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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第五章
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幕 敦信(二) 敦信と紅葉




 佐々木伝七郎は、結局一度南門の軍勢すべてを引いた。北門の神森武も引いたから、それがいつまで続くかは別の話だが、敵勢は一度すべて引いた格好になる。


 俺は佐々木伝七郎が軍を引いたのを見届けると、利宗にも仮眠をとるよう指示をした。そして、自分自身も己の天幕へと戻る。


 南門は、朝矩様に新たに出していただいて将が担当する事となっている。俺の下につくという形で出して下さらなかった以上、現有する兵力の大半は彼の指揮下となるので、佐々木伝七郎の本隊を担当してもらうしかなかったのだ。


 北門の神森武に対するのは、利宗の実弟である利歳(としとし)が利宗と入れ替わりで指揮を執る事になっている。


 だが、やりにくいだろうな。俺が不甲斐ないばかりに、申し訳ない話だ。


 お前などに大事な兵の指揮は任せられんと、増えた兵の指揮権は与えられなかったが、二百ほどの兵は与えられた。


 だがこれは、俺の指揮下にあるといっても、どこまで命に従ってくれるのか疑問が残る。俺たちが妙な動きをしないか見る為だけの兵である事は疑いようがないからだ。


 同影とその配下にも、いざという事態に備えて少しでも疲れを取るように指示したので、そんな兵と共に北門を守り切ってもらわねばならないのだ。さすがに頭を下げずにはいられない。


 だが実のところ、南門の方がまずいだろう。


 数こそ北門よりも充実しているが、果たしてあの者らに佐々木伝七郎と犬上信吾の相手が務まるだろうか……。


 考え始めると、頭がズンと重くなる。だから、考えてはいけないのだ。


 北門に移ってもらったところで、相手が神森武と鳥居源太に変わるだけだ。それに、敵の数こそ減るが別の問題も出てくる。俺率いる寡兵が敵本隊を相手にして数の多い朝矩様の手勢が敵の分隊の相手となれば、朝矩様を軽んじたと判断されるだろう。


 これもまずい。だから、腹を括るしかない。


 そんな事を考えていたせいで、ひどく気疲れをしてしまった。自分の天幕の前までやってくると、どっと疲れを感じた。


 戦をしながら、戦以外の事に気を遣わねばならない。これは、決して楽ではない。


 その上、あの神森武によって休む間もなく攻撃に晒されたのだ。


 だから、この疲労感は当然と言えば当然かもしれない。天幕の中へと入って仮の寝床に転がり瞼を閉じてみれば、体も心も暗闇に吸い込まれそうになった。真っ黒な大穴の中を落ちるような幻覚を感じる。


 ああ、こりゃ不味いな。俺自身の限界も、そう遠くない。


 それを認めない訳にはいかなかった。さもなければ、俺たちは確実に負けるだろう。


 いままでにも厳しい戦は何度もしてきた。しかし、神森武が仕掛けてくる戦の厳しさはそのどれとも違った。彼の者は、無言で背中に刃を突き立ててくる。微塵の遠慮もない。


 俺がそうであるように、おそらく彼の者も藤ヶ崎を生かす為に必死なのだ。そして、その為に手段を選ばない強さも持ち合わせている。


 ああいう敵は、本当に怖い。


 ふっ。身も心もすでにボロボロだな。


 ただ、それでも。俺は負ける訳にはいかない。だから、なんとかするしかない。


 だが俺たちは、この戦において完全に後手に回っている。どうする。あの神森武や佐々木伝七郎を敵に回して、これは致命的すぎる……。




 あれこれ考えるも、そう簡単に妙案など浮かばない。そんなに簡単に浮かぶものなら、すでに思いついている。こんなに追い込まれてなどいないだろう。


 自分の天幕へと戻って、そろそろ二刻になろうとしていた。


 体は疲れ切っているが、頭が勝手にあれこれ考えて結局仮眠もとれなかった。そろそろ夕暮れ前だ。


 眠れはしなかったが、数日ぶりの休息だった。このところ、神森武により徹底的に休息を奪われて、特に兵たちが参っていた。だから、この静かな時間が何よりも尊く感じた。


 だが、素直に喜んでばかりもいられない。


 何故……と思わずにはいられないからだ。


 あれだけ徹底的に俺たちの体力を摩耗させる事を選択したくせに、何故この最後の仕上げと言える段階で手を抜いたのか。朝方、確かに俺たちはあの者たちを退けた。だが、それならそこから更に俺たちを締め上げればよかった筈だ。


