第二百三十三話 それなんて無理ゲー? でござる
「それで、だ。紅葉の話に戻るが……」
仕切り直す。笑みをしまい、改めて鬼灯に尋ねる。
「はい」
「さっき朽木から三森っていったよな?」
「はい。いま朽木にいる三森敦信の一族の土地です。あの時の飢饉は本当に酷いもので、あちこちで里や村が潰れるほどのものでした。しかし、惟春は容赦なく税の取り立てを行いました。逆らう気力もなくなる程に絞ればよいという方針だったと思われます。それにも関わらず、三森の一族の土地はほとんど餓死者を出さずに乗り切りましたので、以降それまでにも増して惟春や重臣たちに嫌疑をかけられる事になったのです。自分たちに逆らっているのではないか、と」
「なるほどね。新参で、家臣であったり、家中の序列ではるかに下であったりする三森敦信が自分たちより優秀なのはおかしい。何か不正をしている筈だってか。しかし……まあ、どいつもこいつも清々しい程にカスだな」
「まあ、その通りだとは思いますが……酷い言いようですね」
「いや、他にどう言えば良いんだ?」
そう問う俺に、鬼灯は少し困った様な苦笑いを浮かべて誤魔化した。鬼灯とてボロ糞に腐したいところだろう。しかし神楽は、理由はどうあれついこの間まではそのカスの使いっ走りをやっていた訳で。心中は複雑なのだと思う。
「まあ惟春の事は置いておくとしてもだ。いよいよ、訳分からんな。紅葉は、なんでああなっているんだ。どう見ても、何かに追い詰められているよな?」
「……確かに。私にもそう見えますね」
そりゃあ、あれだけはっきりと悩んでいては、そういう風にしか見えないだろう。問題は、『何』に悩んでいるのかが分からない事だ。話してくれないから、推測以上の話にはならないのだ。個人的な事ならばあまり突っ込むのもどうかと思うし、難しいところである。
鬼灯が言及する様子がない以上、実は密かに金崎の一族の血が紅葉の中に流れていて――といったようなトンデモ秘密があるとも思えない。鬼灯の下に来る前にも、これといった明らかに怪しい部分もない。鬼灯の話の範囲では、通常に任務をこなしていたように思える。
では、彼女が金崎家に対し特別な思いを抱いていて、心からの忠誠を誓っている?
考えるだけ無駄だ。仮定の話にしても、ありえなさすぎる。先ほどの鬼灯の話から言っても、神楽の者が金崎家に抱く思いなどは一つしかないだろう。忠誠心なんか、欠片も持っていないに違いない。
全く分からず、手詰まりだった。
「……仕方ない。しばらくは気にしてやってくれ。そして、何か分かったら報告して欲しい。あの分だと、普段の紅葉の力を発揮するのは無理そうだからな。本人は自分を律しようと頑張っているけれど、残念ながら明らかに抑えきれていない。今のままだと、俺たちも、そして彼女自身も危ない」
俺がそう言うと鬼灯は、申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうに微笑んだ。そして、小さく頭を下げる。
「申し訳ありません。そして、お気遣い感謝いたします。承知いたしました。しばらくの間は、あの娘から目を離さない様にいたします」
「そうしてやってくれ。あ、でも、今のところは無理に聞き出そうとする必要はないぞ。聞いて答えられるものなら、とっくに答えてくれているだろう。まだ俺たちは、お前たちと本当の信頼関係を築けるほどの時間を使っていない。今は、致命的な失敗だけを避けられるようにしてくれれば、それでいい」
「……本当に感謝いたします」
鬼灯は、もう一度、そして先ほどよりも深く俺に頭を下げた。
その後はしばらくの間、紅葉に関して何かが動く様な事はなかった。と言うか、朽木攻略の準備に追われて、それどころではなかったというのが実情だ。
恥ずかしながら、紅葉の件は鬼灯に投げっぱなしになってしまった。しかし鬼灯は、紅葉の様子もちゃんと見て報告をくれながら、紅葉ら配下の者たちを使ったり蒼月や半次らに協力を仰いだりしつつ、彼女に命じた本来の任務である『金崎本国の情報』をしっかりと集めてくれた。その手腕は実に見事なもので、『これで仕事で死なずに済むかもしれない』と涙が出てきた程仕事っぷりだった。
そして、その鬼灯からの報告を聞き、俺の中で金崎惟春無能説は説ではなくなった。今更の結論ではあるが、再確認できたと言える。俺たちがこうして朽木に迫っているのに、『自身は』まったく動いていなかったのだ。
ただ、少々怪しい動きがあると鬼灯より報告があった。
『金崎本国で少々怪しげな動きがあります』――――鬼灯の報告はその言葉から始まった。
最初俺は、そう聞いた時、無能でも無能なりに、三沢大橋で伝七郎に大敗したのを受けて、多少は考え方でも変わったのかと思った。
しかし、そうではなかった。朽木の町や三森敦信らの命を寄せ餌にして、本拠・美和の兵を南下させる準備でもしていたというのならば、百歩譲って褒めてやってもよかった。だが、違ったのである。
報告する鬼灯の前で、俺は素で「へ?」と間抜けな面を晒す羽目になった。
鬼灯の報告は、
「北で安住を睨む兵に動きなし。東で佐方を睨む兵に動きなし。美和の大部隊にも動きはありません。ただ、幾つかある領内の小砦の兵が集められています。各々から出た部隊が笹島に集合しつつあります」
