第二百三十七話 表か裏か でござる
日が沈むと二度朽木に接近し、真夜中までに鳴子を三度鳴らした。その後は二度鳴子の綱を切った。
そして、その時の朽木の様子を探る為に、神楽の忍びたちを放ってやった。
その結果は、『時来たれり』――――。
鳴子を鳴らした三度のうち、最初の一度だけ俺たちは朽木の者たちの前に姿を現している。その後は、一度も姿を見せていない。
徐々に、プレッシャーを下げていったのだ。ただでさえ、疲労が限界に達していて判断力が鈍っているところにそれをやられれば、疲れから楽をしようとして気が緩むものである。人はロボットではないのだから。どれほど訓練していようとも、どれほど責任感が強かろうとも、大なり小なりその影響を受ける事になる。
やはりと言おうか、その読みは当たった。敵の反応が目に見えて、緩くなっていったのだ。狙い通りの反応を得る事が出来たのである。
だから俺は、半次からその報告を受けた後、全軍に夜明け前の攻撃を命じた。
この朽木攻略に限っては、北門と南門はそれぞれ別の指揮系統で動いている。北門攻略の大将が俺で、南門攻略の大将が伝七郎である。そうした理由は至極単純である。『三森敦信は一人しかいないから』だ。
三森敦信は、確かに俊英なのだろう。だが奴は、金崎惟春が無能故にサポートを得られない。仮にサポートを得られても、その将は所謂『金崎の将』である。それに負けるほど、うちの将たちはボンクラではない。
だから、事実上三森敦信一人を抑えれば、今回の戦は突破口が開けるのである。北と南を同時に攻撃すれば、いずれかに突破口が開けるのだ。その為に、北と南で指揮系統を分ける方がより効果的だったのだ。
道永が野盗もどきの部隊を引き連れて三森敦信に協力しているらしいが、道永では金崎の正規軍の指揮は出来ない。三森敦信すらも軽んじている本来の大将・川島朝矩が、道永に金崎の正規軍を与えるとは思えないからだ。
それは、道永が惟春より与えられた部下たちからも想像できる。鬼灯も、はっきりと野盗と見紛う様な者たちですと言っていた。つまり、惟春は真っ当な金崎の兵の指揮権を、道永に与える気はなかったという事になる。ならば、川島朝矩がその主の決定に異を唱える様な真似はできないし、しないだろう。
そしてそれが、奴らの致命的な弱点になっているのだ。
「ご報告いたします! 鳥居様の青龍隊は下がりました。三輪様と榊様の槍隊が変わって前進しました!」
よし、源太と三輪、榊の百人組組長二人はうまく交代できた様だな。
朽木の南門から半里ほどの距離まで詰めて、その位置から俺たちは波状攻撃を繰り返している。
今朝方、再び濃霧となった。ここまで深い霧となったのは、ただの運だ。しかし基本、前日が晴れならば、ここの所は翌朝に霧が発生している。だから、霧が発生する事だけは分かっていた。
俺たちはそれを待っていたのだ。敵の集中力を切らす作戦に出ながら、絶好機を虎視眈々と狙っていたのである。
ここのところの朝昼晩関係ない俺たちのチョッカイで、三森敦信の兵は参っていた。そこに、最後の仕上げとばかりに、兵が油断しやすくなる状況を作り出してもやった。
結果、今度は不意打ちが成功した。
「ご報告いたします! 三輪様、榊様が応戦! 戦況はこちらが押しております!」
「ご報告いたします! こちらの動きに呼応して、南門でも攻撃が始まりました! 現在犬上様が敵将・三森敦信と交戦中です!」
……って事は、こちらには三森敦信がいない。チャンスだな。
次々俺の元へと駆け込んでくる、早馬。その報せの内容は、どれもこちらの好機を伝えてきていた。
「好機到来……ですかね」
側に控えている太助ら三人の中から、八雲が遠慮気味にぽつりと漏らす。少し切れが悪かった。
「……そうだな」
俺も少し引っかかるところがあって、即座には頷けない。
ヤケにうまくいきすぎているような気がしなくもないのだ。
あの三森敦信のこと、ここ数日の俺のやり方を見て、対処のしようはなくとも俺の狙いくらいは気づいている筈なのだ。だとすれば、兵の多い伝七郎の方に押し込まれないように注意をしながら、寡兵である俺たちの方をさっさと処理したいと考えている筈。そうすれば挟撃はなくなり、改めて目の前の大軍――伝七郎の軍に集中できる。
「じゃあ、このまま押し込んでしまいましょうよ」
俺が朽木の方を睨んだまま動かないのにしびれを切らして、吉次が進言してくる。
だが、本当にここで押し込んで良いのだろうか。自信が持てなかった。
三森敦信はただでさえ少ない兵を、更に北門南門に分けている。だが伝七郎の軍に比べれば、俺の率いるこちら側でも三森敦信からしたら十分に数が多い。
そんな状況で、三森敦信自身が北門の伝七郎の相手に回って、無策のまま兵だけを俺たちにぶつけてくるのか? ……いや、それはない筈だ。絶対に、何かある筈である。
そう考える。だが、俺がそれを口にするよりも先に太助が口を挟んできた。
「いやでも……。うーん、……本当に好機なのか? 理由は説明できないがなんか気持ち悪いな」
確かな成長だった。
二水で俺に嵌められた時とは明らかに違っている。きちんと状況を考察している。今はただの違和感だけかもしれないが、これは太助にとって大きな前進と言えるだろう。今のこいつなら、二水で俺が使った言葉のマジックくらいならば見破れるかもしれない。そう思うと、少し嬉しくなってきた。
「そうだな。俺も太助と同意見だ。だが、かといって、この状況を見逃す訳にもいかない。ここを押し切れれば、勝敗の天秤が大きく勝ちに傾く事は間違いないからな」
「でも、罠だったらどうします?」
八雲が尋ねてくる。やはり、口では好機到来と言いながらも、八雲は最初からこの状況を疑っていた様だ。
俺はその問いに、自信を持って即答してやる。ここで指揮官が迷っては、その下の将兵はまともに戦えなくなってしまう。
「八雲、こういう時は考え方を変えるんだ」
そう言いながら、俺は八雲の方を振り向いた。そして、ニッコリと笑みを作ってみせる。
「考え方を変える?」
八雲は首を傾げてしまった。
「そう。考え方を変えるんだ。罠があるから避けるのではなく、罠があると思って突き進む。朽木を落とそうと思ったら、それしかないだろう。この局面で逃げたら、落とせるものも落とせない。そういう時は、回避ではなく防御に頭を切り換えるんだ。守りを固めた上で進軍する。……要するに、お前ら気を抜くなよって事だ」
逃げていいものなら、さっさとケツを捲るに限るが、そうでないものに対しては腹を据えて突っ込むしかない。
「……うへぇ、『気張れ!』かよ」
太助がだらしなく舌を出して見せれば、
「無茶言いますね」
と、吉次が大きな溜息を吐いて見せる。どちらも口では気の抜けた言葉を吐いているが、その顔は望むところとばかりに獰猛な顔つきに変わっていた。
そして、そんな二人とは対称的に八雲は、
「……やっぱり、そうなりますかぁ」
と顔を引きつらせていた。