幕 敦信(二) 噛み合わぬ人と人
同影の配下たちは厩へと向かう。本来の北門を潜り、少し中に入ったところに同影らの為に用意した厩があるのだ。
同影は配下の者たちに先に行っているように命じると、自身は仮門潜ってすぐの辺りで下馬をした。うまく動かなくなっているという左足を引きずるようにして、こちらへと近づいてくる。
そんな同影に、こちらから改めて声を掛ける。
「すまなかったな、同影。ご苦労だった」
「……はっ。しかしこれは、三森様ほどの勇将にあるまじき事にございますな」
その顔は頭巾で隠されているので表情は分からぬが、低く押し殺したような声と鋭く光る目が、奴の心中を語っていた。
だが、それには気づかぬフリを決め込む。
「ん?」
「田島で兵を奪われ、神楽に寝返られでは、お気持ちも分かりますが、将が浮き足だっていては勝てる戦も勝てませぬぞ」
同影は、言葉濁さずにはっきりとそう言った。猿芝居は見抜かれているらしい。
それにしても、この男は本当に何者なのだろうか。単なる無頼の類いとも思えぬ。一応、惟春様のご命令という事で受け入れはしたのだが、見た目に反して、金崎家のどの将よりも有能に見える。そんな者がどうしてこのような、と思わずにはいられない。
もっとも、それについては尋ねても答えてくれないが。惟春様はもちろんご存じですが、私自身は捨てた過去ですので――との一点張りである。
それはそれとして、こやつ正体がなんであれ、あらぬ嫌疑をかけた以上、こちらが詫びるのが道理だろう。
「……そうだな。重ね重ねすまぬ」
軽く頭を下げる。そんな俺に、同影は言葉を足した。
「いえ。分かっていただければ、それで構いませぬ。他の方々であれば、このような事は申しませぬ。言っても入らぬ不興を買うだけでしょうし、何より期待ができませぬ。しかし、貴方様は本当にお強い。私もこの機を逃したくはないのです」
「この機?」
「個人的に、藤ヶ崎の奴らには少々の借りがございましてな。その借りを返す機会を窺っておりもうした。此度の戦でこの朽木の町を守り奴らを討てば、私の借りを返す事にも、惟春様に拾っていただいたご恩を返す事にもなり申す。これを機と言わずして、何を機と申しましょうや」
同影は覆面で覆われた口元を揺らした。うっすらと笑っているらしい。だがその目は、仄暗い光りを宿したままだ。『少々』などと言っているが、どうやら相当な恨みがあるようだ。
この目の光りには好感は持てぬが……。
逆に安心も出来た。この分では、本当に寝返られる心配はなさそうだった。
どう見ても、忠誠心を疑われた事に侮辱されたと憤っているようには見えなかった。『この』自分が、『あの』神森武に寝返ったと思われた事に腹を立てているように見える。
とは言え、俺にとって、この状況で寝返る心配のない使える配下は貴重である。こと今回に関しては、この胡散臭い男を信じる方が得策だ。
俺は算盤を弾き、そう結論する。
「……なるほど。完全に俺の心得違いだったようだ。改めて詫びる。許せ」
俺はもう一度、詫びの言葉を口にする事にした。
「いえ。先ほども申し上げました通り、分かっていただければ十分にございます」
「そうか」
「はっ」
ずいぶんと殊勝な口ぶりだった。
ここにやってきた時から、ずっとこうではある。見た目との差に調子が狂う。だが、決して油断は出来ない。この者の目は、口ほどに大人しそうには見えない。どうみても演じている。
だが、それを口にするのは、あまりにも間抜けすぎるだろう。
俺が油断しなければそれでいいのだから、ここは騙されておくにかぎる。この者の内心がどうあれ、この者は『使える』のだから。
「ん。それで、お主はなぜ北からやってきた。鳥居源太はどうなったのだ?」
「はっ。それに関しては、今度は私の方が三森様にお詫びをせねばなりませぬ。実は――――」
同影は、俺たちと神森武の先鋒を叩いた後の事を掻い摘まんで説明した。
――――送ってきた伝令の言葉通りに、同影は鳥居源太の青龍隊を追っていった。そして、生き残った者たちを連れて逃げていた青龍隊を御神川の川岸まで追い詰めて、後一歩というところまでいった。
