第二百四十一話 痛み分けの前哨戦 でござる
霧の中を警戒しながら行軍していると、しばらくして霧が晴れ始めてしまった。ツイていない時ってのは、こんな物なのだろう。思わず舌が鳴るが、自然の話であり、こればかりはどうにもならない。
これで、源太らを襲っている奴に後ろからいきなり殴りかかれなくなった。
代わりに行軍の足が早くなったじゃないか――と、ポジティブにとらえるしかなかったのだ。
だが、そんな事を考えながら現場に着いてみると、俺たちの前にあったのは、文字通りの背水の陣を敷いて疲弊しきった味方の姿だった。
戦は生き物などというが、何が幸運に繋がり、何が不運に繋がるかは本当に分からないものである。それを、改めて思い知らされた。
ツイていないなんて、とんでもなかったのだ。不意打ちできる環境などより、少しでも早く到着できた事を喜ばねばならない状況だったのである。
三輪・榊の部隊は完全に崩壊しているようで、残っているのは半分以下。戦える状態の者は、更にその半分以下のように見えた。
青龍隊は、それらの盾となって戦わざるをえなくなっている。
完全に押されていたのだ。
生き残った三輪・榊の負傷兵らを見捨てていれば、源太もここまでの苦戦をしていなかっただろう。
非情に徹して目先の一勝を求めれば、その選択もありだ。だが、源太はその選択をしていなかった。
戦えぬ三輪・榊の生き残りたちの盾となる道を選んだ。
俺の援軍を信じていたのだと思う。だが、下馬して己らが動けぬ所に敵に機動力を駆使されては、いくら青龍隊の者たちでも分が悪かった。
幸い御神川を背負っているので後ろからの強襲はない状況だが、文字通りの背水の陣となっていた。
これは、決して楽な状況ではない。確かに背後からの攻撃はなくなるのだが、敵の攻撃を反らす事も躱す事もできなくなり、真っ向から受けて耐えきらねばならないからだ。
だが、三輪・榊の兵たちを見捨てないという選択をした以上、源太にはこれしか選択肢かはなかった。だから源太は、こうして敵の攻撃に耐えながら、俺の到着を待っていたのだ。
そんな源太の姿を見て、友として誇らしくもあり、将として文句を言いたくもあり、という複雑な感情が湧き起こる。水島家の軍師としては、あいつほどの将の命を、そう簡単に賭けてもらっては困るのである。
……まあ、これに関して俺は文句を言えないが。
言ったところで、「武様にだけは言われたくありません」とか澄まし顔で返されるに決まっている。
それはそれとて、この状況をどうしてくれようか。
考える。
源太も、俺を信頼していてこその、この戦法なのだ。期待に応えない訳にはいかない。
敵の槍隊は、源太らに正面から襲いかかっている。そこに、おそらく道永と思われる野盗もどきの騎馬隊が、源太らの部隊の表面を削る様に駆け回っている。
本来ならば、霧に紛れて後ろからこそっと近づき、いきなり後頭部をひっぱたいてやりたい所だ。だが……それはもう無理だ。
俺は戦場と朽木の配置を確認する。そして決めた。
「槍隊にこのまま敵の後ろから突っ込み、左に回り込みながら押しつぶせと伝えろ。右に逃げる奴らは気にするな、ともな」
側に控えていた伝令に命令を伝える。
「はっ」
「重秀!」
「はっ!」
「聞いた通りだ。道永の隊を追えるのは、同じ騎馬の朱雀隊しかいない。頼んだぞ」
「承知いたしました。お任せあれ」
「だが、無理に追う必要はない。今回は追い払えればいい。おそらく道永は、俺たちの攻撃が始まったら、即座に撤退を始める筈。お前たちはこれをある程度追え。だが、決して深追いはするな。ここで無理に仕留める必要はない。配下が功に焦らない様に気をつけてくれ」
「仕留めなくてもよろしいのですか?」
「ああ、仕留める必要はない。騎馬隊の首はおまけぐらいに考えて欲しい」
