第二百三十六話 力を振るえぬ猛虎 でござる
朽木の北、一里半ほどの位置で源太は陣を敷いていた。
俺の指示通りの場所である。街道から少し山間に入った場所であり、街道の北と南を一望できる丘までの距離が近い。今回は、朽木から出陣してくる可能性が極めて低い為、監視のしやすさを重視して選んだのだ。継直との関係で、現段階で長期戦にもつれ込む訳にもいかない。だから、堅牢に構える事よりも、円滑な軍行動をとれるように配慮したのである。
街道および陣までの側道は、先に進んできた源太によってすでに除雪されていた。おかげで俺たちは、翌日の昼には源太のもとにたどり着く事が出来た。
急ごしらえながらも柵で囲われた陣の中には、沢山の天幕が建っていた。頻繁に吹雪く真冬の戦で、兵を野宿などさせられない。そんな事をしたら、いくらこちらの冬になれた者たちと言えども死んでしまう。
俺が陣に到着すると、それらの天幕の中央に建っている一際大きな天幕から源太が出迎えに出てきてくれた。
そして、会うなり奴は頭を下げてきた。
「お疲れ様です、武様。それから申し訳ありません。初戦は、三森敦信にしてやられました」
「いや、お前のせいじゃないさ。奴がしぶといって事だよ。東の砦を落とした時に信吾が言っていた通りだったってだけさ。無能揃いの金崎家にあって、勿体ないほどの傑物みたいだな」
「はい。半次殿ら神楽の者たちも見事な手際でした。私の兵たちもよくやっていたと思います。あれで気づかれるとは、私も思っていませんでした」
「報告に書かれていた奴か? 鳴子に仕掛けがされていたクサいって」
「はい。半次殿が言うには、鳴子が鳴らない様に処理をした時の、鳴子が吊られていた綱の変化で察知したのではないかと。あの濃霧の中では、それ以外は考えられないと申しておりました。とは言え、鳴子をそのままにしておいては朽木に近づく事も出来なかったので、どうしようもなかったとは思うのですが……」
奇襲ができるような状況ではなかったという事だな。それだけの準備を、三森敦信もしていたという事だ。間違いなく手強い。
「その様だな。ご苦労だった、源太。信吾もだけど。慌てて力押しせずに、引いてくれたのは流石だよ。あまり気にするなよ? 今回は敵も敵なんだから。常勝無敗などというものがあるのは、お話しの中だけだ。現実の戦は、勝ち戦をどう勝つかよりも、負け戦をどう負けるかの方が大事なんだ。お前たちは、きちんと自分の仕事をしたよ」
俺はでかい体を腰から折って頭を下げる源太の肩に手をやる。そして、一つポンと叩いて、そう告げた。この言葉は本音だった。源太も信吾も、きちんと己の役目を全うしてくれたのだ。もともと文句など一言もなかった。
だが源太は、作戦失敗の責任を感じていたらしく、いつものポーカーフェイスのままではあったものの、にわかに口の端をグイッと下げていた。
「……はっ。お心遣い感謝いたします」
そして、源太はそう答えた。
別に心遣いなどではないんだが……と、口から出かかる。だが、俺はその言葉を呑み込む事にした。言ったところで、源太はまたも恐縮するだけだろうと思ったからだ。
だから、近いうちに手柄でも立ててもらって、さっさと過去の事にしてもらおうと考えを変える事にした。うちの奴らはみんな、軽そうに見えて根はくそ真面目なのだ。あの与平でさえも例外ではない。
そう決めると、俺はさくっとこの話を流す事にする。次の話題を振る事にした。
「それで、以降の三森敦信の動きはどんな感じなんだ? 引きこもったままか?」
源太も俺に慣れてくれており、わざと話を流した事を察すると、もう話を混ぜ返したりはしない。いつも通りの飄々とした態度で、俺の問いに答えた。
「ですな。こちらが仕掛けない限り、動く気はなさそうです。今、半次殿に頼んで探ってもらっているところですが、遠くから見ている限りでは、実に静かなものです」
源太も少し厄介だと思っているらしい。答えた時に、いつものポーカーフェイスが少し歪んでいた。
「そうか……」
となると、やはり某か手を打たねばならんなぁ。このままでは、無駄に時間を使う事になって、惟春との戦いはともかく継直との戦いに致命的な打撃となってしまう。かといって、力押しもできんしなあ。そんな事をすれば、無駄に兵を失って、これまた終了のお知らせが流れる事になる。
うーむ……、どうしてくれようか……。
俺は思わず腕組みをして、自分の世界に没頭してしまいそうになる。しかし俺がそうなる前に、
「このようなところで話し込んでいて体に障っては一大事です。ささ、奥の天幕に向かいましょう」
と、源太が止めてくれた。
「え? あ、ああ、有り難う。俺が連れてきた兵たちの分の天幕はある?」
