第二百三十話 八島道永再び でござる
「あ~、マジ疲れた……」
俺はガキ共をなんとか振り切り、兵の訓練の様子を検分した後、蒼月の館へと戻ってきた。
「ふふふ。お疲れ様です」
そんな俺を見て、護衛に付いてくれている鬼灯が更に笑う。与平は田島で北にいる惟春の南下ににらみを利かせているし、源太、重秀、太助、吉次、八雲らは訓練で忙しい。だから今日は……というか最近は、鬼灯が俺の側に着いてくれている事が多い。
もっとも、姿は見えないが鬼灯と一緒に俺の下へとやってきた部下の半分も、近くに控えている筈である。残りは、継直の動向を探るために出てもらっているからいない。蒼月や半次に、朽木の三森敦信を含めた惟春に関する情報の洗い出しを依頼してあるので、銀杏を含めた五人ほどを継直の領地に送り込んでいるのである。
「本当にお疲れだよ。全然助けてくれないんだもの……」
愚って見せるが、鬼灯はクスクスとご機嫌そうに笑っているだけだ。
やれやれ……。鬼灯も、やっぱそれなりに前とは違うな。三幻茶屋の葉月さんとも、命のやりとりをした時とも少し違う。
そういや……。
ふと、思う。
銀杏……美空ちゃんが実は超しっかりとしたタイプで、正直忍者すげーと思わされたっけ。
すっかり騙されていたのだ。でも鬼灯は、最近少し人間味が出てきたと言っていた。俺と関わる前は、もっと感情に乏しいタイプだったらしい。しっかりとしていたのは昔からだが、その幼さに不釣り合いなほどに非情だったそうだ。姉の紅葉以上に、忍びらしかったと言っていた。
その話を聞いた時、妙に納得がいったのを覚えている。
あの時――鬼灯ら全員を捕縛した時、銀杏の目は少女のそれとは思えない冷たさだった。彼女の仕事柄仕方がないと思いながらも、見るだけで胸が痛む目つきをしていた。
でも俺は、そんな彼女たちに更に冷たい指揮棒を振らなくてはならない立場の人間だ。胸が痛むから止めようという訳にはいかない。だから、捕まえて取り込んだ後も、彼女にも普通に忍びとしての仕事を命じている。
ただ俺は、それはそれとして、三幻茶屋に通っていたとき同様に頭を撫でて楽しんでいる。俺の手は、子供の頭に伸びる様に出来ているから仕方がない。銀杏もうっすらと頬を染めて照れるものの、とりあえずは嫌そうにはしていない。
鬼灯は、その辺りが銀杏が変わってきた原因ではないでしょうかと言っていたが、とりあえず悪いことではないので良しである。
だが、その姉の方の変化は少々問題だった。
チラリ――と、庭の隅に動く影を見る。
そこには、蒼月の屋敷にある裏手の格子戸から竹林の中へと出ていこうとする紅葉の姿があった。あの先には、ちょっとした鍛錬場があり、紅葉はそこに向かおうとしていると思われる。
それはいい。紅葉が鍛錬に打ち込もうとしているのは、良い事であって悪い事ではない。問題なのは彼女の様子だった。
俯き加減で口も真一文字に引き結び……まるで、何かに耐えているように見える。
「なあ……紅葉は、あれが本来の姿なん?」
鬼灯に尋ねた。銀杏がああだったものだから、ちょっと小悪魔チックだった由利ちゃんと今の紅葉の差も、もしかしたらと思わずにはいられなかったのだ。なにせ紅葉と銀杏は、鬼灯と違って本当の姉妹な訳だし。
鬼灯もこのところの紅葉の様子は気になっていたようで、屋敷の外に出て行こうとする紅葉の背中を俺と同じようにチラと眺めてから、こちらに視線を戻して言う。
「そう……ですねえ。確かに『紅葉』と『由利』の性分は真逆と言えるでしょう。しかし今の紅葉が本来の紅葉かと問われると、そうではないと答えざるを得ません」
「今の紅葉も本来の紅葉ではない?」
「はい。あの娘の本来の性質は、『堅い』とは言えましょう。しかし、『暗い』ではありませんでした。今のあの娘は、何やら思い詰めているように見えます」
「なるほどね」
今は堅いではなく暗い、か……。流石に鬼灯は、よく物を見ているなあ。本来の紅葉の性格については俺には分からんが、確かに今の紅葉は『暗い』。もっと正確に言うならば『仄暗い』。何かに思い悩んで気持ちを処理できないでいる……そんな感じがしてならない。
俺たち水島を受け入れられぬ。
神楽の里ごと降った今この時期に、ああなるとすれば、真っ先に思い浮かぶのはこの理由だが……。
「なあ、鬼灯」
「はい」
「神楽が水島に降る前に、紅葉と水島の接点って何かあった?」
「いえ。私が知る限り、それはない筈です」
即答だった。
「そっか。うーん……」
だとすると、やはり理由が分からない。少なくとも銀杏に同様の傾向が見られない以上、その理由はあくまでも紅葉個人に関する事である筈だ。親が殺されたとか、その類いの因縁めいたものだとは思えない。
俺は再び紅葉が出て行った方向に目を向ける。当然そこには、すでに紅葉の姿はない。だが、先ほどの後ろ姿が俺の目に残像を見せた。
紅葉は、俺たちの視線に気づいていなかった。