しかし、そこに神森武が後ろから突っ込んできた。
敵の逃げ道を閉ざして一方的な攻撃に晒していた自軍は、出ていた霧のせいで神森武の接近に気づくのに遅れ、そのまま挟まれて一気に形勢の逆転を許してしまった。
幸い騎馬の部隊である自分たちは逃げられたが、徒歩である槍隊は助ける間もなく敵に呑まれる事になった。そして、その時に逃げられた方角が北である為、一度街道に出てそこを全速で降って戻ってきた――――
と、要約するとこんな所か。眉間に皺が寄るのを感じる。
同影は二組の百人組とともに青龍隊を追った。要するに、俺たちはこの追撃で二百の兵をまたもや失ってしまったという事になる。これは、折角敵の百人組二つを霧の中討ち果たしたのに痛み分けになってしまった事を意味する。
いや、総数が彼我では差があるのだ。痛み分けにすらなっていない。完全に、こちらだけが痛い。
だが、それを同影に言っても仕方がないだろう。この者は追撃隊の大将だった訳ではないのだから。
怒りと絶望の向け先もなく、俺はただ、次の一手を考えねばならなかった。今の俺には、無念に沈んでいる時間すらも残っていないのだ。
同影から話を聞いてしばらくすると、俺の元に報せが届いた。
神森武は一度引いたらしい。
同影を追い払い、奴の部隊に同道していた足軽隊を押しつぶした後、こちらに向かう事なく朽木の北に作られている北の陣へと下がったとの事だった。
それからしばらくして、南門を攻めていた犬上信吾の部隊も下がったと連絡があった。流石に神森武や佐々木伝七郎が率いている軍だけあって、こちらの弱点は見抜かれている。だから、北門の攻略部隊が下がったのに合わせて南門の攻略部隊も下がったのだ。あくまでも、こちらの『少ない』兵力を更に分割し、より楽に犠牲少なく朽木を奪取しようという腹なのだろう。
無理をすれば南にいる兵だけでも俺たちを打ち破れるだろうに、それをしようとしないのは、おそらくそういう事に違いない。
一見すると馬鹿にされたような話だ。だが、そうではないだろう。
あの者たちがそんな生温い敵だったならば、むしろ喜ばしいくらいだ。だが、とてもそんな事は期待できない。
奴らの目はここ朽木を見ていない――そう結論づけるのが妥当だろう。だから、ここで無理をする事なく下がった。そう理解するべきだ。
だがそうなると、いよいよ負ける訳にはいかない。
ここを抜かれたら、すぐに三森の里も戦火に呑まれる事になる。そうなれば惟春様は、里の老人や子供たちも兵として引きずり出すだろう。
それは、なんとしても避けなくてはならない。
しばらくの間は北門・南門ともに敵の再来襲を警戒させていたが、その日の昼前には一度戦闘状態を解く事にした。気を張り詰めたままにさせては、いざという時に兵が動けなくなってしまうのでやむを得なかった。
戦闘状態から通常の警戒状態に戻す様に指示をして、俺は一度北門を後にする事にした。今朝の戦の結果を、朝矩様にご報告しなければならない。
失った兵も補填していただかないと戦えない。まず間違いなく叱責を受ける事になるだろうが、甘んじて受け入れるしかないだろう。
理不尽な叱責自体は別に気にしない。もういい加減慣れた。しかし、同時にぶつけられるだろう無茶な命令の事を思うと、慣れたなどとは言っていられない。気が滅入ってくる。
神森武……。佐々木伝七郎……。
あの二人を相手に、真っ当に戦ったらまず勝てない。それでなくとも、戦力的にこちらが不利なのだ。
だが、朝矩様はそれを理解しては下さらないだろう。そんな事を俺が口にしても、立場を弁えておらぬ上に不心得だと更に頑なになるだけだ。より状況の悪化を招く事になる。
そんな結果が目に見えている。
さて、どうすべきか……。
俺は馬上で無表情を装いながら、朽木の館へと向かう。
普段は賑わっている町も、藤ヶ崎の連中が押し寄せてきてからはずっと静まりかえっている。しかし、長屋の前を、店の前を通る度に、次々と視線が降り注ぐのを感じる。
それらの視線は、何故こんな所で戦っているのかと、俺を責めていた。