というものだったのだ。
笹島は、三森の里の北東五里――二十キロほどの距離にある中規模の町だ。朽木と同じく林業が盛んな地域であり、また山岳地帯での馬産でも有名である。おそらく人口は二、三千程度。
三森の里が朽木の北に徒歩で一日ちょいの所にあるので、朽木からは少し距離が離れているが、そこに兵が集められているというのは、なかなかに無視できない情報だった。
ただ鬼灯は、その兵の数がどうにも腑に落ちないと言葉を付け足した。
実数が掴めなかったというのではない。鬼灯とその部下たちは、そんな状態の敵であっても、ある程度の幅はあるものの敵の数を掴んできてはくれていた。
それによれば少なく見積もって三百、多くて五百との事だった。
確かに妙だった。朽木に襲いかかった俺たちを、朽木の兵と挟んで押しつぶそうというには数が少なすぎるのである。
では単純に増援か? いや、それでも少なすぎるだろう。伝七郎の所に二千からの兵が丸ごと残っている上に、田島を攻略した俺に大量の兵をプレゼントしてしまった事は、奴とてもうとっくに知っている筈である。おまけに俺たちは、神楽までそっくり寝返らせているのだ。今回の戦では、五百程度の増援では戦況を変えられない。特に、奴が大好きらしい『誉れ高き武士の戦』なんかをしようとするならば、絶対に足りない。焼け石に水である事は明白である。
これに関しては、鬼灯も引き続き笹島に配下を張り付けて情報をとっているようだが、続報はまだ届いていないとの事だった。
鬼灯は、確実な情報をもたらせなくて申し訳なさそうにしていたが、それは彼女のせいではないだろう。というか、情報のポイントをしっかりと検討して俺が命じる前にすでに手を打ってくれているのだから、文句などあろう筈がない。
鬼灯からの報告は現段階ではそんな所だったが、目の前の大事である朽木に関しても、半次が本家の神楽忍軍を指揮をしながら探ってくれたり、工作を進めたりしてくれている。
こちらについては、半次自身は現場に近いところで指揮を執っているので、半次に代わって蒼月から報告があった。蒼月は俺の思い描いた計画通りに、半次や鬼灯ら神楽の者たちと、元々うちで諜報を担ってくれていた者たちを束ねて、その長をやってくれている。
で、その報告だが……こちらは本当に頭が痛くなるような報告だった。
三森敦信……やるとは思ったが、想像以上に手強そうだった。奴の主とは違い、明らかにプライドをかなぐり捨てて実を取りに来ている。こういう事が出来る輩っていうのは、本当に手強いのだ。
まず、伝七郎にボコられて引きこもっているらしい朽木の軍の大将・川島朝矩に代わり町の外に出てきた奴は、朽木の町の周辺に馬防柵のようなものや、落とし罠などを大量に敷設しているとの事だった。おそらくは、川島朝矩が引っ込んだ為に出来た事だろう。もし大将殿自ら防衛の指揮を執っていたら、馬防柵はともかく罠の類いは一切使えなかったに違いない。
そこかしこに岩を積んだ防壁なども作られているようだ。急ごしらえなので、どれも細かいところは雑な造りとなっているそうだが、実用には耐えられそうだとの報告だった。
岩の防壁……多分、弓を使うつもりなのだと思われる。『神聖なる力比べ』をモットーとするこちらの戦で弓が使われる事は、まずない。ほぼ確実に乱戦になるので、そんな場所で弓を使えば味方もただでは済まないからだ。だから有用かどうか以前の段階で、この世界では戦で弓を使う事はなくなっている。現に、今までも敵に弓兵がいる事はほとんどなかった。本格的に矢に狙われたのは、神楽と戦った時が始めてだ。
にも関わらず、今回敵は弓を使ってくるかもしれない。脅威だった。
幸い、俺の率いる兵は神楽との戦で、すでに経験をしている。指揮官である俺も戦に飛び道具はつきものだという常識を持っているので、いくらかはマシだろうとは思う。しかし、伝七郎の方はそうはいかないだろう。与平の弓隊の力を知っているとは言え、弓隊との十分な実戦経験があるとは言い難い。たかが弓矢、されど弓矢になってしまう事が容易に予想できた。それ故に、これだけでも十分脅威と言える話なのである。
それに、この話で一番頭が痛いところは、やはり三森敦信本人である。
罠に弓……これだけでも、仮にも金崎の将である三森敦信が使うには相当の覚悟が必要だったと思われる。武人としての禁忌を犯す事、そして何より主である金崎惟春の意に沿わぬ戦をする事……。決して楽な決断ではなかった筈である。でも、それをしてみせた。
こういう相手は本当に怖い。他にも何をやってくるか分からない。三森敦信はただでさえ優秀らしいというのに、そんな奴が腹を据えたとなれば、こちらもそれなりの覚悟を持って当たらないと、逆転負けを喫する事も十分にありえる。
今回ばかりは、こちらもそれなりの被害を覚悟せねばならないだろう。そんな戦になる事が容易に想像できた。
しかも、そんな敵を相手にしても、俺たちはここで全力で戦う訳にはいかない。
俺たちの目指す先は、あくまでも継直との決戦と、その勝利にある。その前に傷つき弱る訳にはいかないのだ。今回だけを勝てば良いという訳にはいかない。
そんな無理ゲーな状況である。文字通りに、頭痛の一つ二つくらい起きても当然だった。