「おまけ……にございますか」
「ああ、おまけだ。お前たちは道永の騎馬隊を追い払ったら、即座に馬首を返して、逃げてくる敵の槍隊を打ち倒せ。背後から槍衾を組んで迫り、そこにお前たちの突進を受ければ、田島で見たような一般的な金崎の兵ならば、まず心が折れるであろう」
「なるほど。承知いたしました。必ずや御意に沿うてご覧に入れます」
俺の説明に、最初は怪訝な表情を見せた重秀も快諾してくれた。
「気迫で負けるな! 突き抜けろ!」
俺の命令で、先鋒の槍部隊が道永とその部下たちとおぼしき騎馬の一団に後ろから襲いかかった。
すると、やはり道永と奴の隊は、すぐに朽木への撤退行動に移った。
鬼灯の話や、伝七郎からの書状を読んだ限り、奴は相当俺を恨んでいるらしい。ようやく現れた俺にすぐにでも襲いかかりたかった事だろう。
しかし今回ばかりは、奴から見れば形勢が悪すぎる。
だから奴がそれなりに有能であれば、ここで俺の首に執着する危険は理解できる筈である。なればこそ逃げの一手に移ると考えたのだ。
そして、その通りになった。ここは、流石と褒めておいてやるべきだろう。
だが堪らないのは、予想通りに取り残された敵の槍隊だ。いきなり後ろに現れた俺たちに動揺して一気に混乱した後、気勢を盛り返した青龍隊の反撃も受けて一瞬で瓦解した。
なんとか生き延びようと、邪魔になる槍を投げ捨てて、各々思いのままに四方へ走り出している。
これも想定通りだった。
俺の指示で左翼の攻撃が厚めになっているので、必然的にその多くが右――つまり道永らを追っていった朱雀隊がいる方へと逃げていった。
そして、そこへ馬首を返した朱雀隊がちょうど戻ってきた。
朱雀隊の姿を見て更なる恐慌に陥った取り残された敵兵たちは、朱雀隊の最初のひと当てで、その心をバッキリと折られていた。
そこに、騎乗し本来の姿となった青龍隊と、槍衾を組んで前進してきたうちの先鋒の槍隊二つが到着し、残った敵の大半は狂う事も出来ずに惚けてその場に立ち尽くしていた。実際、ヤケになった何人かの者が数名槍に串刺しにされただけで、この戦は終わってしまったのである。
俺がこの世界にやってきた時に見た最初の戦でもそうだったが、こちらの戦は個人同士の力比べの要素が強いだけに、敗戦側は撤退時に徒歩の兵が取り残される傾向が強いのだ。
この戦いで大人しくこちらに降ったのは七十四名。倒した数も合わせれば、おそらく二百人近くの敵兵力を削ぐ事に成功した。
しかし、こちらも三輪・榊の百人組二つがほぼ壊滅しているので、総合的に見れば痛み分けといった所だろう。
勝ち鬨をあげている味方の兵たちを眺めながら、想像以上に手強い三森敦信の守りをどれだけ被害を抑えて食い破るか――それを悩まずにはいられなかった。
「助かりました。援軍感謝いたします」
雪原に響き渡る勝ち鬨を背に、俺の元までやってきた源太が片膝を突いて頭を下げた。源太ほどの将ですら、泥と血でぐちゃぐちゃだ。他の青龍隊の隊員たちも推して知るべしだろう。やはり、かなりの激戦だったようだ。
「ご苦労だったな、源太。それにしても無茶をやったもんだ。防戦一方の青龍隊を見た時は、流石にちょっと肝が冷えたぞ」
源太がベスト尽くしてくれた事は百も承知しているが、それでも勝手に命を張られてしまった恨み言を口にせずにはいられなかった。こんな所で源太に死なれては、色々な意味で洒落にならないのだ。
「あ、いや、申し訳ありません。三輪・榊両隊の生き残りを守って戦うにはあれしかなかったので……」
「だろうな。それは俺も分かっているよ。でも、ひやっとしたんだよ。文句くらい言わせろよ」
「なるほど」
今の俺が八つ当たりをしていると理解できたらしい源太は、ポリポリと頬を掻きながら目をそらす。反論は諦めて、聞き流す事にした様だった。