幕 敦信(一) 佐々木伝七郎への奇襲 その一
朽木の町の南二里ほどの地で、伏龍――佐々木伝七郎の軍を迎え撃つ。
こちらは五百。そして、惟春様の指示で合流した同影以下五十名ほどの者たち。朝矩様は、「敦信、そなたが管理せよ」と落ち武者の集団のような同影らを嫌悪して投げて寄越したが、あれでかなり優秀なので本当に助かっている。ただ、得体が知れないという事に変わりはなく、注意を怠る訳にはいかないが。
西に御神川の流れを見ながら、藤ヶ崎の軍勢は街道を北上してくる。数は二千ほど。
この数の差では、まっとうに戦う事など出来はしない。正面からぶつかれば、即座に押しつぶされてしまうだろう。
だから、東側に点在する小規模な雑木林に潜んでは幾度も不意打ちを仕掛けるという手段を選ばざるをえなかった。騎馬で移動し、下馬して林に潜むというなんとも情けない戦い方ではある。だが、この数の差では他にやりようがない。
次で四度目の襲撃になる。兵ともども息を潜めて雪の降り積もった林の中に身を潜めているが、そろそろこちらの被害も馬鹿にならなくなってきている。その一方で、計画通りとはいえ倒せる敵兵の数も少なくなってきていた。
さすがに、伏龍などと呼ばれる者の率いる軍だけあって対応が早かった。
初撃こそ、そこそこに成果を上げられたが、以降どんどん効率が落ちている。だが、他に手がないからこのまま続けるしかない。
この次の攻撃にて予定されている同影らとの挟撃にかけるしかないだろう。あとは、町の前に作った柵と土塁で堪えるしかない。
奴らを止めるには朝矩様のご協力は必須だが……。いや、今は考えまい。いま俺たちに出来る事は、朽木までに少しでも奴らの力を削ぐ事だけだ。
そんな事を考えながら、降雪にまみれて半分白くなっている兵たちに向かって声をかける。
「このまま犬上信吾の部隊を横撃する。もう承知していると思うが、彼の者の兵――とりあわけ玄武隊には十分に注意しろ。油断すると痛い目をみるだけでは済まぬからな。気を引き締めて当たれ! 奴らの目をこちらに十分に引きつけるんだ!」
兵たちは無言でこくりと頷いた。
佐々木伝七郎の軍の中核を担っているのは、間違いなくあの男――犬上信吾だ。ここのところ鳥居源太とその麾下の青龍隊の姿が見えない。同影が調べてくれている筈だが、まだ報告が上がってきていないところを見ると近場で伏せているという事ではなさそうだ。
今となっては俺も他人の事は言えなくなってしまったが、佐々木伝七郎も武士にあるまじき戦い方をするから本当に油断ならない。
神森武の影響だろうか。実際に戦ってみれば、かつて話に聞いていた水島の俊英の話とはえらく異なっていた。水島継直の反乱のせいで何かがふっ切れてしまったのかもしれない。
迷惑な話だ。正直、話の十倍は手強く感じる。
とは言え、それでも俺は負ける訳にはいかない。ここ朽木が落ちれば、その背後にある我が三森の里が危険に晒される。
ここで負ければ、病に伏せっている父上が戦陣に立たねばならなくなるだろう。重い税で疲弊しきった里の民らにも更なる負担がのしかかってくる。子供や老いた者たちまで兵に駆り出されるに違いない。
……これ以上の負担がかかれば里は耐えられない。
せっかく紅葉が、収穫量を誤魔化していた事を惟春様に報告せずに黙っていてくれたのに、そんな事になれば、あいつにも合わせる顔がないどころではない。
連絡の為という事で三森の里に派遣されてきたあいつ。俺の監視という任務を捨ててまで庇ってくれた。種田忠政がその事をどこからか知って藤ヶ崎侵攻の際には脅される事になったが、あいつの不器用な優しさを粗末になど出来る訳がないではないか。
里の民を守りきってみせねばならない。
俺の不正を調べ上げたあいつに、そう啖呵を切って見せたのは俺なのだから。俺は、なんとしてもそれをなさねばならない。
その義務が俺にはある。目の前の敵が伏龍だろうと、なんとかせねばならない。
幸か不幸か、朝矩様も「儂は町を堅守している。そなたが奴らをなんとかしてこい!」とおっしゃっていた。好きにやらせてもらえるだけ、いくらか手の打ちようはある。風は俺に向いているのだ。出来れば、もう少し兵をお貸しいただきたかったが、贅沢を言えばキリがない。
朽木にはもともと二千二百ほどの兵がいたが、三沢大橋の戦いで大敗し今は千五百ほどしかいない。だから、こちらに割きたくないというお気持ちも分からなくはない。
こちらに兵を割いた方が結果的に守り易くなるのは間違いない筈なのだが、俺がそれを言っても我が身かわいさに言っている様にしか聞こえないだろう。