紅葉は体術に優れた忍びだ。当然、忍び基準でみてもその感覚は鋭い。それにも関わらず、俺や鬼灯に気づいていなかった。
それだけでも、普通じゃないと十分に見て取れる。
ほっとく……という訳にもいかんよなあ。何で悩んでいるかは分からないが、このままではいずれ任務にも支障が出てくるだろう。本当に個人的な事であれば踏み込みすぎるのもどうかと思うが、せめて原因だけでも把握しておかないと重大な失敗に繋がりかねない。
俺は先ほどの紅葉の後ろ姿に、そんな不安を抱かずにはいられなかった。
以降は五日ほどの時間をかけて、伝七郎とやりとりをした。無論、朽木攻略に向けて連携を取る為だ。
伝七郎は三沢大橋の戦いで勝利した後、対岸に渡ってそこで陣を敷いていた。落とした橋の向こうに陣を張るのはかなりの危険を伴うが、それでも伝七郎は敢行した。
落とした橋の再建を急ぎたかったからだ。
落とす前の橋ほどに立派なものでなくとも、なんとか流通を確保したかったのである。なにせ、あそこが途切れていると、それだけでうちの経済に深刻なダメージがでてしまう。
それを考えると、危険を承知で伝七郎が軍を盾にして、橋の再建を急いだのは理に適っている。
それなら橋を落とさなければ良かったのではないかと、後の無責任な歴史家たちは評するかもしれない。だが、あそこで橋を捨てたからこそ、朽木にいた金崎軍に大ダメージを与えられた。もしまともにぶつかり合っていたら、今後の展望に暗雲立ちこめただろう事は想像に難くない。
だから、橋を破壊した事による経済的損失にせよ、その後の背水の陣にせよ、必要な代償だったと割り切るしかないのだ。
まあ、ちょっとばかり高い代償だった気はするが。
とは言え、俺にはそれを言う資格はない。と言うか、俺にだけはそれを言う資格がないと言うべきか。あれをやらせたのは俺なのだから。伝七郎は、俺の案を採用しただけである。
だが伝七郎も、そのあたりのリスクは計算した上で俺の案に乗った筈である。あいつも、あれで結構大胆なのだ。あいつはいつも俺の事を肝が太いと笑うが、あいつ自身も、決して他人の事を笑える程か細い肝はしていないのである。
そんなこんなで、今手元にそんな奴の書状があった。
「伝七郎の奴が先に仕掛けるってさ」
俺はそう言って、書状を源太に渡した。源太は、その書状に目を通していく。
俺たちは今、蒼月の屋敷のとある部屋に集まっている。詰めれば数十人は入りそうな板の間だった。この屋敷の規模からすれば、大広間と言って差し支えないだろう。そこに、源太、重秀、蒼月、半次らと百人組組長五人が集まっている。他には、俺のおまけ扱いではあるが、鬼灯や太助、吉次、八雲らもいた。
「なるほど。三森敦信を釣り出そうというお考えのようですな」
「だな。その隙に、俺たちに背後をとってくれという事だろう。前に嵌められた事が余程に堪えているようだな」
まず間違いなく、三森敦信さえ何とかしてしまえば、あとはどうとでもなると考えているのだろう。敵として伝七郎のお眼鏡に適ったのは、三森敦信ただ一人という事だ。あとは有象無象の扱いである。
「確かに、敵ながら見事な戦いぶりでしたからな。伝七郎様がそう判断なされるのも当然かと。それに……」
「それに?」
源太は少し黙考して、それから口を開いた。
「それに、彼の者は覆面の者たちを使います。これがなかなかに厄介な者たちにございまして……。我らが罠にはまったのも、ほぼ奴らの働きに拠るところと言えるでしょうな」
源太はそう言って、チラリと蒼月の方を見た。もちろん責めるようなものではない。確認をするような視線を送っている。
神楽の関係者かという事だろう。
覆面の手練れ……俺たちの身近にもいる。『忍び』だ。蒼月たちと意見を異にした一派でもいるのか、あるいは神楽の他に金崎は忍びを手下にしているのか、といった事を源太は確認しているのだと思われる。
「いえ」
蒼月は小さく首を横に振った。ただ、
「しかし、鬼灯には心当たりがある様子。神森様、鬼灯に発言の許可をいただきたく存じます」
と、俺の方を向いて進言してきた。この会議は将による会議である為、鬼灯や太助らには発言権がないのだ。
「無論許可しよう」
「はっ、ありがとうございます」
俺が許可すると、鬼灯はまず横の俺に向かって一礼し、次いで蒼月に一礼した。それから会議に参加している他の将らにも小さく頭を下げて、口を開く。
「おそらくその者は、同影にございます。今となっては恐れ多い話にございますが、藤ヶ崎の攻略を計画するにあたり、私が惟春の元へと誘った者にございます」
「同影……聞いた事がないな」
その名に覚えはなかった。少なくとも俺の元にもたらされた報告の中には、一度も出てきた事のない名前だった。
「はい。同影という名は偽名にございますれば、それも当然かと。しかし、武様はご存じの筈です」
「俺は知っている?」
「はい。彼の者はかつて、『八島道永』と呼ばれておりました」