 にも関わらず、神森武らは朝に攻めてきて以降まったく動きを見せていない。もし攻めてきたら、すぐに連絡するように利歳には伝えてあるが、結局連絡は来なかった。


 それが解せない。


 敷物の上で寝転がりながら、天幕の天上を見上げて考える。


 すると、寝転がった俺の頭の上――天幕の奥の壁の向こうで、突然人の気配が『生まれた』。


「!?」


 人の気配が近づいてきたのなら分かる。だが、突然気配が生まれたのだ。これはつまり、気配を殺した何者かが近づいてきて、某かの理由で気配を殺すのを止めた事を意味する。


 俺は体を跳ね起こし、側に置いてあった刀を腰だめに構えて鯉口を切る。そして、その気配が生まれた天幕の壁――布の向こう側に声を掛けた。


「何者だ」


「…………」


 返事がない。


 だが、妙な事に殺気もない。今この状況で、俺の命を狙う以外にこんな近づき方をする理由があろうか。訳が分からない。


 再度、問うた。


「そこにいるのは分かっている。答えよ。何者だ?」


 するとしばらくして、今度は返事があった。鈴を転がすような、若い女の声だった。


「……お久しゅうございます、敦信様」


 聞き覚えのある声だった。だが、驚きを隠せない。その者は、今ここにいても、決して俺の元にはやってこられない者の声だったから。


「紅葉……か?」


「はい。神楽の里の紅葉にございます」


 俺は、しばし言葉を失った。




「久しいな。出来れば、このような形で会いたくはなかったが……息災だったか?」


「はい……」


 小さな声が布一枚向こうから返ってくる。むろん堂々と正式に会いに来た訳ではないのだから、そうである事になんの不思議もない。


 それにしても、日が落ちてきたとはいえ、よくここまで入り込めたものだ。


 素直に感心してしまった。


 初めて紅葉と出会った時もそうだった。あの時も、三森の屋敷の奥で突然俺の目の前に姿を現したのだ。そして、問うてきたのである。何故そうまでして民を守ろうとするのか、と。


「……神森武あたりに命じられてきたのか?」


 あの男ならば、俺や三森の里についてを紅葉や神楽の者たちから聞けば、神楽を抱き込んだように交渉を持ちかけてくる事もありうる。


 そう思ったから、尋ねてみた。しかし……。


「いえ、今日参りましたのは私の独断です。武様のご指示ではありません」


「そうか」


「はい」


 てっきり神森武の差し金かと思ったら、違うという。となると、紅葉がここまでやってきた理由が、まったく検討つかない。


「では、どうしてこのような危険な真似をした? 敵将に内通するなど決して許されぬ事だぞ?」


 ここまでやってくるのも命がけになるし、敵将との内通を疑われたら味方にも命を狙われかねない。


 そう尋ねたら、紅葉はしばらく沈黙した。しかしその後、微かな……本当に微かな怒気を含んだ声音で俺の問いに答えた。


「……民の為に税を誤魔化していた貴方様が、それをおっしゃいますか?」


「う……」


 手厳しい一言だった。確かにそれを言われると、俺に返す言葉はない。一応俺は、そうせねばならなかったからしたのだが、どちらも背信行為である事には変わりない。


「まあ、その、なんだ。それはそれとして、だ。いくらなんでも、ただ声を聞きにやってきたという訳ではなかろう。今の俺とお前は敵同士だ。旧知であろうと、顔を付き合わせれば刃を交えなくてはならぬ間柄の筈だ」


「…………」


「何を考えているのだ? いや、何をしに来たのだ? 疾くと去れ。俺と話す事は、今のお前の為にはならない」


「…………」


 紅葉はそれでも動く気配がない。無言のまま、天幕の外に佇んでいるようだった。


 しかし、再びの沈黙の後に紅葉は小さく笑った。


「ふふふ……貴方様は相変わらずなのですね。いつも他人の事ばかり」


「いや、今回はそうでもないだろう。確かに俺とお前は他人かもしれないが、妙な縁が繋いだ間柄でもある。俺がお前を心配して何が悪い」


「では、私が貴方様を心配しても何も悪くはないでしょう」


 ぐっ……。


「お、俺は男で、お前は女だ」


「……殿方の心配をするのは、古来より女子(おなご)の役目ですが」


「むう……。ああ、もう分かった。俺の負けだ。で、一体お前は何をしに来たのだ? 今度はきちんと答えてくれ」


 俺は切った鯉口を戻し、その場にどかりと胡座を掻いた。


 とりあえず、俺を殺しに来た訳ではなさそうだ。もし紅葉がその気ならば、もっと確実な手で殺しに来る。それが出来る女なのだから。だが紅葉は、そうはしなかった。わざわざ、こんな危険な真似をしている。


 絶対に何か理由がある筈だった。


 そして、やはりというか、それなりの理由はあったらしい。


「……お気をつけ下さい。貴方様が戦わねばならない相手は、佐々木様や武様だけではございません」


 先ほどまでとは打って変わった冷たい声音で、紅葉はそう伝えてきた。

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