静になって考えれば考えるほど、紅葉の言葉は真実味を帯びる。口惜しくて仕方がなかった。


 しばらくして気がつくと、周りはすっかり暗くなっていた。


「誰か、明かりを持ってきてくれ」


 天幕の入り口まで移動して、近くにいるだろう兵に頼む。兵はすぐに、油皿をもって来てくれた。


「お待たせしました」


「すまぬな。有り難う」


「いえ、この程度……!?」


 油皿を持って駆けてきた兵が、皿を受け取るべく伸ばした俺の手を見て息を呑んだ。


「どうした?」


 そう尋ねたが、答えを聞くまでもなかった。兵の目線の先を追ってみれば、爪で傷つきまっ赤な血で染まった俺の掌があった。

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