現に進言は聞き入れられず、兵の大半を朝矩様が持っていってしまった。
そんな状態で二千からの佐々木伝七郎の軍を止めようとするならば、もう侍の誇りを捨てるしか方法がなかった。不意打ちを繰り返すしか手は残っていなかった。
この分では、仮に佐々木伝七郎を撃退できても惟春様からの叱責は免れ得ぬであろう。惟春様始め、方々は昨今の藤ヶ崎勢の戦い方を下賤な戦い方とおっしゃっておられる。まるで匪賊のようだと。
確かに、それはその通りだろう。神聖なる戦をなんと心得るという戦い方だ。……もう俺には、その言葉を吐く資格はないが。
それに……、最近ではその考え方に少々思う所がない訳でもない。
奴らは、それによって勝利を収めてきちんと民を守っている。安んじている。藤ヶ崎の町での商取引も活発になっていると聞く。彼の領の農民たちも以前より暮らしやすくなっているようだ。
彼の領土から聞こえてくる噂は八割方は良いもので、ほとんど悪い噂など流れてこない。どれほど領民を睨み付けようとも、人の口に戸は立てられぬものだ。だから、本当によく国を治めているのに違いない。
正直これは、目を背けたい話だ。我が国からは怨嗟の声しか聞こえてこないのだから。
そして惟春様には、その事を気にしておられる様子はまったくない……。
はたして、どちらが士道を全うしているのだろうか。
そう思うと心を揺さぶられる。だから、これはおそらく考えてはいけない事なのだ。
ただ、それは置いておくとしても、一つ念頭に置いておかねばなるまい。
それは、この分だと一度奴らに土地を取られれば、取り戻す事は困難を極めるという事だ。
一度奴らに土地を奪われれば、その地の民は再び金崎家に帰順する事に難色を示すに違いない。だからこそ、絶対にこの地で奴らの侵攻を止めなくてはならない。
厳しい状況だ。戦況がどうあれ引けないのだから、これは実に辛い。考え始めると気が重くなってくる。
目の前には、もう何度か槍を交えている猛将犬上信吾。これに、絶対押し負けてはいけないという現実。
なんとも悩ましい話だった。
街道を北上してきた犬上信吾の部隊を息を殺しながら待ち伏せ、機を見て飛び出し襲いかかる。こやつらは佐々木伝七郎の軍の先鋒である。もうすでに何度も襲っているので、戦列の真ん中を進む佐々木伝七郎を直接襲う事はもう不可能だ。だから今は、こちらの待ち伏せを警戒しながら進んでくる犬上信吾の部隊を朽木までに少しでも削る事しか出来ない。
「者ども、今ぞ! かかれ!」
「またお主か、三森敦信! これ以上の好き勝手は、この俺がさせぬぞ!」
ビュッ。
犬上信吾の槍が唸りを上げながら迫る。
ガチッ! カァアンッ。
それを、幾多の戦場を共に戦った朱色の愛槍で受け、そして弾く。
「好き勝手されたくなければ、この地より疾くと去れ! この俺がいる限り、この地を容易に落とさせはせん!」
こちらも吠える。周りで戦っている率いてきた兵たちの士気を上げるには、将が気勢で負けていては話にならない。それは相手も同じで、こうした乱戦での将同士の戦いになると、どうしても武芸だけでなく舌を競う事にもなる。
そして、そんな俺たちの吠え声を士気に変えて、兵たちも気炎を上げながら、その命をぶつけ合うのだ。
「笑止! それはこちらの科白よ! 今日こそは決着をつけてくれるッ! おおおおおおおお――ッ!」
犬上信吾はそう吠えると、巨躯を十分に生かした嵐のような槍捌きで、殴打刺突を織り交ぜた猛撃を繰り出してきた。
カカカカン! ゴン! ガキッ! ブンッ! ガツッ!
「はああああああッ!」
ビュン! ガキッ! ギリリリリッ!
それを受けて流す。そしてこちらも打ち込み、更に突きへと動きを繋げていく。
一息の中で、互いに致命の一撃を相手に何度も打ち込み合う。本来ならば、その攻撃のどれもが必殺の一撃だったと思う。しかし、そのすべてが必殺になりえずに終わってしまった。
――――ぷはあ。
大きく息を吐き、次の攻防に備える。
うぅむ。堪らない。凄まじい手練れだ。こうして正対しているだけでも精神を削られる。東の砦で初めて出会い、そしてこの朽木防衛戦ではもう何度も槍を交えているが、この男は本当に強い。
正直、ここまでの手練れには出会った事がない。永倉平八郎の長刀もすごかったが、この犬上信吾の槍はそれを上回る。永倉平八郎は技はこの犬山信吾よりも練達していたが、如何せん年を取り過ぎていた。だから、戦いようがあった。しかし、犬上信吾にその手は通じない。正面から叩き伏せるしかない。
とは言うものの、だ。言うは易しだ。この者を倒すのは容易な事ではない。槍には少々自信があったのだが、世の中は広いという事か。