「勿論、すでに用意してあります。流石に冬の行軍で、野宿しろとは言えませんからな」
「そっか、助かる。重秀、太助、吉次、八雲。皆は手分けして、持ってきた荷の整理と兵たちの事を頼む」
「「「「はっ」」」」
「鬼灯は俺についてきてくれ」
「畏まりました」
「源太もな。もう少し詳しい話が聞きたい」
「はっ」
側にいた者たちに次々指示を飛ばし、俺は源太とともに奥の天幕へと向かう事にした。
あまり、ここで時間を使いすぎる訳にもいかない。かといって、無理出来る程の余裕もない。その辺りをどうにかしないといけなかった。
「戻りました」
陣中央に立てられた天幕に源太が戻ってくる。
俺がこの陣に到着して、はや三日。時は夕刻。夕焼けに西にある山の山際が赤く染まっている。
源太は、朽木を攻めて帰還してきたところだった。
「お疲れ。どうだった?」
「相変わらずですな。どっしりとしたものです。矢で少々威嚇したくらいでは、ぴくりともしません。ただし、門の外に拵えられている柵を越えようとすると、すぐさま反応して応戦してきます。矢が飛んできますな。おそらく、伝七郎様や信吾が担当している南門でも同じでしょう」
源太は肩をぐるぐると回しこりをほぐしながら、そう答えた。こいつでも、結構疲れているようである。
しかし、それも当然だった。こちら側――朽木の町北門側では、源太、俺が代わる代わる二十四時間休みなしの攻撃をしているのだ。疲れない訳がない。
そして、南門でも伝七郎と信吾の二交代で攻撃をしている。
ただし、そのどれもが本格的な攻撃ではない。奴らの前にちょろっと姿を現しては少し弓を引いて、それだけで帰るという。一見、なんともやる気のない攻撃を繰り返していた。
「三森敦信も、その兵もなかなか頑張るね。あちらは、もっと疲労しているだろうにな」
そう。これは俺の策だった。三森敦信は、川島朝矩に丸投げされて戦っている。使える将の数も少ないし、兵も少ない。だから奴らの最大の弱点は、交代要員がいない事なのだ。現実の戦をしているのは生身の人間である。そして、生身の人間は疲労するのである。二十四時間攻撃に晒されたら、その限界はすぐにやってくる。
「大したものですな。もしかすると、いま三森敦信と共に町の外にいるのは、三森の里の者たちかもしれませんな」
「かもな。無理強いされていて士気の低い金崎の兵にしては、頑張りすぎているな」
いま俺たちはシフト制で、朝堂々と朽木へと進軍し、昼前、昼過ぎ、夕刻にももう一度それを繰り返している。暗闇に紛れて朽木に接近し、例の鳴子を派手に鳴らしてみたり、逆に前と同様に神楽の忍びたちに処理してもらったりしながら、ただひたすらに『嫌がらせ』を繰り返していた。
すべては、交代で休めない三森敦信らを疲弊させきる為だった。三森敦信ほどの将に、このような戦いを仕掛けるのは正直気が引けたが、奴ほどの将であるが故に、真っ当に戦ってやる訳にはいかなかったのだ。
「しかし、三森敦信も無念でしょうな。味方がもう少しまともであれば、もっと戦いようもあったでしょうに。もう奴も、こちらの狙いには気づいているでしょう。しかし、あの者にはどうする事もできない」
源太は、心底同情している様な表情を見せた。こいつにしては珍しい程に、感情が外に漏れていた。
「だろうな。この策がまず成功すると確信できた理由が、三森敦信本人ではなく、その上役が極めて無能だからという救いようのない理由だからな。三森敦信にしてみれば、悪辣極まる策だろうよ。でも奴は、そんな中でよく頑張っている。……例え、持ち堪えられなくなるのが時間の問題だったとしてもな」
「はい」
「今日、明日といったところだろう。それ以上は、流石の三森敦信でも持ち堪えられまい。三森敦信自身は耐えられても、兵たちの体力が気力だけではどうにもならない限界を迎える筈だ」
俺の説明に、源太は何とも言えない表情を浮かべながらも、はっきりと頷き同意した。
「あまりグズグズしていられないしな。継直は、なお苛烈に津田を蝕んでいる。報せを聞いて判断する限り、津田が滅ぶのはもう本当に時間の問題になってきた。幸い、三浦と徳田が俺の流言にかかってくれたから、俺たちにはまだ少し時間の猶予があるが……それでものんびりとしていられる程の余裕がある訳ではない」
「はい」
源太も表情を引き締め直して答える。俺はそれに満足しながら一つ頷いてみせた。
「明日の朝にでも、少し仕掛けてみるかな。お前たちもそのつもりで準備をしておいてくれ」
「はっ」
先ほど見た夕日。底冷えし始めた大気。うまくいけば、明日の朝も霧が出る。そうなれば、再びの絶好機の到来と言えるだろう。その機を逃す手はなかった。